第二章02 悪女ロズリーヌ・トリオール(面倒な相手に捕まったようだ)

――あのネックレスが手に入るのね。


 誰かがそう、喉を鳴らすのが聞こえてくる。一同が『女神の赤い首輪』を手に闊歩する公爵夫人を食い入るように見つめている。


「『女神の赤い首輪』は、かの有名な彫刻家が作った女神像に合わせて作られたものだろう? この世に二つとない一品だ。本当に良いのかい?」


 居残っていたブライトン公爵が周りの反応を見て探るように問いかけてくる。しかしどんなに周りの反応が良くても、ロズリーヌには微塵も惜しい気持ちは無かった。


「構いません。少しでも生活に困窮している人たちのためになるのなら本望です」


「そうか。君は世間の評価とは違う人のようだ。ありがとう。私からも感謝を伝えるよ」


 公爵が差し出してきた関節の太い手を握り、握手に応じる。


「しかし、チャリティーオークションだから、『女神の赤い首輪』にどのくらいの値がつくのかは分からない。君の思っている金額より低かったら、申し訳ない」


 おそらくブライトン公爵はこれを言うために残っていたのだろう。


 『女神の赤い首輪』に使われているルビーは目を瞠るほど大きく、また有名な彫刻家がデザインした美術品でもあるため、価値は十分に高い。しかし、チャリティーオークションではそんな価値ある物も買い叩かれてしまう場合がある。ブライトン公爵はそれを心配してくれているようだが、ロズリーヌは強気だった。


「ご心配には及びません。そのために、あえて空の小箱を出して演出したのですから」


 扇子の下で口角を上げれば、ブライトン公爵はしばし思考し、そして納得したように微笑んだ。


「なるほど。君が侮れない人だという世間一般の解釈には同意せざるを得ないようだ」


 ブライトン公爵はそうロズリーヌを評価して、「では、私は楽団へ戻るとするよ」と管弦楽団の方へつま先を向けた。そうしてブライトン公爵は会場の管弦楽団の傍に置かれたグランドピアノの前に座り、旋律を奏で始めた。管弦楽団と一体となった、流れるような見事なピアノの演奏だ。


(そういえば、ブライトン公爵は奉仕の一環として、若いときから教会でピアノを弾いていたのだったな)


 貴族の礼服を祭服に着替え、教会でピアノを弾いている彼の姿を想像しながら聞き惚れていると。マルティーニが腕を揺さぶって現実へ引き戻してくれた。


「ローズ様! お見事でした! ローズ様の思った通り、皆さんは『女神の赤い首輪』の虜ですね。きっと、落札金額は跳ね上がることでしょう!」


 ロズリーヌはマルティーニの言葉に微笑み、一つ頷いた。彼女もまた、それを確信していたからだ。


 実はロズリーヌもブライトン公爵と同じことを危惧していた。そこで講じた対策。それが『女神の赤い首輪』の価値を『話題』で高めることだった。わざと空の小箱を出品して騒動を起こし、会場で自ら外してみせることで注目度を高め、『話題』の出品物を作り上げたというわけだ。


「しかも! ローズ様が直前まで身に付けていたという付加価値もついています!」


 マルティーニが嬉々として大きな声を出すので、ロズリーヌは扇子の裏にマルティーニと自分の顔を隠した。


「むしろあんな悪女がしていたものなんて、と忌避されないだろうか?」


「何をおっしゃいますやら。皆さんローズ様のことを悪女だ何だと言いますが、憧れているのに決して近付けないものだから悔しくてそう言っているだけなんですよ。さすが、私のローズ様! 綺麗! 賢い! 魅力的!」


 マルティーニは声を潜めながらも、まるで興奮を隠しきれていなかった。このままだと際限なく褒めちぎられてしまう予感がする。彼女の興味を他のものに移さなければならなかった。


 何か適当な話題はないかとロズリーヌが視線を巡らせたところで、ゴールドの髪の美青年と目が合った。


「目立ちたがりめ」


 ロズリーヌに聞こえる声で吐き捨て、青年――レピュセーズ帝国の二番目の皇子、マクシム・ド・レピュセーズが苦々しい顔をしてこちらへ歩み寄ってくる。


(面倒な相手に捕まったようだ)


