20.二人の約束 -唯香-
気が付いた時、
私は記憶の中とは違う場所に居た。
どこかのホテルの一室を思わせそうな
室内。
ゆっくりと体を起こして、
その部屋を出ると、そこには裕先生の姿。
「気がついた?」
「あの……私……」
確か、学院理事会からの呼び出しを受けて
解雇も正直覚悟して百花に送り出して貰った。
その場所には、裕先生や裕真先生……
それに十夜さんまで居て。
「ここは裕真のホテル。
理事会の最中に倒れたんだよ。
ずっと心に抱き続けたことを
言葉にして話すのは
精神的にも負担がかかるからね。
こっちにおいで」
倒れちゃったんだ……私。
裕先生に言われるままに、
指定されたソファーの隣に腰掛ける。
「あの……私の処分は?雪貴は?」
気になるのは理事会の結果。
私はどうなってもいいけど、
雪貴は守りたい。
裕先生に向かって、
感情的に問い詰めるようなトーンになる私を
やんわりと制して、
呼吸を使って落ち着かせていく。
「感情的になるのはいけないよ。
落ち着いて……。
理事会の結果は、
唯ちゃんも雪貴君も処分はなし。
だから安心するといいよ」
柔らかい口調で、
ゆっくりと言い聞かせるように
告げられた言葉に、
安堵した私は体の力がスーっと抜けて、
その場で脱力する。
傾いた私の体をとっさに支えると、
ゆっくりと、
ソファーへと体を預けれるように
誘導してくれる。
「すいません……」
「ようやく安心できたかな?
託実にも百花ちゃんにも頼まれたからね」
そう言うと裕先生はソファーから立ちあがって、
ハーブティーをいれて戻ってくる。
「高臣が育てたカモミールだよ。
心が落ち着けると思うから、どうぞ」
すすめられるままにハーブティに口を付ける。
林檎にも似た甘い香りが、
暖かな温度がほっとさせてくれる。
「……美味しいです……」
「そう。
それは良かった」
「あの……?
アイツは?」
そう告げたのは、
もう一人の当事者。
私たちを苦しめ続けたアイツ。
「臨時講師、
土岐先生のことかな?」
そう言われた名前に、静かに頷いた。
「彼の件については、理事長が今日にでも
彼と話あっていると思うよ。
唯香ちゃんの生活が脅かされることは
ないばすだから、
それは安心するといいよ」
そう告げて、裕先生はチラリと時計に視線を向けた後
机の前のリモコンに手を伸ばした。
TVのスイッチが入って映し出されるのは、
記者会見中のAnsyal。
「……これ……」
「唯香ちゃんがどれだけ皆に愛されてるか
気が付けたかな?
世間を賑わせた一連の騒動も、
これで終結。
唯香ちゃんと雪貴は、晴れて事務所公認として
受け止められる」
TVから流れてくるのは、
隆雪さんが私にくれた大切な一曲。
雪貴が私の為に作ってくれた一曲。
今は……雪貴の心の中に燻っていた
ありのままの本音。
気が付いたら画面に食い入るように
夢中になりながら、
涙を流してる私がいた。
Ansyalの記者会見が終わっても、
涙は止まらない。
ふいに携帯電話が鳴り響く。
鞄から取り出した携帯を確認すると
発信者は百花。
「もしもし」
「唯香、託実から聞いた。
倒れたって言ったけど、落ち着いた?
