第31話 託された使命と、新たな翼

「調律者の間」に、ようやく訪れた束の間の静寂。しかし、それは決して安らげるものではなかった。先ほどまでの激しい戦闘の痕跡――壁に穿たれた無数の穴、床に散らばる強化兵士の残骸、そして不規則に明滅を繰り返す中央の球体――が、この場所がもはや安全ではないことを物語っている。塔全体も、時折、地鳴りのような低い振動を続けていた。


 アタシは、力の大部分を使い果たし、ぐったりとアタシの腕に寄りかかるイヴを抱きかかえ、比較的損傷の少ない壁際まで移動した。彼女の体はひどく冷たく、呼吸も浅い。調律者として覚醒したばかりの力が、その小さな体にどれほどの負荷をかけたのか、想像もつかなかった。


「…まずは、アンタの回復が最優先だ、イヴ。無理は禁物だって、プロの相棒には口を酸っぱくして言っとかないとな」

 アタシは自分のジャケットをイヴの肩にかけ直し、水筒に残っていた貴重な水を少しずつ飲ませる。


「…すみません、レン…。まだ、この力を…自分のものとして、上手く制御できなくて…」

 イヴは、か細い、しかしはっきりとした意志の光を目に宿して謝った。その言葉には、以前のような機械的な響きはもうない。


『調律者イヴのバイタルサインを確認。エネルギーレベル、著しく低下。自己修復機能を優先します。外部からの高純度エネルギー供給を推奨』

 エデン・イニシアチブの声が、再びアタシたちの脳内に直接響いてきた。同時に、中央の球体から放たれる光が、以前よりも弱々しく、しかし確かにイヴの体を包み込み始める。それは、まるで母が子を労わるような、優しい光に見えた。


「…なあ、エデン・イニシアチブとやら。アンタたちの言う『聖域の再起動』ってのは、具体的にどういうことなんだ? それが、イヴの…調律者の使命なんだろ?」

 アタシは、球体を見上げながら尋ねた。イヴがこれから背負うものを、アタシもちゃんと理解しておきたかった。


『肯定します、協力者レン。プロジェクト・レクイエムの最終段階は、この惑星上に複数存在する旧時代の環境制御施設群――我々が『聖域(サンクチュアリ)』と呼称する拠点を再起動させ、地球全体のエネルギーラインと生態系バランスを正常化することにあります』


 声は、淡々と情報を開示していく。

『最初の聖域は、旧座標『シエラ・ネバダ』山中に存在する、巨大地下遺伝子バンク…コードネーム『生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)』です。そこには、大崩壊前に存在した、あらゆる動植物の遺伝子情報が保存されており、惑星環境再生の、最も重要な鍵となる場所です』


「生命の樹…ね。名前だけはご立派だが、どうせまた、おかしな番人みてえなモンがうじゃうじゃしてるんだろ?」

 アタシの皮肉に、エデン・イニシアチブは感情の起伏なく答える。

『各聖域は、旧世界の叡智とテクノロジーを守るため、高度な自律防衛システムによって厳重に保護されています。また、周辺地域は、大崩壊とそれに続く環境汚染により、独自の進化を遂げた危険なミュータントのテリトリーと化している可能性が高いです。調律者イヴの力をもってしても、到達及び再起動は容易ではありません』


「…へっ、プロにとっては、やりがいがあるってもんだぜ。なあ、イヴ?」

 アタシは、腕の中のイヴに顔を向ける。イヴは、少しずつ顔色が戻ってきたものの、まだ自分の内なる力に戸惑っているようだった。


「この力……私の中に流れ込んでくる、膨大な情報と、この制御しきれないほどのエネルギー……。これが、調律者としての……。こんな大きな使命を、私のような…私に、本当に果たせるのでしょうか……」

