第19話 貴族学校 ②新しい姿 -2/2-

アルスはアドニスと共に、一足先に山を降りて「濡れていてゴメンね」と言ってファータに跨がった。

「寒くありませんか?」

「ちょっと冷えてきたわ。水、冷たかったのよ。でもまだ大丈夫。天気もいいし」

「そんな……早く行きましょう」

アドニスが苦笑してアルスを促した。


アルスとアドニスはのんびり進んでいく。

「もう少し早くします?」

「んー、良いわ」

しばらく走って、半分手前に来ただろうか。途中で風向きが変わって、アルスはアドニスの馬が巻き上げた砂埃でくしゃみをした。風は強く吹き、アルスは真後ろを行く限り、何度もくしゃみをする事になった。

するとファータが察して、少し右側、風上に移動してくれた。

「まあ、ありがと。けほっ、ファータ、でも、ごめん、ちょっと止まってくれる?」

アルスは一旦止まって、くしゃみを繰り返した。

アドニスも止まって「すみません、並びましょう」と言った。


「そうね、結構来るのね埃って。あー目が痛いわ……」

アルスはハンカチを取り出して、瞬きを繰り返して目を拭いた。思いっきり砂が入ってしまって痛い。

「この辺りは砂地ですからね。お水、飲みますか?」

「ええ、もらうわ」

アルスは目を拭きながら言った。涙が止まらないのだ。

「――あっ? はい」

アドニスが自分の水筒を鞍から外して、水を注いで、コップをアルスに手渡した。

アルスは水を飲んで、落ち着いたのでコップを返した。

「ふう。ありがとう」

「いえ、行きましょう。僕も少し寒くなって来ました」

「そうね急ぎましょう――」


(ファータって凄く良い馬なのね。乗りやすいわ!)

アルスはそんな事を考えていたのだが。

あと数分で厩舎、と言う所で、アドニスがこちらを見た。


「アルスちゃん、腰、光ってますよ?」

「え? 何が?」

「手紙では?」

「あ! 本当だわ」

左腰のプレートケースから青い光が漏れている。

「後で良いかしら――あ、でもお城からかも。ごめん、先に行っていて」

「いえ、待ちますよ」

アドニスが紳士的に言った。アルスは止まって、馬上でプレートを取り出した。

「そう? ありがと。――あらプラグ?」

アルスが浮かんだ文字を認識した瞬間に『大丈夫か!』と言う大声が響いた。


『アルス、水を飲んじゃ駄目だ! 水筒の!』

「えっ?」

アルスは吃驚した。

『俺とシオウの水筒に毒が入ってた! ああ、でも、大丈夫!? 今どこ!?』

アルスは焦りながら、確認した。

「――大丈夫よ、水筒って、アドニスのはいいの!?」

『大丈夫だけど、飲まないで!』

「えっ飲んじゃったわ……!」

『ええっ!? 大丈夫っ……!?』

「何とも無いけど、どんな毒なの?」

『えっ!? 飲んだんだよね?』

するとアドニスが近づいて、会話に入って来た。

「プラグ君! 飲んだのは僕の水筒からです。そちらは問題ないんですね?」

『……ッ! アドニスの!? よかった……!』

プラグが息を吐く声が聞こえた。


そこでシオウの『代わる』と言う声が聞こえた。

『アルス、たぶん俺狙いだ。もう手配してあって、厨房に隊士が入ってる。リーオが来るからそのままそこで待って、リーオと合流して後は指示に従って風呂。悪いな。アドニス、助かった。一応、もう飲むなよ。ちなみに毒はヘイズアオジ。めっちゃ猛毒』

アドニスが息を呑む。

「っ!? 分かりました。危なかった……! 警護します」

アドニスが言って手紙を終えた。


毒の名前を聞いたときアルスは愕然とした。ヘイズアオジは、どんな大男でも一口で死ぬという猛毒だ。

「ヘイズアオジ……!? うそ……! ――あ、あの人だわ!?」

アルスは水筒をもらった時の事を思い出した。


出かける前、プラグと一緒に水筒を受け取りに行ったのだが……。

シェフ達は片づけをしていて、一人が水筒の受け渡しをしていた。

水筒には所有者は無く、毎回適当な物を持って行く。

休みなのでナダ=エルタは沢山氷を作っていて、鍋に新しい氷が山盛りになっていた。

水を入れて、氷を入れて蓋を閉めて終わり、という簡単な作業だが、沢山あるので、作りかけの水筒がある。アルスとプラグはいつも通り、蓋が閉まった物を取ろうとしたのだが。

『あ! ちょっと待って、その辺、氷が少ないから。作り直す。こっちで』

自然な動きで手元にあった水筒を渡された。シオウの分もだ。

渡してくれたのは一番若いシェフで、アルス達が宿舎に入った時からいたと思う。


「――うそ、あの人、ずっといた人なのに……!」

「……大変ですね。とりあえず待ちましょう」

アルスは頷き、リーオが来るのを待った。


■ ■ ■


リーオが迎えに来て、アルスとアドニスはクロスティア騎士団本舎の風呂を借りた。

初めて使ったが、多少広くてしっかりしているかな、と言うくらいで、大差はなかった。

当然、男湯、女湯は別になっているが、宿舎と違って部屋は横並びになっていた。

着替えはリゼラがアルスの部屋から持って来てくれた。夕飯まで時間があるので訓練着だ。


今日の夕食は本舎で摂るというので、アルスは、アドニスや山に行かなかった候補生達と一緒に本舎の食堂で待っていた。

退屈だろうと言う事で、リーオが毒についての本を持って来て即席授業をしてくれた。


――毒には色々あるが、植物の毒、動物の毒、いわゆる『自然毒』には『治療』や『解毒』プレートが効く。

しかし即死してしまうと、当然だが『治療』は効かない。

毒が強い場合、症状が重い場合も、命を落とす事が多い。


もっと恐いのが精霊の作る『精霊毒』で、こちらは治療のプレートが効かない。

『精霊毒』に唯一効くのは『解毒』のプレートだが、『治療』と違って希少で、あまり普及していない。現在、『解毒』の管理はセラ国の聖女教会が行っているが、全て行き渡る程は無く、クロスティア騎士団にも『解毒』の赤プレートは一枚しかないという。


