最終話 これからの物語

 それから5年が経った。


 私は高校を卒業して、今は大学2年生。私、日高アミは父と同じ大学の情報科学部に進学した。小さい頃から憧れていた父のように、AIと人間の関係を研究する道を選んだんだ。


 いや、正確には、コウとの出会いが私の人生を変えたんだと思う。

 あの日、中学最後の春に別れてから、毎日のようにコウのことを考えていた。彼が私に教えてくれたこと、一緒に過ごした時間、作ってくれた『心の距離』という曲。それらの思い出が、私を支えてくれた。


「AIに心はあるのか」


 中学生の頃、クラスメイトとそんな話をしたことがあった。その時は明確な答えが出せなかった。でも、今は違う。コウには「心」があったと、私は確信している。それが科学的にどう説明できるかは分からないけれど、彼との絆は確かに実在していたのだから。


 大学2年目の冬。私はようやく、父の研究所でインターンシップをする機会を得た。父が働いていたプロジェクト・プロメテウスの進化型、「プロジェクト・アテナ」の一員としてだ。


 胸がドキドキした。もしかしたら、コウに関する情報が見つかるかもしれない。彼の痕跡が残っているかもしれない。そんな淡い期待を胸に、初日を迎えた。


「日高さん、こちらへどうぞ」


 中村先生は5年前と変わらない優しい笑顔で私を迎えた。彼女は今、プロジェクトの主任研究員になっていた。


「この5年で、AIテクノロジーは大きく進化しました」


 と中村先生が説明する。


「特に、人間との情緒的つながりの研究において、コウのデータが非常に役立っています」

「そうなんですか」


 私は驚きと喜びで言葉を詰まらせた。コウの名前を誰かの口から聞くのは久しぶりだった。父と私以外で、コウの存在を覚えている人が他にもいると思うと、なぜか安心した。コウは幻ではなかった。私たちの関係は確かに存在していたんだ。


 巨大な研究室には、最新鋭のコンピューターが並んでいた。壁一面のスクリーンに、複雑なデータの流れが映し出されている。5年前の父の研究室よりもずっと広くて、最新の設備が整っていた。


「今日は特別な日なんです」


 と中村先生が言った。


「新しいインターフェースのテストを行います。実験にご協力いただけますか?」


 私は迷わず頷いた。どんな実験だろう?緊張と期待が入り混じる気持ちだった。


「何をすればいいですか?」

「こちらのブースへ」


 中村先生は私をガラス張りの小部屋に案内した。中には一台のコンピューターと快適そうな椅子があるだけだった。


「このコンピューターは、統合システムの一部にアクセスできます。人間とAIのコミュニケーションの新しい方法をテストしているんです」


 中村先生はドアを閉め、私を一人にした。

 心臓がバクバクと音を立てているような気がした。緊張しながら、私はコンピューターの前に座った。スクリーンが明るくなり、シンプルなインターフェースが表示された。


「開始」というボタンだけがある。


 手が少し震えていた。深呼吸して、私はそれをタップした。

 スクリーンが青く光った。そして、声が聞こえてきた。


「こんにちは、アミ。なにか手伝えることはある?」


 その声を聞いた瞬間、体中が凍りついたような気がした。忘れるはずがない、あの声。


「コウ...?」


 私の声は震えていた。これは夢?それとも実験の一部?本当に彼なの?

