第二章03 悪女ロズリーヌ・トリオール(悪女の仮面ほど、私を隠す分厚い仮面はない)

「さすが私のシャルルリエルだ。【導き】の聖女ロズアトリスとは比べものにならないくらい素晴らしい!」


「きゃっ嬉しい!」


 人目もはばからずマクシムに抱き着くシャルルリエル。マルティーニは二人に分からないようケッと吐き捨てて、ロズリーヌに耳打ちした。


「相変わらず、嫌味な二人ですね。聖女シャルルリエルも男爵令嬢のくせに」


「彼女は自分の立場を使い分けるのが上手い。私も器用にそれができたら良かったのだがな。しかし、そんなことより。先の言葉は聞き捨てならん」


 ロズリーヌは扇子の下でマルティーニにそう答えてから、扇子を閉じて手に打ち付けた。


 パシン、と乾いた音が響くと、皆は恐々としてロズリーヌに注目した。


「当事者が言うのは慢心かもしれませんけれど。私は貴族の皆様主催のチャリティーを大変素晴らしいものだと思っています。聖職者たちの施しは義務ですが、貴族の皆様の施しは善意に基づく活動ですから」


「けれど平民たちは身の程も知らず、偽善者だと罵るだろう」


 マクシムが不満そうに言い返したが、ロズリーヌはゆっくりと首を振った。


「言わせておけばよろしいのです、殿下。偽善でも善でしょう。その偽善によって救われる人がいるならば、私は支持いたします。そもそも聖教会だけですべての人を救えるわけではありませんもの」


「何を言うの!? 聖教会は! わたくしは! すべての人を救います! そのために聖女が、大聖女がいるのです! わたくしにはその力があります!」


 ここぞとばかりにシャルルリエルが声高に宣言すると、貴族たちは歓声を上げた。しかしその歓声を断ち切るように、再びロズリーヌの扇子が鋭く音を立てる。


「理想を掲げるのは素晴らしいことです。それは認めましょう。けれど現実を見なくてはなりません。もしすべての問題が聖教会だけで解決できるのなら――皇室の存在意義が問われてしまいますよ?」


 さっと皆の視線がマクシムに集まった。もちろんシャルルリエルもハッとした様子でマクシムを見る。


 マクシムは皆の視線を一身に受け、はははと空笑いした。


「え、えっと、我々皇室は、そのぅ、聖教会と協力していて……何人か聖女や聖人と血縁を結んでいる者もいて……」


「……それって、ただの聖教会の腰巾着という意味になると思いませんかロズリーヌ様?」


 マルティーニがロズリーヌに耳打ちした声が聞こえていたのだろうか。マクシムはたじろいで「ワ、ワインを!」と近くを通りかかった侍従に申し付けた。


 集まっていた貴族たちからはため息が漏れ、吐いた息とともに興味も口から出てしまったのか、取り巻きたちはそろそろと離れていった。マクシムはどこかほっと息を吐いたが、シャルルリエルが強く拳を握りしめるのをロズリーヌは見逃さなかった。


 しばらくして、銀の盆に四つ、赤ワインが入ったワイングラスを乗せた侍従がやってきた。マクシムは自分の分だけグラスを取る。


「さ、さぁ、気分を落ち着けるためにワインでも飲もうじゃないか。君もワインを飲んで落ち着き給えロズリーヌ」


(落ち着くのは貴方とシャルルリエルで十分だろう)


 思いはしても口には出さず。ロズリーヌはシャルルリエルがグラスを取るのと、マルティーニが自分の分とロズリーヌの分を取って渡してくれるのを待った。


(……それにしても、最近襲われた、か)


 そうして目を細める。


 マゼンダの瞳が閃いたと思うと、ロズリーヌの視界の中に黄金の時計が現れた。シャルルリエルとマクシムの胸の前に表れたのは、残り時間がわずかとなった懐中時計――。


(このワインに毒でも入っているのか!?)


 どっと心臓が嫌な動きをしたが、ロズリーヌは表情には出さず、脇に侍るマルティーニの命の時間も確認した。


 マルティーニの胸の前に現われたのは黄金の砂時計。ワインに毒が入っているにしても、二人のグラスだけらしい。ひとまずロズリーヌはゆっくり息を吐き――。


「皆の親睦を深めるために、かんぱ……」


「シャルルリエルさん、失礼」


 マクシムが乾杯の音頭を取り、二人がグラスを上げた瞬間を狙って、シャルルリエルの首元に手を伸ばした。警戒したシャルルリエルが「何です?」と下から睨み上げてくる。


 ロズリーヌは冷静に告げた。


「御髪に、大きな蜘蛛が……」


「蜘蛛!? いやぁっ!!」


パリン!


 シャルルリエルが取り落としたワイングラスが床で割れ、跳ねた赤ワインが彼女のドレスに小さな赤い染みをつくった。ロズリーヌはマルティーニに目配せをして、赤い染みを指さす。マルティーニは静かに頷いて、屈んでそっと床のワインをハンカチでふき取った。


 一方、シャルルリエルが悲鳴を上げたことで、ホールの空気は張り詰めていた。貴族たちは震えるシャルルリエルと、微動だにせず立ち続けるロズリーヌを交互に見つめながら何事かと囁き合う。


「あぁ……お母様から譲り受けた大事なドレスに染みが!」


 ここで突然シャルルリエルがはらはらと涙を流し始めた。マクシムが焦った様子で「そのドレスはつい先日私がプレゼントしたばかりだろう?」と言うと、足を強く踏んで黙らせたので、シャルルリエルの主張を鵜呑みにした貴族たちの囁きはどんどん大きくなっていった。


「母君から譲り受けた大切なドレスだって? 可哀想に」


「ロズリーヌ様がワインを引っかけたの?」


――あぁ、また悪女の仕業なのか。


 そう囁かれるようになってから、ようやくロズリーヌは口を開いた。


「シャルルリエルさん。おかわいそうに。そのドレス、わたくしが元通りにして差し上げましょうか?」


「ドレスを預かるふりをして、お母様の大事なドレスを捨ててしまうつもりでしょう! このドレスは渡さない!」


 決して譲らないという目つきでロズリーヌを睨むシャルルリエル。


(何でも茶番にしてしまう演技力は素晴らしいのだがな)


 ロズリーヌが冷静に彼女の評価を下しながら、次の言葉を発しようと口を開いたところへ、マクシムが大きな声を上げた。


「ロズリーヌ! この悪女!」


 マクシムは泣いて悲しむシャルルリエルの肩を抱いてホールを出て行ってしまった。去っていく彼らの背に浮かぶ黄金の時計は、懐中時計から砂時計に変わっていた。


 一方、残されたロズリーヌには会場中の視線が刺さり、悪女の噂が荒波のように押し寄せていた。それでもロズリーヌは己に降り注ぐ貴族たちの冷たい視線や心無い罵倒を少しも歯牙にかけず、マルティーニとともに颯爽とホールを横切ってバルコニーへ向かうのだった。


(悪女の仮面ほど、私を隠す分厚い仮面はない)

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