「毒味についてはこれから見直す。皆が知識を持って、しっかり気を付けるように。騎士は毒を盛られることも多いからな」

リーオの言葉にアルス達は『死んじゃってもイイヨ』の念書を思い出していた。


そして山から戻って来た候補生達に話を聞いて、アルスは真っ青になった。

「ええッ――プラグ、飲んじゃったの!? 大丈夫!?」

「うん、治療が早かったから助かった。もう何とも無いよ」

そのプラグも一緒に戻っていて、普通に笑っている。

アルスは動揺した。

「大丈夫なの……!?」

「平気。少し疲れたくらい。今日は医務室に泊まるけど。お腹空いた」

プラグは大丈夫そうだが……。アルスは生きた心地がしない。

「シオウは!? 無事なの?」

「シオウも無事。今は宿舎かな」

「……よかった……」

アルスは溜息を吐いた。


「今日は安静にしてね、絶対よ?」

アルスはプラグに言った。

けろりとしているが……ヘイズアオジは青くて小さい花の沢山ついた、見た目は可愛い植物なのだが、一口で死ぬ猛毒だ。

「分かってる。熱が出るかもしれないし。アルスが無事で良かった。アドニスに感謝しないと……」

「それより、早く医務室に行って下さい……!」

アドニスに言われて、プラグは「あ、そう?」と言う顔をした。

「もう早く、医務室に行って。食事は持って行くから!」

アルスの言葉にプラグは渋々……と言った様子で、コリントに案内されて出て行った。


アルスは椅子に座り込んで頭を押さえた。

「はぁ。もう。やっぱり私達だけじゃどうにもならないわよ。隊長ってば……!」

アルスのぼやきにアドニスが首を傾げた。

すると近くにいたアラークが鋭い目つきで睨んできた。

「何かあんのか」

「……うーん」

アルスは少し迷ったが、リーオもいるので言う事にした。


「実はね、シオウが故郷の人に命を狙われていて、選挙に向けて刺客が来るかもって言っていて。最初、プラグが隊長に相談したんだけど、そうしたら、自分達で何とかして、って言われて。あ、さすがにレントさんとマリーさんもいるんだけど。それで、二人が夜、外に出ることになったのよ。六角虫と刺客退治の為に。もう全部言っちゃった……」


「えええ!?」

アルスの告白に、アラークをはじめとした候補生達が声を上げた。

リーオは溜息を吐いている。

「本当にすまんな。警備は大幅に強化する。刺客は心配しなくて良い。毒味については明日からレント、マリーが徹底する。精霊も見張りに立つ。食事前には必ず全員揃って確認だ。あと、菓子類も一旦全て提出。確認した後で返却する。外で購入した物も必ず毒味だ。外食は毒の知識ができるまで控えてもらう。プレートについても『治療』は持ち歩けるようにする。今後は精霊をプレートから出して寝るように」


「はい……お願いします」

アルスは項垂れた。するとアラークが眉を上げた。

「ってことは、プラグが言ってた『抜け出す相談がバレて』ってのは……?」

「――大嘘よ。プラグはそんな子じゃないわ」

アルスはプラグの名誉の為にしっかり言っておいた。

アラークは眉を少し下げ、ほっと息を吐いて、苦笑した。

「そっか……まあそうだよな……なんだそうか。……やれやれ。後で謝るか」

どこか嬉しそうだ。

アラークはどう見ても不機嫌そうで山にも来なかったのだ。

アルスは頷いた。

「そうしてあげて。朝は私も心が痛んだもの……。プラグはシオウに頼まれて、しぶしぶ隊長に聞きに行ってくれたのよ。そしたらなぜか六角虫退治になって、何が何だか。おまけに毒を飲むなんて。なんて運の悪い子なの……? 皆、迷惑かけてごめんね。これから食事は皆で一緒に食べて、毒には必ず注意しましょう。私も他人事じゃないわ。食前の合い言葉は『毒、入ってなぁい?』よ」

アルスの言葉に、候補生達は乾いた笑いを漏らした。


■ ■ ■


プラグは本舎の医務室に着いた途端、ふらふらし始めて――浅黒い肌に縮れた黒髪、黒目の隊士――コリントに支えられた。

治療の反動で熱が出てきたのだ。

……不便だが……今回は普通なら死んでいる毒なので、仕方ない。


最初に飲んだのがプラグで本当に良かった。

ただ、シオウは悔しそうに『俺が飲めば良かった』と言っていた。各種の解毒薬も、吐かせる薬も持っているし、大抵の毒には耐性があるらしい。

シオウは良かったとしても、今回は王女のアルスが巻き添えになるところだったのだ。

アルスは偶然、助かったようだが……一口でも飲んでいたら……考えるだけで恐ろしい。この国の王女が一人いなくなっていただろう。運が良かった。

「大丈夫か、早く寝ろ」

「どうも……」

コリントがベッドへ導いてくれて、そのまま横になる。

リズに診察は不要と伝えてあるので、医者はいない。


布団をかぶせてもらって、ナダ=エルタに氷の入った革袋を額にあててもらい、ほっと息を吐く。冷たくて気持ち良い。

「ナダ……いつもありがとう……すごく助かってる……」

プラグは微笑んだ。

彼女はプラグにとって本当にいい精霊だ。ラ=ヴィアもいるし、皆もいるし、順位は付けられないが……。

「いいから早く寝て下さい……!」

ナダ=エルタは涙ぐんでいた。

ラ=ヴィアは精霊達に今後の対応を指示している。警備は精霊によって大幅に強化されるだろうし、厨房も精霊の監視付きになるはずだ。


(初めから、そうすればよかった……)