 思わずそうため息が出そうになったが、逃げるわけにはいかない。ロズリーヌは悠然とした態度でマクシムを迎えることにした。マクシムはロズリーヌの態度が気に食わなかったらしく、マリンブルーの瞳を顰める。


「皇子であるこの私にその態度。高慢だな。慎ましい我らが聖女シャルルリエルを見習ったらどうだ?」


 マクシムの言葉に合わせ、聖女シャルルリエルがひょこりと姿を現した。


 皇子マクシムは聖女シャルルリエルの婚約者。二人は必ずセットで社交界に登場する。


「ごきげんよう、ロズリーヌ様。わたくしはこれでもかというくらい煌びやかなあのネックレスが貴方にはお似合だったので、ちょっと残念な気持ちになったわ。本当に『女神の赤い首輪』を手放すの?」


 シャルルリエルはまるで本当に残念がっているかのような顔をしているが、言葉には棘がある。しかしその言葉の棘にも、ロズリーヌは顔色一つ変えなかった。


「もちろん。寄付金を集め、一人でも多くの人々に支援が行き渡れば、それに勝る喜びはないからな」


「そうやって自分の持っている物を手放して寄付金を集めなくてはならないなんて、貴族は大変ね。そんなことをするくらいなら何もせず、わたくしに任せてくれれば良いのに」


 シャルルリエルが聖女である自分を主張し、白い祭服を着た胸に手を当てると、「その通りです聖女様!」「さすが、次期大聖女候補に選ばれるだけありますな!」と周りの貴族たちが囃し立てた。いつの間にか夜会の参加者たちが周囲に集まっている。 どうやら彼らの目的はシャルルリエルのようだ。


 シャルルリエルは聖女としての神聖さと持ち前の愛らしさで、貴族たちを惹きつけている。聖職者の半数は貴族出身者だ。貴族たちの歓心を買うことで、聖教会内での影響力を強めるつもりなのだろう。シャルルリエルは無知で無邪気な聖女だと言われているけれど、その実、かなりしたたかで野心家であるというのがロズリーヌの評価だった。


「そういえば、最近何者かに襲われたと聞きましたよ? お怪我をされたとも聞きましたが、大丈夫ですか?」


 ある青年貴族が問うと、シャルルリエルはさっと顔を下げて表情を暗くした。


「実は、先日大聖堂から帰るときに狙われて……。腕に怪我をしたんです」


 彼女が細い指で腕をさすると、一同は気の毒にとため息を吐いた。


「でも、わたくしには聖力がありますから。暴力には決して屈しません!」


 しかしシャルルリエルがそう胸を張れば、一変して拍手が沸き上がる。良くできた演目だ。ロズリーヌが内心彼女の見事な演技に感心していると、初老の男性貴族がこんなことを言った。


「あぁ、さすが正式な大聖女候補になられた聖女様は違うなぁ。最近では聖女シャルルリエル様が大規模に施しをしてくださるおかげで、我々貴族が仕方なく下々の者に支援をする必要が無くなった。無理に世間体を保つためにチャリティーを行う必要もない。ありがたいことだ」


(何だと?)


 自分の噂や悪口、彼女を手放しで褒める賛辞は聞き流せても、これは聞き捨てならなかった。思わずロズリーヌはピキリと眉を動かして反応したけれど、皇子マクシムが大きく頷き。


「聖女シャルルリエルなら身一つで寄付金を集められるうえに、聖力を際限なく使うことができる【無限】の力を駆使して、癒しを与え続けることができるからな!」


 などと言うので、頭が痛くなって眉根を寄せてしまった。


(他でもない、貴方が言うのか?)


 ロズリーヌは呆れていた。けれど辺りを見回してみる限り、ロズリーヌと同じ胸中の者はいなさそうだった。皆、うんうんと頷き、マクシムの言葉に耳を傾けている。

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