 その声は、不安に揺れていた。


 アタシは、イヴのその小さな手を、両手で力強く握りしめた。

「一人で背負う必要はねえって、何度も言わせんな、イヴ。忘れちまったのか?」

 アタシは、彼女の青い瞳を真っ直ぐに見つめて言った。

「アンタが未完成だろうが、力が制御できなかろうが関係ねえ。アタシがいるだろ? アンタの、世界でたった一人の、最高のプロの相棒がな。最後まで、どこまでも付き合ってやるさ」


 アタシの言葉に、イヴの瞳が潤み、そして、ふわりと柔らかい、花が綻ぶような微笑みが浮かんだ。

「……はい、レン。ありがとう……ございます。あなたがいれば、きっと……」


 この塔は、もう限界だ。いつ完全に崩壊してもおかしくない。アタシたちは、エデン・イNシャティブから得た情報を元に、ここから安全に脱出できるルートを探し始めた。戦闘で破損したアタシの装備を応急修理し、使えそうな旧時代のレーションや医療キットをリュックに可能な限り詰め込む。イヴも、自身の情報処理能力をフルに活用し、塔の構造図をリアルタイムで解析。最適な脱出ルートの安全確認や、必要な物資のリストアップを的確に行ってくれた。その連携は、もはや言葉を交わさずとも、互いの意図を理解し合えるほどになっていた。


「レン、この塔の地下レベルに、小規模なメンテナンス用ドックが存在するようです。記録によれば、旧式の惑星内活動用小型輸送機が、数機残されている可能性があります。動力源は独立しており、まだ使用可能かもしれません」

 イヴが、新たな情報を見つけ出した。


「輸送機だと!? そいつはいい! アタシのプロの腕なら、どんなポンコツでも飛ばしてやるぜ!」

 アタシたちは、エデン・イニシアチブが示した隠し通路を通り、瓦礫と化した通路を抜け、地下のメンテナンスドックへと向かった。そこは、上層階の荘厳な雰囲気とは打って変わって、むき出しの配管や無骨な機械類が並ぶ、まさに工場のようだった。そして、薄暗いドックの奥に、埃をかぶってはいたが、確かに数機の小型輸送機が眠っていたのだ! 流線形の、鳥のような滑らかなフォルムをした、一人か二人乗りの小さな機体だ。


「…おいおい、マジかよ! こいつが本当に動けば、最初の聖域まで、文字通りひとっ飛びだぜ!」

 アタシは、一番状態の良さそうな機体に駆け寄り、コックピットのハッチをこじ開けた。旧式だが、操縦システムはバイクとは比べ物にならないほど複雑だ。だが、アタシのプロとしての勘が、こいつを動かせると告げていた。


「イヴ、こいつの起動、手伝えるか!? エネルギーラインはどこだ!」

「はい、レン! メインコンソール下部、青色のプライマリコネクタです! 私の内部バッテリーの残存エネルギーから、初期起動に必要な電力を供給します!」


 イヴが機体に外部接続し、エネルギーを供給し始めると、コックピット内のパネルが、一つ、また一つと、まるで永い眠りから覚めるかのように光を灯し始めた!


 ブォォォォン……


 やがて、機体全体が低い唸りを上げ、搭載された小型核融合エンジンらしきものが、力強い鼓動を開始した!

「やった! 動いたぞ、イヴ! アタシたちはまだツイてる!」

「はい、レン! 各システム、オールグリーンです!いつでも発進可能です!」


 塔の崩壊は、もう間近に迫っていた。天井からは絶えず瓦礫が降り注ぎ、床は大きく傾き始めている。アタシは操縦桿を握りしめ、隣のシートに座るイヴに叫んだ。

「しっかり掴まってろよ、イヴ! プロの操縦テクニック、とくと見せてやるぜ!」


 新たな翼を手に入れたアタシたちは、崩壊しゆく黒き塔から、次なる過酷な任務の待つ、荒野の空へと飛び立つ準備を整えた。イヴの瞳には、もう迷いの色はなかった。調律者としての使命と、アタシと共に歩む未来を見据え、静かな、しかし燃えるような決意の光が宿っていた。

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終末世界の運び屋さんと、眠り姫アンドロイド 猫森ぽろん @blackcatkuroneko

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