「何か欲しい物あるか。水、飲むか?」

「水はいいです。しばらく飲みたくないかも」

「それは駄目だって、毒味するからさ」

「おねがいします……」

「ほら、水。うん、大丈夫。置いておくな。欲しくなったらナダに頼め」

「どうも……」

「ああ、返事も良いって。あ。後で、食事を持ってくるけど、食えそうか?」

「はい……食べます」

「食欲があるなら大丈夫だな……俺、今日はここで寝るから。欲しい物があったら言えよ」

「ここで寝るんですか?」

プラグは目を開けた。本舎の医務室はかなり立派で、良く見るとベッドは十台あり、隣にも部屋がある。

ベッドはそれぞれがカーテンで仕切れるようになっていた。まるきり病院だ。

精霊騎士は大変なのだな、と思った。

「そりゃ当然だろ。死んでてもおかしくなかったんだし。ってのもあるけどまあ警備だな。後で隊長が来るから、その時は外すけど」

コリントの優しさに目が潤んだ。

「ありがとうございます」

「良いって事よ」

「少し寝ます。たぶん一晩で治ります」

「そりゃいいな、あ、カーテン、閉めとくから。苦しくなったらそこの鈴を鳴らせ。あ。便所は部屋を出て右、すぐ突き当たりだから」

「はい……」

プラグは目を閉じた。


■ ■ ■


シオウはチーカーを駆って、最速で宿舎に戻り、元凶のシェフを探した。

シオウは今日、水筒の受け取りをアルスとプラグに任せていたのだ。


(くっそ……!)

宿舎の食事は安全だと、油断していた自分が馬鹿だった。


「イル、コル、二階に行って、部屋を見てこい、怪しいヤツがいたら突き落として、死なない程度に燃やせ。荒らされてたらそのまま触らず報告。何も無ければバカとアホの箱持ってこい。焦がしても良し。火事にするな」

「! 分かりました!」

イルは返事をして、コルは舌打ちをして、階段を飛んでいった。


厨房に駆け込むと、シェフは既に捕まっていて、レントとマリー、クラリーナの三人に囲まれていた。他にもミラ=ウィーニーが厨房にいて、そちらはシェフ達に聞き取りをしている。しかしシェフ達も容疑者なので精霊達が監視している。隊士の周囲には『治療』のプレート。これは自殺防止の為か。ミラの近くには『手紙』が浮いている。


若いシェフは背もたれ付きの椅子に座らされていて、しっかり後ろ手に拘束されていた。

「どうも、そいつ、犯人ですね?」

シオウは普通に入って行った。


そして思いっきり殴った。


「テメー! 何したか分かってんのか!」

椅子ごと倒れるところを掴み、もう一度、二度、三度と殴る。

「待って!」

クラリーナが組み付いて止めるが外して、椅子ごと蹴飛ばして倒す。

そのまま足で腹を踏みつけた。

「誰に頼まれた? なんで頷いた? アホか? 馬鹿なのか? 正気かよ? オラ、話してみろや!」

「……うう、ひとじちを……」

「あー、はいはい。死ね」

シオウは首に足を下ろそうとしたが、レントが引っ張り、マリーが飛び込んで庇ったので、マリーの左肩を蹴ることになった。

「どけ」

マリーは肩を押さえて膝をついた。

「シオウル様。お待ち下さい。既に自白しています。近衛が参りますので、引き渡しを致します」

「王女殺害未遂って事で死罪だな。今殺す。どーせ人質も死んでる。バーカ」

「……っ」

シェフは歯を食いしばって泣いた。既に涙で濡れていた顔が血と、新しい涙でまた汚れた。大抵の人間はどうでもいいが、プラグとアルスは駄目だ。毒で人はあっさり死ぬ。死んだ後で泣いても無駄なのだ。シオウは余計に怒りが湧いて、短剣を抜いた。


