芽吹きの守護者

幸まる

芽吹き

「私、エルフになろうと思うの」


市場で幼馴染のリディアが言った言葉に、ネリオは思わずポカンと口を開けた。

数度瞬いてから、軽く頭を降りつつ、買ったばかりの野菜を籠に入れる。


「エルフって、物語に出てくるあれだろ? 耳の尖ったやつ」

「そう、“芽吹きの守護者”。森の植物や生き物を守って、精霊達と心を通わせるの。素敵よね」


そう笑って言って、リディアは青果店に木の実を卸して空になった籠を抱え直した。

高い位置に括った栗色の髪が楽し気に揺れ、襟巻きの上を毛先が滑っていく。


「……まあ素敵かもしれないけどさ、なりたくてなれるもんでもないだろ、そんなもん」


ネリオは籠に収めた野菜を確認してから、背負紐を持って片方の肩に掛けた。



リディアは昔から夢見がちな少女だったが、まさか今でもそんなことを言い出すとは思わなかった。

子供の頃ならともかく、物語に登場する不思議な生き物たちは、もちろんエルフだって架空のもので、世界には魔法なんて存在しないことなんて、十六を過ぎた成人した今はもうよく分かっているはずなのに。



ネリオの考えに反し、リディアは薄くそばかすの散った顔をツンと逸らした。

春が近付いているとはいえ、まだ空気は冷たく、彼女の鼻先は少し赤い。


「別に物語のエルフみたいに、耳を尖らせたいとか、綺麗な見た目になりたいとか、そんな風に考えてるわけじゃないわ。ただ彼等みたいに、森の環境を整えるお手伝いをしようと思うってだけ」