そこに裕兄さまいるんでしょう?」
「うん。
今日は無理しちゃだめだよって
言われたけど……」
「うん、あたりまえよ。
Ansyalの記者会見、見たわよね。
雪貴幸せにできるのは、
唯香しかいないし、唯香を幸せにできるのも
雪貴しかいないんだから。
何があっても手放さないのよ」
百花はそう言うと、電話を切った。
携帯を閉じてテーブルに置くと、
裕先生はくすくすと笑ってた。
「ごめん……。
百花ちゃんの声が大きくて、
電話越しに聞こえてた。
当初の印象と違って
百花ちゃんはパワフルだね。
託実が百花ちゃんに敷かれてしまうのも
時間の問題かな」
そんなことを言いながら、
裕先生はノートパソコンを開いて
作業を始めたみたいだった。
シーンとした部屋に、
カチャカチャとキーボードを叩く音だけが
広がっていく。
再び携帯電話を手に取って、
映し出すのは、
雪貴の名前と電話番号。
声が聴きたい……。
ただその思いで、
発信ボタンを押す指先に力を込める。
暫くコールが続くものの、
電話にでる気配はない。
諦めて電話を切ろうと思ったとき、
電話の向こうから、
大好きな雪貴の声が聞こえた。
「……唯ちゃん……。
久しぶり」
「うん……。
ごめん、雪貴」
駄目だ……。
涙腺崩壊日だよ。
ようやく止まった涙が、
また止まらなくなって
電話口で泣きながら鼻をすすってる私。
「後でそっちに顔出すから。
今から移動なんだ、
事務所に戻ってから帰るから」
雪貴は静かに告げると、
電話は切れた。
雪貴との電話が切れた後、
涙を必死に止めようと、
冷えてしまった残りのハーブティを一気に飲み干す。
するとホテルのフロントからコールが鳴り響く。
フロントコールの電話をすかさず受ける
裕先生。
「わかりました。通してください」
短くそう告げて電話を切ると、
裕先生は私に向き直った。
「唯香ちゃん、
お客様が来たみたいだよ」
そう告げると、
暫くしてお客様らしき人を
室内に迎え入れた。
裕先生と一緒に室内に入ってきたその人に
思わずドン引きする。
「りっ……理事長」
泣き崩れてぐちゃぐちゃのメイクすら
直す時間もなく、
ソファーから思いっきり立ち上がって
深々とお辞儀した。
急に行動を起こし過ぎて、
ふらつく体。
その体を支えながら、
視線で怒ってる裕先生。
裕先生になされるまま、
また私はソファ-へと誘導される。
いつも優しいだけだと思ってたのに、
怒ると一瞬に周囲の空気が凍り付くんだ。
新たな発見をした頃、
理事長は裕先生へと
ゆっくりと敬愛の姿勢をとった。
「一綺、体を起こしなさい。
私が貴方の最高総で
あったのは随分前ですよ。
紫さまが理事長より退き、
今は貴方が学院理事長です。
後のことはお任せしましたよ」
やんわりとした口調で再び、
理事長に語り始める裕先生。
あれっ?
今気がついた……。
理事長と裕先生の髪型って同じだよ。
それに、裕真先生や高臣さんも。
それは皆、私が学生時代の理事長がしていた
髪型と全く同じことに今更気が付く。
何か意味でもあるのかな?
そんなことを考えていた時、
「緋崎先生」っと理事長に声をかけられた。
慌てて理事長に向き直る。
「この度は申し訳ありませんでした。
理事長」
座ったままで申し訳ないなと思いつつも、
立ちあがるとまた冷気に充てられそうで
その場で深く頭を下げた。
「改まらないでください。
こちらこそ、学院に関係する生徒も教師も
守るべき立場にいる存在で有りながら、
今回、このような形で緋崎先生を苦しめてしまって
申し訳ありません。
臨時講師として採用した土岐先生ですが、
先ほど辞職頂きました。
学院理事メンバーそれぞれが管理する、
町の至る所の防犯カメラが、
緋崎先生をストーカーする彼の異常性を立証しました」
さらりと告げられた理事長の言葉。
私は理事長室に集まっていた、
財界の有名人たちの姿を思い返していた。
町中が神前悧羅学院の手の内ってこと?
「あの……私は?