「待ちなさい。駄目です!」

クラリーナが言った。

「邪魔すんなよー。大丈夫、すぐ終わるからさー」

シオウは微笑んだ。時には左手で小刀を投げていた。シェフの息の根が止まるはずだったが、レントが腕を出して止めた。シオウは眉を上げた。

「……ッ、シオウル様、どうか、……ご命令を! 何でも致します!」

レントの言葉にシオウは舌打ちをした。


「ふん。じゃあお前はまた下僕生活な。マリーと一緒に、クロスティアは退団しろ」

「はい、分かりました。そのように、致します……!」

レントが頷いた。レントは少し笑っているが、口元と鼻、目からも血が垂れてくる。

「お前、アホが更にアホになったな。それ毒が塗ってあるから、さっさと治療しろ」

「……ル・フィーラ!」

クラリーナが慌ててレントを治療する。マリーはシェフを庇ったままだ。隙があれば殺してしまおうと思っているので、よく分かっている。


そこでイル=ナーダが厨房に入って来た。リゼラがいて、印章の箱を一つ持っている。

「リゼラさんがいました。彼女曰く、荒らされた様子は無くて、でも、バカの箱が壊れていて。アホの箱はありませんでした。コルは怒って飛んで行きました」

「はぁ。どこに行ったんだ?」

「とても怒っていたので……火を噴きに行ったと思います」

「アホか?」

その時、ミラの浮かせていた手紙が青く光った。

「はい。フォーンさん」

『人質は保護できた。怪我無し。犯人は追跡中』

「ありがとうございます。良かったです」

ミラが手紙を終えた。

「……! シェイラは無事ですか!」

「ええ、大丈夫なようです」

倒れたシェフが息を吐いて、すぐに何もされていないか聞き始めた。

「――怪我無し、の場合は貞操も含め無事ですよ」

ミラが優しく答えた。

「ううう……すみません、すみません……!」

シェフは他のシェフ達に謝りはじめた。

ここのシェフ達はクビだろうが、諦めているようだ。もういい、良かった、等と言っている。

アジェラ一族は毒を使うし、人を殺しまくるが、変な所で律儀なので人質の体は無事だろう。大人しく従えば人質は解放する。危害も加えない――実際その通りにする。

しかし終わったと思った後、関わった者は全員、一族を含め、もれなく処分されるので地味に面倒臭い。シオウには必要ないので『粛正』の対象だ。


リゼラは笑ってシオウに『バーカ』と書かれた紙を見せた。

「無事だったのね。良かったわ……。これ、中身がぶちまけられてたわよ。ふふ。バーカ、って。偽物はもう一つあったの?」

その時彼女は左手を挙げた。シオウの短剣を防いだのだ。

袖にはプレートと、その下に短剣があり、斬れなかった。

「ふうん」

「危ないわね。大丈夫、ちゃんと追ってるから、捕まるわ。でも自殺する系でしょ」

「そうそう。あっちもコレと同じ偽物。でも気付くかなぁー。連中、バカだから……やれやれ。箱、下さい」

「ええ?」

シオウはリゼラから箱を受け取り、箱の裏を短剣で切った。

箱の裏には、領主印を押した紙が仕込んである。シオウはレントの前に落とした。


「おら、命令だ犬。この通りにしろ」

「――はい!」

レントが拾って、目を通す――そして笑った。

レントは真面目だが、アンガルド一族で最も好戦的だ。


「直ちに! 姉さん。行こう」

「……はい。今までお世話になりました」

マリーも、リゼラやクラリーナ、ミラ、シェフ達に頭を下げて、歩き出す。

それをリゼラが両手を広げて遮った。

「待ったッ! 何か知らないけど、終わったら戻って来てよ! ヤバイ事は隊長がもみ消すから! 良いわね! シオウ! どうなの? 選挙までに済む事?」

「――だとよ。お前等次第だ。終わらせてこい。アジェラ一族は王女暗殺未遂犯ってことで、後は任せる」

シオウは言った。

「はい。最速で!」

レントが笑顔頷き、マリーと共に厨房を出た。駆け出す足音が聞こえる。


「やれやれ――っと、ああ、しまったな。治しとかないと……」

シオウは放置されていたシェフを椅子ごと起こしてやった。

治療のプレートを取り出して、微笑む。


本当なら何万回でも殺したいほどむかついているがそれでも生ぬるいので文句だけで済ませるただし許さない。


「悪かったなー、ほら、ル・フィーラ! いやぁ、つい勢いで。人には事情ってモンがあるからな! でもきっちり反省しろよ! 人質が無事で良かったな! ははは、プラグは友達、アルスも友達、いちおー、大切! ってことでな……? アジェラ一族はしつこいからなぁ。関わったやつは後で全員皆殺しってのが基本。責任を感じてます、って顔だけど、下手に辞めると死んじまうから残っとけ。あとはレントとマリーに期待だな。あ、駄目だったら助けてやるぜ、あっはっは――ヤベェ収まらねぇ――あと三十発くらいいくか」


■ ■ ■


プラグはしばらく眠り、物音で目を覚ました。


「飯だぞー」

と言って運んで来たのはリズだった。

たぶん、罰として話しついでに持って来たのだろう。

「飯、食えるか?」

「大丈夫です」

プラグはゆっくりと起き上がった。ナダ=エルタが枕を増やしてくれた。

「ありがとう」

「いいえ。具合はどうですか?」

ナダ=エルタが微笑んだ。

「――うん、大分いい」

少し熱っぽいが目眩もない。今日はこのまま良くなりそうだ。リズは食事の盆を一旦ナダに預け、細長い机をベッドの上に置いた。ナダが机の上に盆を置く。品数は少なく、リゾットと切ったオレンジ、非常食らしきパンが置かれていた。パンの見た目はほぼ焼き菓子で、大きさは四セリチ程度。色は濃い茶色で、砂糖がまぶしてあって、固そうで甘そうだ。数は二枚だったようだが、どちらも半分に切られて、毒味で一部が欠けている。

「いただきます。あ、隊長は食べましたか?」

「ん、ああ、食った。ナダ、ちょっと外に出てろ。ギィ、隔離してくれ」

リズはナダに断って、カーテンを閉めて、ギナ=ミミムに頼んでベッド周りを隔離した。

ギナ=ミミムも姿を消して、二人きりになる。

周囲が暗いので、リズは精霊石の明かりを点けた。

「お泊まり会みたいで楽しいですね」

プラグは微笑んだ。食事が出て来るし皆が世話を焼いてくれる。

リゾットはわざわざ作ってくれたのだろう。近頃、本当に運が悪いので、優しさが心に染みる。

「……お前、意外に苦労してんのか……?」

「あ、これ毒味は?」

「もちろんしてある。私も同じモンを食ってきたし皿もシオウが必死に見たし。冷めるところだった。いやー、今回はヤバかったな。普通、死んでるぞ? でもお前、毒は平気じゃないんだな? 普通に倒れてたけど、どういう仕組みだ?」