「何のために?」

「日々の糧の感謝のためよ」


軽く肩をすくめ、リディアは歩き出す。

ネリオはその後に続いた。



リディアは町外れの森に近い場所に、年老いた祖父と二人で住んでいて、毎日森へ入り、木の実や果実、茸や山菜など、森の恵みを得て生活の糧としている。

リディアを産んで亡くなった母も、同じようにして生活を支えていたと聞いている。

祖父は、森の樹木を材料とした工芸品や素材を作る職人だ。

五年前に亡くなった父は猟師で、一家はこれまでずっと森に生かされてきたと言っても過言ではなかった。


そんなリディアが森の為に尽くしたいと思うのも頷けるが、それにしたって、エルフとは飛躍しすぎというものだろう。

ネリオは、こっそりとため息をついた。


「まあ、……感謝を行動で示すのはいいんじゃないか?」

「そうでしょう? 気持ちだけでも、エルフになるつもりで頑張ってみるわ」


上辺だけだが肯定してやれば、思っていたよりも嬉しそうにリディアが頷いたので、ネリオは「頑張れよ」の他にはもう何も言えなかった。

少し前に、リディアの兄弟同然に暮らしてきたヤマネコのニニがいなくなってから、彼女は随分と沈んでいた。

エルフの真似事をして気分が変わるというのなら、それも良いだろうと思った。





「え? 今日もずっと森に?」


外気が随分ぬるんだある日、久しぶりにリディアの家を訪れたネリオは、彼女の祖父の前でそう言って眉根を寄せた。

聞けば、リディアは家事や市場に品物を売りに行く以外の時間を、毎日ほとんど森で過ごしているという。


日当たりを良くするために、ハシゴを持って入り、枝の剪定をする。

吹き溜まりになっている場所は、余分な落ち葉を除き、苗木の成長を妨げる雑草は慎重に刈り取る。

もちろん、リディアが一人で出来ることなど、微々たるものだ。

森の奥へだって、一人では入れない。

それでも、彼女は黙々と森外れでの作業を続けていたのだった。



革加工職人見習いのネリオは、リディアの父親が存命の頃は、彼の狩った獲物の皮を仕入れる関係で、度々工房の使いに来ていた。

しかし、今はそれもない。

別の狩人の所へ行ったついでに、少しだけ様子を見ようと寄ってみたら、この状態だ。


ネリオも、あの日からリディアが森の中での作業をコツコツと行っているのは知っていた。

市場で合う度に、本人から軽く話を聞いていたからだ。

意外と楽しそうに見える様子から、気が済むまでやれば良いと思っていたが、まさかそこまで根を詰めて作業していたとは知らなかった。


「なんで止めないんだよ、爺さま。いくら何でも、一人でこれだけ長く森の中にいるなんて」


リディアが森に慣れていて、一人では奥深くへ踏み入らないといっても、春先は冬眠から覚めた獣が、空腹で人里近くまで彷徨い出てくることだってあるのだ。


「止めても聞きやしないんだ。おそらく森の手入れをするって名目で、ニニをずっと捜しているのさ」

「ニニを?」

「そうさ。まだ諦めきれないんだろう」


祖父は、乾燥させた樹皮に油を塗りながら首を振った。

その表情には、呆れと共に憐れみの色が滲む。


ニニは、昔リディアの父が、森で痩せこけて死にそうになっていた子供のヤマネコを見つけ、連れ帰ったものだ。

元気になったら森に帰そうと考えていたが、一生懸命世話をしたリディアに懐いて、居着いてしまった。

それから十数年、リディアの家族として暮らしてきたが、少し前に姿を消したのだ。


ネコは死期を悟ると姿を隠すと聞く。

もしかしたら、リディアはニニが死を覚悟して森に帰ったと考えているのかもしれない。



ネリオは窓から見える森を見た。

そして、窓際に置かれている古い本に気付く。


“芽吹きの守護者”


