第2話「たりない、ふたり」

-verse 1-

ネットカフェの個室。

ドアの外から聞こえる雑音を片耳につけたイヤホンで

遮断するようにしながら、まつりは口を開いた。

「今さら、何の用やの」

「まつり…あんた、今どこおるん」

「そんなん、ひまりには関係ないやろ。あんたが

選んだんやん、京都に残るって」

「残ったんやなくて......置いてかれたんやんか。あんたが勝手に出て行ったんやん」

「勝手?それあんたが言うん?」

「何が不満やったん?家のこと?学校のこと?

私ら、ふたりで一緒にやっていくって話やったやん」

「私ら一緒ってそんな簡単にいうけど…

ひまりは、何か変えたいって思ったことある?

ずっとええ子のまま、縁禅家の看板背負ってそれで

『一緒』とか言うてんの、私には笑えてしゃあない」

「そんなんウケるわ。逃げてるだけやん、全部から」

「逃げてるんはひまりの方ちゃうん。家の中で縮こまって、

伝統とか習い事とか、そんなんで『自分』って呼べんの?」

少し間を置いて、ひまりは言った。

「じゃあ訊くけど、まつりにとって『自分』ってなんなん?」

「…さあ。ただの『たりへん』存在やったんちゃう?」

しばらく沈黙が流れた。

電話の向こうから、小さく鼻をすする音が聞こえる。

しかしまつりは、その涙に付き合う余裕を持っていなかった。


-verse 2-

あれから、ひと月が経った。

京都にいた日々は、まつりの中で少しずつ輪郭を失っていた。

京都を出て、大阪で暮らすようになって最初の数日は何もかもが

新鮮だった。

ネオンの色も、人の雑さも、公園の空気も。

全部が「自分だけのもの」みたいで、自由になれた気がした。

だけど、慣れてきたら自由ってやつは急に冷たくなる。

どれもただの「音」にしか思わなくなった。

自分とは、関係のない。

それでもひまりの声は胸のどこかに残っている。

少し高くて、まっすぐで、うるさくて、懐かしい音。


ネットカフェの個室。

パソコンの画面の上に、言葉を並べようとする。

でもうまくいかない。

書きたいことはある。でもどう書けばいいか分からない。

昨日の晩、心斎橋で見かけた女の子たち。

路上で輪になって、叫ぶように言葉を交わしていた。

それを見て、まつりの胸がざわついた。


なんか......あれ、いいやん。


その中には、短いフレーズ、リズムもない言葉、

怒りと寂しさを継ぎ接ぎした「まだ名前もない何か」が

残されていた。

あの輪の中に、自分の「言葉」も混ざってたら、

何かが変わる。そんな気が、少しだけした。


-verse 3-

昼休みのチャイムが鳴ると、教室の空気が少しだけゆるんだ。

神木あや香は、手作りの弁当箱を机に広げながらため息をついた。

「てかさ、ひまりちゃんって今日も『黙食』モードなん?」

隣でプリンの蓋を勢いよく開けた藤咲ららが言った。

「ひまりちゃんはもう、プリンと喋る年頃ちゃうねん」

「意味わからんわ」

「てか今日の学食、なんで揚げパン出たん?うちひとつも

食べてないのに太る気しかしないんやけど」

「いやあんたの揚げパンは自前やし」


しばらくして、あや香はこう切り出した。

「てかまつりちゃん、ほんまにおらんくなったんやなーって

最近実感湧いてきた」

「ラインの既読、ついてへんもんな」

「なんて送ったん?」

「またタコパしよなって、スタンプ付きで」

「タコパって。ちょっと昭和すぎん?」

「タコパは平成や!」


「...ひまりちゃんはまつりちゃんのこと、どう思ってるんやろ」

「うーん、『たりへん』って感じ?」

ふたりの会話が、ふっと止まった。

意味はよく分からなかったが、その言葉だけは

変にしっくりきてしまった。


三つ目のプリンを食べ終えたららがこう言った。

「でもさ、うちらも割と『たりへん』コンビちゃう?」

「え?どこがやねん」

「だってツッコミが追いついてへんもん」

「お前のボケが止まらんだけや!」

そう言い合いながらも、ふたりの笑い声が小さく教室に広がった。

それは、まつりがいた頃の空気と少しだけ似ていた。


-verse 4-

土曜日の午後、ひまりは自室のカーテンを閉めたままベッドに

潜っていた。

特に用事があるわけでも、疲れているわけでもない。

ただ外に出る理由が見つからなかった。

まつりからの連絡は、もう来ない。

あの電話のあと、ひまりの中で何かが止まっていた。


その時、インターホンが鳴った。

使用人、黒川の声が響く。「お嬢さま、お友達です」

仕方なく階段を降りると、あや香とららがプリンを片手に

仁王立ちしていた。

「来たで。冷蔵庫のイチゴ味も持ってきた」

「また『タコパしよな』のスタンプ、リアルで押しに来た」


「…何しに来たん」ひまりは眉をひそめる。

「『たりてない』顔しとったから」

ひまりは思わず吹きだしそうになるが、ギリギリでこらえた。


「ひまりちゃん、まつりロス進行してるんやろ」

「してへん」

「強がりの語尾、薄かったで今」


そのまま、あや香とららは当然のようにひまりの部屋に

上がりこむ。

プリンを三つ並べて、勝手にスプーンを配る。


「まつり、元気にしてるんかな」

「うん、してると思うししてへんかも」らら、プリンを味わいながら。

「どっちやねん」あや香がすかさずつっこむ。

ふたりのツッコミとボケがいつものリズムで転がっていく。

その音が、ひまりの部屋に新しい風を通した。

プリンを一口食べたとき、ひまりはようやく笑った。

その笑顔は、まだ少したりない。

けれども、それで十分だった。

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