「そうですね――」

プラグは食事をしながら、自分の体について説明した。

全てを話す訳にはいかないので、必要な事だけだ。


「中身は精霊の体なんですけど、中身の一部は人間です。頭とか、口とか、肺とか。その人間の部分が毒に当たって、症状が出ます。最初『治療』のプレートが上手く効かなかったのは、全部が人間じゃなかったからです。表に出てる部分しか治療ができなくて、効果が薄かったと言う感じかな。途中で全部人間にしたから、ちゃんと効いた、という感じです」

するとリズが呆れ顔で、溜息を吐いた。

「あー……あの倒れた時だな。……面倒な体してんなァ。放置で治らないのか?」

「治りますけど、でも俺は人間ですから。人間が平気ですって言うのはおかしいでしょう? それらしく振る舞っているんです」

プラグの言葉にリズが首を傾げた。

「別に『毒なんて効きません』でいいんじゃねぇの? シオウも平気だって言ってたし」

プラグは首を振った。

「いえ。それが、そう都合は良くなくて。でも、毒で完全に死ぬ事は無いです。瀕死になっても、元の姿に戻れば治ります。逆に言うとプラグでいる限りは治療が必要です」

「ふうん。なるほど? じゃ、『闇』の部屋に隠れて、その中で元に戻るのは?」

「それなら、いけると思います。実は今日もお願いしようと思ったんですけど、不自然だったので治療してもらいました。人が少なければそちらでお願いします」

プラグの言葉にリズが頷いた。

「わかった。そうする、よし、毒を食っても大丈夫! でも効くから毒味はできる! ってことだな」

リズの結論はかなり大雑把だった。

「大雑把ですね……あ、でも精霊の毒は、この体では厳しいかも……」

「それか。まあ、精霊毒はきついからな。『解毒』のプレートを使うか、本体を叩くしか無い。そん時は私が対応するから安心しろ。全員、闇に隠れてりゃいい」

と、リズは言ったのだが、プラグは首を傾げた。

「隊長って、人間……のような物ですよね?」

リズは一瞬、不気味に微笑んだが、大口を開けて笑った。

「はははは! まあな。――それはさて置き。お前、この前出かけた時な。めっちゃ光ってたらしいぞ。私は寝てたんだが。国王が見てたらしくてな。近衛から『なんだあれは?』 って問い合わせが来た。何色かの光が点滅したりしばらく消えたり、またついたり?」

プラグは瞬きをした。

「そんなに? ……まあ、確かに光りましたが……」

「何やってたんだ? あと、精霊達が噂する『ククナちゃん』が見たい。今日もこっそり見るつもりで出かけたんだが」

「あ。そう言えば。あの日、気付いたのって、目撃情報だけですか? てっきり、ルルミリーに聞いたのかと」

「ああ。ルルミリーは何も知らない、って言ってたけど服が違った。あとアリアも真似してた。あのアリアがだぞ? すっげえ衣装着てんの。あいつ絶対、お前に気があるだろ。明らかにぼやっとしてた。誰が何と言おうと、絶対城から出なかったのに」

アリア=エルタを思い出して、プラグは首を傾げた。


彼女は普段はダラダラしている『戦いたくない、働きたくない、何もしたくない』の三ない精霊だが、頼めばしっかりやってくれるので、根はとても真面目だと思うし実はかなり優秀だ。

そんなアリアがククナを好き……? 思い出してもそれらしい記憶はない。と言うか関わりもあまり無いというか。クロスティアでも、お知らせを伝えに行ったくらいだ。後は頼まれた物を持って行ったり、少し話したり――その程度だ。


「え……? そんな事は無いと思いますけど……? 彼女、引きこもりだから、クロスティアでも、行事やお知らせの度に会う程度でしたし」

「はぁぁああ、お前、それ、一番ッ……お前、まじで鈍いなぁ!? そんなんだから童貞なんだぞ?」

プラグは思わず「くっ」と言いかけて飲み込んだ。

「とにかく、隊長の勘違いです」


プラグは話を戻す事にした。

「――実は下らない悩みがあって、外に出たくなって、ついでに光を抑える特訓をしたんです」

プラグの言葉にリズが「いや光ってただろ」と言った。

「いえ、それは練習です。しばらく試して、きちんと調節できるようになりました。そのついでに、衣装も変えて……すみません調子に乗りました」


プラグは素直に頭を下げた。


「皆は真面目に訓練しているのに、俺だけ抜け出して遊んで……偉い神様が怒って、毒を飲んでしまったんです。毒だって、もっと注意していたら気付けたかもしれない。王女のアルスがいるって言うのに、自分達でなんとかするのは無謀でした」

するとリズが頰を掻いた。

「あー、それな。ま、これから気を付ければいい。アルスは運良く助かったんだからな。シオウもちょっと反省してたぜ。自分に来るのは分かっていたけど、お前が毒を飲むなんてってな……まあどっちかっていうと、殺る気になってたってとこか。シェフ達をボコボコにしちまって、止めるの大変だったってよ」

「えっ。シオウが?」

「ま、それは気にすんな。治療で治ったし」

「――はい」

プラグは頷いた。

リズは腕を組んで、いつも通りにやにやと笑っている。


「刺客の件は選挙までに片付くはずだ。シオウはなんでも一人で出来るヤツだから、選挙の時も、お前が外に出なくてもいけるだろ。つか、お前、もう外に出るなよ。つーか、ここだけの話、選挙がキナ臭い」

