第13話「影の中の“記録者”」

 薄闇に包まれた地下通路。ノエルの足音が、冷たい石壁にこだまする。手の中には、先ほど拾った“記録の欠片”——小さな黒い冊子。それには、信じがたい名前が記されていた。


《記録者:ノエル・アッシュフォード》


自分が記録者? そんなはずがない。記録者とは、ループ世界の記録を刻み、他者の記憶を写し取る謎の存在 今まで自分の行動を監視していた、あの“影の存在”ではなかったのか。


黒ローブの女が現れる。「君はまだ、気づいていないのね。本当の自分に」


ノエルの喉が渇く。女は続けた。「君は何度も同じ時間を繰り返し、その記録を自分自身に残してきた。記録者の役目は他者にあると思っていたかもしれない。でも、それは錯覚。君自身が」


「嘘だ……!」


ノエルが叫ぶ。「俺はただ巻き込まれただけだ。記録者なんかじゃない!」


女は微かに微笑んだ。「では聞くけど、なぜ“前のループ”の記憶を時折フラッシュバックする? なぜ“本当は知っている”ような違和感を抱く?」


 ノエルの胸が締めつけられる。リュカ、エリス、教師だった父、殺された男。すべての記憶が、どこか“他人の人生”のように思えていた。あれは、自分が“観測”した記憶?


「俺が、自分自身を記録していたっていうのか?」


「そう。そして、その記録を“もう一人の君”が読み取っていた」


「“もう一人の俺”? ……誰だ、それは」


そのとき、通路の奥からもう一つの足音が響いた。現れたのはノエルと瓜二つの少年——冷たい眼差しと、無機質な表情をした“ノエル”だった。


「はじめまして、“本当の僕”」


ノエルの喉が凍りつく。影ではなく、確かな肉体を持った“もう一人の自分”がそこに立っていた。


「君が……記録者……?」


「違う。“君が”記録者。僕は、その記録を“再構成”する役目を与えられた存在。記録は、君が苦しみながらも何度も刻みつけてきたものだ。それを読むためだけに、僕は存在している」


黒ローブの女が低く言った。「これが真実。君が自ら刻み、君が自ら騙されてきた真実」


ノエルは頭を抱える。ループ、記録、自白、追憶、すべての行動が、記録者としての職務だった? だとすれば、自分はなぜ今までその事実を忘れていた?


「記録の副作用よ」と女。「あまりに多くの記憶を書きすぎて、自我が分裂したの」


「……だったら、なんで俺は……今、ここにいる……?」


“もう一人のノエル”が答える。「君が限界に達したからだよ。分裂した自我と、本来の君が一つになるために、最後の“統合”が始まった。君は、今から…」


彼の言葉を遮るように、空間が震えた。


ノエルの脳裏に、断片的な記憶が一気に流れ込んでくる。父の死、リュカの涙、エリスの笑顔、何度も繰り返された死と再生。すべてが繋がっていく。


「俺が……あの男を殺した理由……わかった」


ノエルの目に、かすかな光が戻る。


「彼は、“記録を消せる存在”だったんだ。だから、俺は恐れた。すべてが消えることを。何度も記録してきた意味を失うことを」


黒ローブの女が静かに頷く。「君が守ったのは、世界じゃない。“記録”そのもの」


ノエルは“もう一人の自分”を見つめる。「お前を消せば、この記録の連鎖は終わるのか?」


もう一人のノエルは、無表情のまま首を横に振る。「消すことはできないよ。なぜなら」

彼は胸を指差す。


「僕は君の“最終記録”だから。君が選ばなかった記憶。君が見たくなかった過去。そのすべてを記した、最後の断片」


ノエルは震える拳を握る。


「だったら、せめて選ばせてくれ。この記録を……続けるか、断ち切るか」


黒ローブの女が、ノエルの前に一冊の本を差し出す。そこには、まだ空白のページが残されていた。


「選んで。ノエル。君が記録者である最後の証として」


ノエルは深く息を吸い込み、そしてページを、ゆっくりと開いた。

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