裕先生には、処分なしと伺ったのですが」
「そうですね。
生徒である宮向井雪貴君と、
恋人関係であったのは当人同士の自由ですが、
社会的モラルにおいては、
いささか意識が薄かったようですね。
宮向井君と、宮向井君のご両親からの嘆願。
そして緋崎先生のクラスの霧生音弥くんをはじめとする
生徒たちが緋崎先生の処分を軽減するように、嘆願書を
持ち込んできました。
生徒たちにここまで思われる、人気の先生を
処分するわけにはいきません。
どうぞ、緋崎先生には彼らが卒業するまで
しっかりと教師として
活躍していただきたいと思っています」
理事長はそうやって告げると、
ゆっくりとホテルから出ていった。
雪貴のご両親や、
霧生君たちクラスの皆が、
私を守ってくれたんだ……。
そう思うと、嬉しくて
また涙腺が崩壊した。
日付が変わって暫くすると、
雪貴がホテルを訪ねてくる。
雪貴が来たのと同時に、
裕先生は席を外してくれた。
久しぶりに抱き合う私たち。
体はもっと、もっとと
雪貴を欲するけれど、
私の中で一つの決断があった。
雪貴が高校を卒業するまで、
もう体の関係は
我慢しようと思っていること。
今は生徒と教師であることに、
変わりないから。
立ったままお互いの体を
密着させ続けた後、
雪貴は真剣な眼差しで私に告げた。
「唯ちゃん、
高校出たら結婚して欲しい。
今はまだ唯ちゃんの生徒だけど、
卒業したら……
唯ちゃんと同じフィールドに立てると思う。
留学中も思い通りに行かなくて、
悩んでたけど、最後まで留学もやりきる。
一年後の留学の集大成として、
惣領さんがDTVTとの共演を企画してくれたんだ。
その場所で、俺は兄貴の曲と俺の曲。
今日の記者会見で演奏した曲を、ピアノ協奏曲として編曲して
演奏する。
だからその時は見届けに来てほしい」
突然告げられたプロポーズは、
雪貴の覚悟そのもので……
私はまた嬉しく涙腺が崩壊してしまった。
そんな私の涙を指先で掬い取りながら、
雪貴は逞しく続ける。
「唯ちゃん、返事は?」
雪貴の問いかけに、
ゆっくりと頷いた。
翌日、私は
雪貴のマンションへと一緒に帰宅する。
二人きりになると、
私たちはやっぱりピアノが会話になってしまう。
「雪貴、留学の成果聴かせて貰うよ」
ピアノを前にすると、
瞬間に講師になってしまう。
雪貴もまた、ゆっくりと頷くと
現在、腱鞘炎でオクターブ奏法が中心になる曲を
ドクターストップされていること。
そして表現力の練習の為に、
テレーゼを課題曲をされている旨を告げて、
雪貴はゆっくりとピアノ鍵盤に指を躍らせ始めた。
テレーゼを題材に、
お互いの時間を高めあう。
その甘やかな繊細なメロディーは、
甘やかな恋そのもので、音の一つ一つに
沢山の表情が隠されていて。
時間を忘れて、語り合い続けた時間。
寂しかった時間は、
ゆっくりと埋められていく。
雪貴は留学先に戻る日程をもう少しずらして、
悧羅祭まで日本で過ごした。
神前悧羅祭。
学院の一大イベント。
三校の生徒が一堂に悧羅校舎に集い、
OBやOGたちも姿を見せるその日、
Ishimaelと共に、
Ansyalもステージで演奏。
ステージの傍。
後ろの方で、遠慮気にAnsyalを
雪貴を見守る私を、
学院の生徒たちが
定位置のドセンへと引っ張っていく。
生徒たちに背中を押されるように、
引きずられたドセン。
「ほらっ、唯ちゃん。
もう隠す必要なんてないんだから、
思いっきり叫べばいいじゃん」
なんて軽いノリで囁く音弥。
周囲の生徒たちも、
遊び半分優しさいっぱい。
ゆっくりと息を吸い込んで、
はち切れるばかりの声をステージに向ける。
「Taka~」
大勢の生徒たちの声と
一緒に届けられるはずの声援は、
何故か私一人。
えっ?
一気に赤面する私に、
次の瞬間『ずげぇー』なんて生徒たちから
声が次々と上がり始める。
ステージの上の雪貴は、
相棒のゼマティスを掲げながら
嬉しそうにパフォーマンス。
その夜、ステージを終えた雪貴と
後夜祭の花火を楽しむ。
「雪貴、待ってるから。
ちゃんと留学やり遂げて、
成功させて帰ってくんだからね」
雪貴の出国を明日に迎えた
その日、花火を見つめながら
ゆっくりと手をつないだ。
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