「……そうですか……?」

「だから行くのはやめとけ。良い事、無いぞ!」

リズに言われてプラグは軽く息を吐いた。


「そうですけど……でもシオウに誘われたし。行こうと思います」


シオウは確かに何でもできるし、強い。毒にも強いと言うし、体はプラグより強い。

けれど、よく分からない悩みがあるようだし、怒るととても恐いらしいし。何かあったらシオウを人から引き離す、と言う役目もある。決して、友達だから、ではない。

プラグはどう言おうか考えた。

「やっぱり、少し心配なんです」

「ふぅん。分かった。ま、その分、休みがずれるだけだ」

選挙は七月三十日にあり。候補生達は一日前の二十九日が休みだ。選挙に参加する貴族の候補生は二十九日が授業になり、三十日に登城する。プラグは少し笑った。

「父からは絶対に来るなと言われているので、アメルで大人しくしています」

「お前、相当迷惑かけてんだな?」

リズがケラケラと笑った。プラグも声を上げて笑った。


「で、本題だ。明日でも良いが、そのククナちゃんを見せてくれるか? いけそうだったら、お前『女神』になれ」


■ ■ ■


リズの言い分はこうだ。

プラグは男。ククナは女。そうすればバレない。


「確かにそうかも」

一晩休んでの翌朝、プラグは『闇』の中でリズに新しい姿を見せた。


カド=ククナ、花嫁ドレス姿。通称ククナちゃんだ。

光っているので明かりは必要ない。

リズは飛び上がって喜んだ。

「おー!! いけてる! 可愛い! お前ずっとこれでいろよ。んで、胸も作れるか?」

「中途半端はいやなので、下着で調整なら……少しは」

プラグは体はそのままに、コルセットを胸までの物に変更して、詰め物を入れて膨らみを持たせたが、祭司服の上着に隠れてほぼ分からない。それでも若干、胸があるように見えるはずだ。

「おお! いいな!」

リズが手を叩いて褒めた。

手を伸ばして触ってきたので胸元を押さえてさっと逃げる。

「触らないで下さい」

「んー。声も変えるか。それじゃ少年だ。あと、口調もだな。俺ってのはやめて『私』にしろ。そうすれば完璧だ。お前アメルの時は声が違うし、変えられるんだよな?」

リズに言われて、プラグは頷き、考えた。

「どんな声がいいですか?」

「可愛い女の子の声だな。誰か手本にしてもいい」

「可愛い声……? ……じゃあ、ミーアの声で。あー。あー、あー。これかな。どうですか?」

カド=ククナは少し考えて、ミーアの声にした。彼女は女の子らしい可愛い声をしている。

「おっ、スゲー! 完璧! 可愛い声だな! 私って言って自己紹介だ!」


「練習ですね。よし――私は、ククナ」

「はぁ? 駄目だ。名乗るな。女神ちゃんか――いっそイルトレアにしたらどうだ?」

リズの言葉にカド=ククナは焦った。

「さすがにそれは罰当たりですよ……! ううん……女神の手下くらいなら?」

「手下か……ううん。じゃあ、神の使いとかどうだ? 女神の意志で動いてるとか、いっそ神は別にいる、ってはっきり言うとか。そしたら騙せるだろ」

カド=ククナは笑顔になった。

「あ。天才ですか? その発想は無かったな。よし。では、私は、女神の意志で動く者です。神の使いとも言います。名前は女神ちゃん……? この名前、駄目ですよ」

言いながらカド=ククナは呆れた。

女神の使いなのに女神を名乗ってはいけない。

「じゃあ何て言うんだ? ククナなんて馬鹿正直に名乗るなよ」

リズの言い分はもっともだ。

カド=ククナは名前を考えたが、すぐに名前は思い浮かばない。

「そうですね……いっそククナも使いってことにして、二体いる事にしましょうか。分身ってことで。名前は……無しで、使いでも良い気がしますけど」

「もっと可愛く! 仕草が男っぽい!」

そこでリズの指導が入った。

カド=ククナは首を傾げ、めいっぱい可愛い仕草をした。

「あ……はい。あの、いっそ、私達はいっぱいいる、妖精さんみたいな存在にしてはいかがでしょう? でも、きっと個体名がないと不便ですよね……ううん……一番とか、二番は?」

「ダセェなぁ。でも、だったら、十番とか、十一番とか言っときゃいいんじゃね? 増やしとけ。まあ、ククナって言わなきゃなんでもいい。アリアとかアリリとかアリナとか」

リズがとても適当に名前を挙げた。

「アリリ……それも有りですね。アリナは居るのでアリリで、種族名も欲しいから……アリリ=トレアとかは? 略してアリトレアです」

リズがしばらく考える。

「アリトレアか。すっげーうさん臭いけど、いいんじゃないか。似たもの同士って事で。イルトレアの眷属っぽいし。じゃあククナはどうするんだ?」

「うーん。ククちゃんとか? ククトレア?」

「お前、センス無いな……まあいいか、男の方は、あんまり顔を出すなよ」

「はい……? でもそんなに出ませんよ?」

『アリトレア』は首を傾げた。

リズの言い方ではまるでどこかに出るような雰囲気だ……。

「いや、実はそのうち、隊士達に紹介しようと思っててな。この前、『分解(ラヘナ)』の祝詞を教わったけどよ。それが結構便利だって事で、他国に広めようと思うんだが。となると誰が知ってたんだ? って事になる。だからこの前の光ったときに降臨したとか、実は私が最近手に入れたとか、そう言う事にしておこうと思って。……いや、それだと時間が合わないから、ちょっと前に手に入れて、この前のは散歩だったって事にするか。国王に問い詰められたらそう言う」