見目麗しいエルフが、動物達と心を通わせながら、共に森と精霊達を守る物語だ。

ネリオもリディアと共に、子供の頃に何度も読んだ。


ニニがいなくなった今、この本を手元に置いて、彼女はどんな気持ちで森を眺めていたのだろう。

その心の内を思い、ネリオは奥歯を噛んだ。


「気が済むまで、好きにさせてやればいい」


扉に向かうネリオの背に祖父は言ったが、ネリオは「ほっとけないだろ」と口中で呟いて、足早に森に向かった。




ネリオは森に足を踏み入れて、驚いて上を向いた。

森の外れにはそれ程大きな木はないが、そのどれもが良く手入れされていた。

程良く枝打ちされた間から、雲ひとつなく、澄み渡った青い空が覗く。


確かにリディアは、森の環境を守るために、細やかな努力を重ねているのだ。


踏みしめられた細い小路を行けば、木に立てかけたハシゴに登った、リディアの後ろ姿が見えた。

年頃だと言うのに、動きやすさだけを考えた服装は、ネリオが身に付けている男物の作業着と大して変わらない。

そんな彼女は、後ろにまとめた栗色の髪に、落ち葉の欠片をつけて、木の上に腕を伸ばしていた。

ハシゴのギリギリ上に登り、それでも背伸びをして危なっかしく、今にもぐらりとバランスを崩しそうだ。

ネリオは血の気が引いて、焦って駆け寄る。


その瞬間、一羽の鳥が鋭く上空から飛んで来て、ギーッと鳴きながらリディアに迫った。


「きゃあ!」

「危ないっ!」


ハシゴを踏み外したリディアを、ギリギリ間に合ったネリオが下で受け止める。

ハシゴは倒れ、二人はそのまま草の上に転がった。


「いって……」

「ネリオ!? どうしてここに……、あっ、大丈夫!?」

「『大丈夫!?』じゃないだろっ!」


ネリオを下敷きにしてしまったリディアは、急いで身を起こして言ったが、ネリオに腕を掴まれてすごい剣幕で迫られ、目を見張る。


「何やってんだ! 下手したら大怪我してたぞ!」

「だ、だって、枝打ちしていたら、ヒナが落ちてたんだもの」

「ヒナ?」


見上げれば、巣らしいものの端が、枝の分かれ目の所から見えていた。

さっき飛んできたのは親鳥なのだろう、巣のそばでこちらを威嚇している。


「……あのヒナ、巣から落ちて弱ってたの。そのまま置いてたら、きっと死んじゃうから……」


そこまで言って、リディアは表情を歪ませた。

森の中で弱った動物。

それはまさに、リディアの父が拾ってきたニニと同じで、見つけてしまったからには放っておけなかったのだろう。


ネリオは深く息を吐いた。


「それにしたって、無茶しすぎだ。ニニを捜したい気持ちは分かるけど、何もここまで一人でやらなくてもいいだろ」

「捜しているわけじゃないわ」

「そうなのか?」

「だって、ニニは、もう……」


俯くリディアの声は震えている。



ニニがいなくなって、リディアはすぐに森の外れを捜した。

年老いたニニがもうすぐ亡くなることは予想していた。

死期を悟って出ていくのなら、きっと生まれ育った森へ行くのだろうと思っていた。


リディアの予想通り、ニニは森に少し入ったところで見つかった。

もう冷たくなっていたニニを抱き、リディアはいつも木の実を採る辺りの木の根元に埋めた。


生命は、森に還る。

その魂は、精霊となってずっと森と共に在り、いずれまた新しい生命となって生まれる。

それが、“芽吹きの守護者”の物語で語られる生命の循環だった。


「……だから、私はエルフになりたかったの。ニニが眠る森を守りたかった。ニニが精霊になって、いつか、いつかまた、私のところに帰ってきて欲しくて」

「リディア」

「だって……だって、私、そうじゃなきゃ、一人になっちゃう……」


母も、父も逝った。

ニニは突然いなくなり、祖父もまた、日に日に弱っていく。


リディアは、いつだって、いつかやってくる“ひとりぼっち”を怖れていたのだ。



「俺がいる」



ネリオは、堪らずリディアの身体を引き寄せ、草の上でしっかりと両の腕と厚い胸で包み込んだ。

彼女の寂しさを表すかのような細い身体は、一度ふるりと震えたが、一拍置いて、ぎゅうとネリオの胸の辺りのシャツが握られる。


「俺が、一緒にいる。一人なんかじゃない、絶対」


ゆっくりと、リディアの身に染み渡らせるように、ネリオは言った。

ずっと胸の奥にあった気持ちが、はっきりとした熱を持って言葉になり、ネリオ自身とリディアを包み込む。


「だからもう、一人で泣くな」


静かに涙していたリディアから、嗚咽が漏れた。




ざあ、と風が吹いた。


風で揺れた枝葉の間から、キラキラと木漏れ陽が舞う。



『お前の気持ちと献身は、確かに受け取った』



聞いたことのない涼し気な響きが、風の音と共に耳に届き、二人は同時に顔を上げる。


鳥のヒナを返した枝の上に、年若い青年が立っていた。


陽を弾く金糸の髪。

白く輝く陶器のような肌。

整った美しい顔立ちに、切れ長の冷涼な緑翠の瞳。

そして、サラリと流れた髪の間から見えるのは、人間とは違う尖った耳……。


艶のある濃緑のローブを緩く風に揺らし、彼はふと、光を生むように微笑んだ。


『この子はいつか、お前の下に帰るだろう』


差し出した手の平の上には、ほわりと仄かに輝く光があった。

その光がネコのように伸びをすると、さっきよりも強く、ざあ、と風が吹き、二人は反射的に強く目を閉じる。


葉擦れの音と共に、「ナー」と細く、ニニの声が聞こえた気がした。





目を開けると、いつもの森の景色が広がっていた。


木の上では、警戒を解いた親鳥が、ヒナに餌を与えている。

穏やかな葉擦れの音とそよ風。

柔らかな日差しは、どこか暖かさを増して輝いていた。


「……夢?」

「いや、俺も見たけど……」


二人は目を見合わせ、同時にふと微笑んだ。

まだ涙で濡れているリディアの目元を、ネリオは袖口で拭う。

少しだけ照れたような顔で、それでももう一度だけリディアを抱きしめて離し、立ち上がる。


「行こう、一緒に」


差し伸べられた手を、リディアは微笑んで握った。





数年後の初春、町外れの森に近い小さな家で、年若い夫婦の元に新しい生命が生まれた。

その日は穏やかな風が吹き、森の木々は柔らかく新緑を揺らした。


それはまるで、森がその瞬間を祝い、喜びの歌を謳っているようだったという。




《 終 》

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