2 意味
初めて彼女を見かけてから三ヶ月ほど後のことだ。
今年度のセンター試験も終わり、いよいよ受験シーズンが本格化し始めていた。それは僕の大学入試のタイムリミットまで残り一年という意味でもある。
その日はとりわけ寒い一日で、朝から氷点下と今年一番の冷え込みを記録したかと思えば、日中も時折氷雨がちらつくほど底冷えしていた。
僕は相変わらず学校が終わると、河川敷に向かって自転車を走らせた。特に意味はないけれど、何となく足を向けてしまうのはなぜなのか自分でも分からなかった。
ところが、水曜日なのに彼女の歌声が聞こえて来なかった。
僕は不思議に思いながら自転車を止めて、いつものように河川敷に視線を落とす。歌ってこそいなかったが、彼女は変わらずそこにいた。河川敷に降りる階段の縁に腰を下ろし、何事か考えているような素振りだった。後ろ姿から表情までは窺えない。
それまで話し掛けたことは一度もなかったのだけれど、彼女の声を聞けないのが少しばかり残念に思ったのだろうか、気付いた時には話し掛けていた。
「今日は歌わないのか?」
僕の問い掛けを彼女は予期していたかのように答える。
「……あたしの声は、もう必要ないんだってさ」
「それ、どういうこと?」
「あたし、ガールズバンド組んでてさ。ボーカルやってたんだけど、歌の方向性が合わないからって、クビになっちゃった。もう別の子をボーカルに引き抜いたからって……」
寒さに凍えているのか、別の理由で震えているのか僕には判断がつかなかったけれど、とにかく彼女の肩は小刻みに震えていた。
重苦しい沈黙をかき消したくて、僕はそっと自分のコートを小さな背中に掛けた。
「だったら、ソロでやればいい。歌が好きなんだろ?」
「……だけど、そんなに簡単じゃない。今は何のために歌えばいいか、分かんない……」
「じゃあ、俺に聴かせてくれないか。君の歌声」
彼女は驚いたように顔を上げて、僕の目を覗き込んだ。
「どうして、あなたに?」
「俺が聴きたいから。……それじゃあ、ダメか?」
「……変わってるね、あなた」
彼女の目尻に浮かんだものが涙だったのか、雨粒だったのか僕には分からなかった。
ただひとつ確かなのは、それが僕の初めて見る彼女の笑顔だった、ということだ。
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