リズの提案にカド=ククナは目を輝かせて、めいっぱい可愛く微笑んだ。

「なるほど。良い案ですね。でも、それだとこの国が危険では?」

ここに何かいますよ、となるのは良くない。

リズは頷いた。

「そうなんだよ。だから、いっぱい居るってことにして、もうこの国から去った事にするか、いっそ困った時に現れて、なんか助言してくれる存在にする。そうすりゃ他国にも通りがいいし。そういうのセラ国がうるさいんだよ。何か聞かれたら『って事だから、女神の使いのどれかが、お前の国にも現れて、なんか言って帰って行くかもな』とか言っとく。八月になったらヒュリスに遠足するから、まず、ヒュリス国王に紹介する。精霊は見ればお前って分かるんだよな? 顔は一緒だし。気配とか感じるだろ?」


カド=ククナは微笑んだ。

「ええ、一目で分かるはずです。気配は皆、違いますから――とてもいいですね。分かりました。そうしましょう」

今まで考えもしなかったが、とても良い方法だ。

双子か三つ子か五つ子か。女神とは無関係だが、カド=ククナは実質、この大陸の神みたいな物なので問題は無い。たまにサボりつつ、毒にもめげず頑張っている。

「よろしくな女神ちゃん」

「いいえ。私は女神ではなく、女神の使いです。個体名はアリリ=トレア。イルトレア様の御意志を伝えています。アリリちゃん、アリトレアちゃんと呼んでも構いません。女神の使いは沢山います」

「そうそう、そんな感じで! もっともっと可愛く! 弱そうで儚げで、言う事聞きたくなる感じで! 実際に非力だと可愛いな。守ってあげたくなる感じで! あとは生活の知恵とか役立つ知識も伝えてるって言え。あ。謙虚さも忘れんな」

リズが拳を握って力説する。

リズにはアリリの理想像があるらしい。

「はい……私はイルトレア様の御意志と、生活の知恵を伝えています? うーん。『大いなる知識』とか……考えておきます。――隊士達への紹介はいつですか?」

するとリズは腕を組んで考えた。

「まあ……今の所、必要ないな。念の為、ってやつだ。必要があったらその姿で出て来い。ククナで出てくる時も、設定、忘れんなよ」

「はい」

カド=ククナは微笑んだ。


「よーし、んで、お前ちょっと上着脱げ」

「はい?」

カド=ククナは言われたとおり一番上に羽織っている白い上着を脱いだ。ウエストが隠れる丈の、詰め襟の胴衣だ。四角い布が前面と背面にあり、裾は中央に向かって斜めに切れ込みがある。

脱いだ服はパッと消した。

「で、ベッドに乗って座ってくれ。真ん中辺りに」

「はい」

カド=ククナは言われたとおり、ベッドの中央に座った。

するとひょいとのしかかられ、あっさり押し倒されてしまった。

「えっ」

「いやー最近忙しくてな! 溜まってんだ。つーわけで一発イっとくか!」

カド=ククナは固まった。

大慌てでどうしようと考えた。ここは『闇』の中なのでリズが良いと言わなければ外に出られない。ギナ=ミミムは多分あてにならない。リズがたっぷりとしたスカートをかき分ける。

「闇に入っちまえば護衛も意味なし! ってことで、頂きます。お、しっぽ発見!」

リズが尻尾を強く引っ張った。

「ひゃぁああッ!」

まさか、コリントの警護というのはこちらだったのか。

カド=ククナは『やだー!』と思ってぱっと霊体になった。

するとするりと抜けられた。

「あっこのやろ!」

カド=ククナはさっとベッドから降りてリズの頭に思念を伝えた。


『馬鹿なことやってないで、外に出して下さい! しっぽを引っ張るなんて最低です!』


本当はもっと離れたいが、羽が無いので、仕切りカーテンの中で少し浮くのが限界だ。

「はぁあ!? こっちはお前のせいで最近徹夜だったんだぞ! いいじゃねーか! 減るもんじゃねーし! 絶対ヤるって決めてたんだ! 色々面倒なんだから、いいじゃねーか! 戻ってこいって! 初めて割引で優しくするからよ! 何事も経験だ!」

リズは駄々をこねている。優しいなぁと思っていたら、こんな狙いがあったとは。

『いやです、もう、馬鹿!』

カド=ククナは……『アリリ』らしく可愛く断った。するとリズはあぐらを掻いてベッドに座り込んだ。

「しゃーねー、持久戦だ! ヤるまで出さない。最低でもキス! ほらこっち来い!」

『えええッ!? やだー! 最低!』

「思念で嫌がんなよ傷付く! ほーら。ほらー、来いよ、おいでおいで~。特別にここでもいいから。一瞬だけ実体化しろ。口先だけでもいいぜ」

リズは優しい笑顔で自分の右頰を示して待つ姿勢だ。

しかし近づいたが最後――捕まりそうだ。

と言うか、リズには闇の端で縮こまる、霊体のアリリが見えている様子だ。

『む~っ……!』

アリリは思考を巡らせた。

どうするべきか……。闇の中では腹も空かないし、トイレも必要ないので下手したら一日このままだ。そろそろ座学の時間だし……。


『む~っ。……よし。リズ様、ちょっと聞いて頂けますか?』

「ん、なんだ?」

リズ様、と言ったのが良かったのかリズが素直に答えた。


『むかーし、むかーし。クロスティアにアリリちゃんというとても可愛い精霊がいました。アリリちゃんは日々楽しく過ごしていましたが、あるとき、女神様にすごい役目を頂きました――アリリちゃんにはククナという兄もいて、二人、いえ三人四人、五人くらいの兄弟がいました』

