1.暗闇の中の光 - 雪貴 -


兄貴が死んだあの日から、

俺の時間は止まった。



壊れかけのネジを

必死に回し続けて

歩き続けた時間は

Ansyal、ラストLIVE。



兄貴の告別式の日を

最後に停止した。




自分でも

びっくりするほど

ストンと動かなくなった。





Takaのファンも

全てが俺を

受け入れてくれるわけじゃない。




突きつけられる

言葉の刃に、

何もできないまま

ただ追い詰められていく

時間の中で、

ただ一人、暗闇の中もがき続けてた。




あの再生と終焉のあの場所に

唯ちゃんと裕先生が来てくれて、

唯ちゃんと関わるようになって

動き始めた時計。




俺は暗闇から、

一歩踏み出した。





あの日から二週間。




季節は卒業シーズンを

迎えようとしているのに、

踏み出したはずの俺は、

まだ何も出来ていなかった。




今も……病室のベッドに

寝転んだまま。





神前大学附属病院の一室。



病室の窓から

唯ちゃんの勤務先兼、

俺の通う学校がある方へと

遠く視線を向ける。






どんなに目を凝らしても、

広い学院都市内。




学院が

見えることなどないのに。






唯ちゃんのいない病室は、

俺の心の空虚さを際立たせて

暗闇へと手招きを始める。





兄貴の死の後、

体調を崩して、

心を壊した俺は

今も学院へは

一度も通学すら出来ていない。






ベッドサイドの携帯電話を手に取って、

画面に表示させるのは、

唯ちゃんのメルアド。









唯ちゃん、何してる?


今日は何時ごろ、

来れるかな?


来る時、

本を持って来てほしいんだ。












メールを送信し終えると、

携帯を手にしたまま、

また外を見つめる。







馬鹿みたい。






俺自身もそう思うのに、

弱った心は、

唯ちゃんに縋ることしか

出来ないでいる。




だから……こうやって、

唯ちゃんが仕事に行っている間は、

病室から何度もメールを送信する。









雪貴、ちゃんと寝てる?


まだ体力回復してないんだから。

どれだけ衰弱してたと思うの?


ちゃんと寝てなさい。


今日は、職員会議があるから

その後に、ちゃんと顔出すから。



何の本が欲しいのか、

詳しくメールしておいて









数分後、折り返し入ってきた

唯ちゃんからのメールを見て、

俺の心の中に、少しの明かりが灯る。





また慌てて、

買って来て欲しい本を装って

タイトルを送信した。







職員会議がある日なんだ。





職員会議の日は、

会議が長引くと

本当に遅くなる。






退屈な時間をもてあましながら、

ゆっくりとベッドに転がった。






(ガラガラ)





ドアが引かれる音が聞こえて、

慌てて、体を起こす。





何時の間にか寝てたのか。









「あっ、ごめん。

 雪貴、起こしちゃったね」








ひょっこりと顔を覗かせて、

ベッドサイドへと

歩いてくる唯ちゃん。






「あれっ、職員会議の後まで、

 来れないんじゃなかった?」


「その予定だったんだけどね。


 時間見つけちゃった。

 今は、何時間目でょう」




俺に問題を出すように、

柔らかに微笑みながら

紡ぐ唯ちゃん。



携帯の時計をチラリとみて

「5時間目だろ」っと、

すかさず返答する。




「うん。

 5時間目。

 

 木曜日の5時間目。

 

 私、授業がないの。

 何時もは……

 授業の準備したり、

 音楽テストの問題作ったりしないと

 いけないんだけどね。

 

 今日は先に済ませちゃって

 その必要もなし。

 

 貴重な一時間休憩。

 

 目と鼻の先に、雪貴がいるのに

 ここに来ないわけにはいかないでしょ」





悪戯っ子のような表情で、

舌をチラリと可愛らしく出して、

お茶目さを演出する唯ちゃん。





「唯ちゃん、こっちおいでよ」





病室のベッドへと呼び寄せて、

そのまま唯ちゃんに腕を伸ばす俺自身。





「雪貴は、甘えただねー。

 ホント、

 こんな甘えただとは予想外だよ」



予想外ってなんだよ。

そんな言い方。




少し拗ねたような態度で、

唯香と向き合う。




「あぁ、また可愛いことしちゃって。

 お姉さんが、遊んであげるから」


「何?


 唯ちゃんが……

 俺と遊んでくれるの?


 どんな遊び?」




何気ない、

じゃれ合いの言葉が

今はとても心地よくて優しい。





「もう、雪貴ったら」






遊びを大人の世界の

イメージへと変換したのか、

赤面させつつ、照れくさそうに

俺の隣から立ち上がった。



鞄の中から、

何時の間に準備していたのか

取り出した赤い林檎。



勝手知ったる、病室の引き出しから

果物ナイフを取り出すと、

クルクルと器用に皮をむいていく。



ツルンと皮がむけた林檎を、

今度は器用にすりおろして、

テキパキと仕上げていくのは、

唯ちゃんお手製の100%林檎ジュース。




果実入りの林檎ジュースを早々に仕上げると、

マグカップにうつして、

俺の前へと差し出す。





「はいっ。

 ちゃんと飲むんだぞ」




マグカップは、

唯ちゃんの手によって、

俺の両手にすっぽりと

はめ込まれる。






「雪貴って、ほんと食に対して

 関心が薄いよね。


 私もそんな時期経験あるから、

 無理に食べろって言うことはしないけど。


 私が作ったものなら、

 ちょっとは食べてみてもいいかなーって

 思ってくれないかなってさ。


 私が作ったご飯、

 前に気に入ってくれたでしょ。


 病院のご飯が嫌だったら、

 ちゃんと私が作りに来るから。


 裕先生にもちゃんと許可貰うから。


 いきなり固形物は、胃がびっくりしちゃうから

 今日はもう暫くは、林檎ジュースね」



「林檎ジュースって、子供の飲むもんだろ」





林檎ジュースなんて、

久しく飲んでいない。



小さい時、風邪を引いた時とかに

兄貴やお袋が、飲ませてくれたキリ

口にしていない。




「ほらっ、ちゃんと美味しいんだから。

 飲みなさい」




促すようにせかされて、

口に含む。




ほのかな甘さと香りが、

口の中に広がっていく。




「あっ、いけない。

 休憩時間終わっちゃった。

 今度は職員会議の後に顔出すから。


 今日も病院に泊まっちゃおうかなー。

 そしたら、雪貴も寂しくないでしょ。


 一度家に帰って、明日の着替えもとってくるから

 少し遅くなるかも」





腕時計をチラリとみて、

唯ちゃんは慌ただしく病室を飛び出していった。






唯ちゃんが居なくなった病室。




手にした、林檎ジュースを

少しずつ時間をかけて、

口に含んでいく。





ただ、カップ一杯の林檎ジュースすら、

飲み干すのに長い時間がかかる。



途中、押し寄せてくる

吐き気と必死に戦いながら

飲みきる。







唯ちゃんは光だから。





今もこんな俺に

真っ直ぐに向き合ってくれる。




唯ちゃんが俺を見つめる

眼差しが優しくて。





今日も彼女の優しさに、

甘えてしまう。







彼女だけが、

暗闇の中の一筋の光だから。




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