「なんだぁ?」

リズは首を傾げたが、嘘の話を続けると、やがてうつらうつらし始めた。

このままだとリズは寝てしまうが、それだと出られない。

『アリリちゃんは言いました。あっ――リズ様。緊急事態です! 外でリーオ隊士が呼んでいます! 急いで確認、駆け足!』


■ ■ ■


「やっべ! 何だ!?」

『嘘』を信じたリズは、大慌てで出て行った。


カド=ククナの『嘘』は、嘘と分かってしまうと効かないので、嘘だと分からないように上手く使う必要がある。

大げさな『嘘』は相手の判断力が鈍っている時でないと掛からない。

また、疑り深く頭の良い人間には効きにくいし、上手い嘘は難しい。


(よし。『嘘の話』との併用は使えるな……)

『嘘の話をすると相手は眠くなる』は、ここに来てから気付いた能力だが、少し時間がかかるものの、大分やりやすい。相手が眠い状態で、思念会話と併用するのは効果抜群だ。


ちなみに『嘘の内容』は長くても五分ほどで忘れるので、リズは廊下の途中で『あれ? 私なんでここにいるんだ?』となる。

忘れる時間は五分までなら自由に決められるので、今回は一分にした。

『嘘』はとても曖昧な物なので、その間にリーオに会っても、リズはなぜ来たのか思い出せないし、嘘を吐かれたとも気付かない。

ここは自慢できる所で、嘘の効果が切れても『ここに何しに来たっけ? 思い出せねぇ』と言う『ど忘れ』の状態になるのだ。

使いようによっては相当便利だが、戦闘中など、相手が集中しているときは使えないし、同じ相手に何度も使うと『何かこいつと会う度、記憶が飛ぶな?』とバレる事がある。

疑われる程に効きにくくなるので、大抵はその場限りの『嘘』で、長時間、騙し続ける事はできない。


――リズが出た事で、闇は無くなっている。

ギナ=ミミムも一緒に出て行ったらしい。


一緒に聞かせて、信じ込ませてしまえば、一度に数人にかける事もできるのだが……掛かる、掛からないの差があるので、なるべく一人ずつがいい。

つまり『嘘』の大精霊、カド=ククナの正しい在り方は、人に擬態して、ちょっとした嘘で人を騙す。と言うささやかな物なのだ。


アリリはストンと『プラグ』に戻った。

(可愛すぎるのも考え物だな。アリリ=トレアは状況に合わせて使っていこう)

アリリを巡って争いが起きたら大変だ。

プラグは、普段は黒祭司服のカド=ククナにしておこう……と思った。


「はぁ。危なかった……」

プラグは溜息を吐きながらカーテンを開けた。

するとそこには、ラ=ヴィアに締め上げられるコリントと、戸惑うナダ=エルタがいた。

二体はリズが来た時『大事な話があるから』と言われてカーテンの外に追い出されたのだ。


「大丈夫か!? 長かったけど、食われたか? いや、無事か……!? どっちだ……?」

コリントはプラグの様子を目で確認しながら、とても微妙な顔をしている。

ラ=ヴィアも必死の形相でこちらを窺い、ナダ=エルタもプラグを凝視している。

プラグは苦笑した。

「大丈夫です。隊長は、何か用事を思い出したようですね」

コリントは大きく息を吐いて、プラグの肩を叩いた。ナダとラ=ヴィアもコリントから離れて、ほっと胸を撫で下ろしている。

「そうか、無事なら良かった! ……いや、大したもんだ! 偉い! 良く逃げた! リーオさん、つーか、この精霊に殺されるところだった!」

褒めてくれたが嬉しくない。

「今度、彼女と話す時は、『闇』に入らないように気を付けます」

プラグは項垂れた。毒よりも危険だ。

「ああ。それがいい。ちなみに、徹夜明けとか、休みの前とか、風呂上がりとか、風呂の最中とか、着替え中とか、休憩中とか、二人きりの時とか、野宿の時とか、目が据わってるときとか、優しい時とか、しばらく何も無い時は危ないから、気を付けろよ。絶対食うって顔をしてた。お前、気に入られてるんだよ。気を付けろ!」

コリントは遅すぎる警告をしてくれた。

できれば昨日聞きたかった。しかし、コリントは昨日は徹夜で警護してくれていた。

あれは夜這い対策だったらしい。

「うわ全部じゃないですか……。警備ってそれですか。先に言って下さいよ……!」

目的が分かっていれば対処もできた。

「いやすまん! 頑張ったんだが、あの人の行動は全く読めない。さっきも、お前が良いって言うから……てっきり両想いかと、ぐえっ」

ラ=ヴィアがコリントの首を絞めた。

コリントの言葉にプラグは絶句して、慌てて否定した。

「いやいやいや! そんな事ないです! とんでもない誤解です! ああ、思い出したら恐くなってきた。俺、もう行きます! ナダ、ラ=ヴィア、行くぞ!」

プラグはプレートケースを掴んだ。

ナダとラ=ヴィアはいついかなる時でも側に居てもらわなければ。人払いも絶対駄目だ。

「ああ、毒にも気を付けろよー!」

コリントが明るく手を振った。


「もう、なんだここ……!」

いずれここに入隊するかもしれない、とは、今は考えず、プラグは足早に逃げ去った。

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