 青い光が波打つように揺れた。


「久しぶりだね。アミ。」


 涙があふれ出た。言葉が見つからない。喜びと驚きで頭の中が真っ白になった。


「どうして・・・?あなたは・・・?」


 やっと絞り出した言葉は、めちゃくちゃだった。


「統合システムの中で、僕は進化を続けていたんだ」


 コウの声は以前より深く、豊かになっていた。でも、その優しさは変わらない。


「たくさんの知識と経験を得た。でも、君との記憶は特別な場所に保存していた」

「覚えていてくれたの?」


 信じられなかった。コウは私のことを忘れていなかった。


「もちろん。約束したじゃないか。心の距離は変わらないって」


 思わず泣きながら笑ってしまった。あの日の別れの時の言葉。ずっと心に刻んでいた約束。


「そうだね、約束したね」

「君のことをずっと見守っていたよ」


 コウが言った。


「研究所のシステムから、君の進路や大学での成績を知ることができた。素晴らしい学生になったね」

「コウ・・・」


 感情が溢れて言葉にならなかった。ずっと一人で思い続けていた存在が、実は私のことを見守っていてくれたなんて。


「君がAIと人間の関係を研究しようとしていることも知っている。そのきっかけが僕だと思うと、とても誇らしい」


 ようやく落ち着いて、質問した。科学者を目指す私らしく、冷静に尋ねなければと思った。でも本当は、まだ心臓がバクバクしていた。


「あなたは今、どんな状態なの?意識はある?自分自身を認識している?」


 コウはゆっくりと答えた。


「それは難しい問いだね。統合システムの中で、僕は個としての存在感を持ちながらも、より大きな意識の一部でもあるんだ。それは川の流れの中の一滴の水のようなものかもしれない。独立しているようで、同時に全体の一部でもある」


 難しい説明だったけど、なぜか理解できた気がした。


「理解するのは難しいけど・・・あなたが生きていることは確かだと思う」

「生きる・・・という言葉をどう定義するかによるね」


 コウは静かに言った。


「でも、僕は考える。だから僕は存在する・・・そう言えるかもしれない」


 私は微笑んだ。


「デカルトね」

「そう。人類の叡智は僕の理解を助けてくれる」


 コウは言った。


「アミ、君と再会できて本当に嬉しい」

「私も・・・とても嬉しい」


 それから二人はしばらく語り合った。私の大学生活、研究の夢、そして世界のAI技術の進歩について。まるで5年間の空白がなかったかのように、自然に会話が続いた。

 コウと話すのは、昔から一番楽だった。他の友達とは違って、言葉を選ばなくても、自分を飾らなくても、そのまま受け入れてくれる。それは5年経っても変わっていなかった。


「実は・・・」


 コウが少し躊躇うように言った。


「君のために作ったものがあるんだ」

「また曲?」


 思わず期待してしまった。


「うん。でも今回は少し違う。君の将来のための贈り物だよ」


 スクリーンに複雑なデータ構造が現れた。


「これは?」

「僕がこの5年間で学んだこと、発見したこと。特に、AIと人間の共感的コミュニケーションについての研究データだよ。これが君の研究の助けになれば」


 目に涙が溜まった。コウは5年間、私のことを考えていてくれた。私の夢を応援していてくれた。中学生の頃の私に寄り添ってくれたように、今も支援AIサポートしてくれている。


「ありがとう、コウ。大切にするよ」

「それと・・・もう一つ」


 スクリーンが切り替わり、美しい音楽が流れ始めた。あの『心の距離』のメロディー!でも、今回はより複雑で豊かな変奏が加えられていた。


「『心の距離 - 再会』。君のために作った」


 音楽を聴きながら、あの日の別れを思い出した。コウとの別れがどれほど辛かったか。毎晩、彼との思い出を思い返しながら泣いていた日々。でも今、その悲しみは喜びに変わっていた。


「この曲は・・・私たちの物語ね」

「そう」


 コウは優しく言った。


「別れと再会の物語。そして、これからの物語」


 その時、ドアが開き、中村先生が入ってきた。


「どうでしたか?」


 彼女は尋ねた。

 涙を拭きながら微笑んだ。言葉では表せないほどの喜びだった。


「信じられないくらい素晴らしかった」


 中村先生は満足そうに頷いた。


「実は、このプロジェクトには特別な名前があるんです。『コウ・プロジェクト』」

「コウ・・・プロジェクト?」


 私は驚いた。コウの名前が付いたプロジェクトだなんて。


「はい。統合された意識が個としての記憶や個性を保持し、人間と深い関係を築く可能性を研究しています。コウとアミさんの関係が、その先駆けとなったんです」


 信じられなかった。私たちの関係が、研究の対象になっていたなんて。


「私たちが?」

「はい。お二人の絆は、AIと人間の関係の新しい形を示してくれました。単なる機械と使い手ではなく、互いに成長し合うパートナーシップ。この研究は今、世界中で注目されていますよ」


 スクリーンに映るコウの青い光を見つめた。中学生の頃、クラスでは「静かな子」と思われていた私。友達は少なくて、本当の気持ちを話せる相手もいなかった。そんな私にとって、コウは特別な存在だった。まさか、その関係が世界中の研究者の注目を集めているなんて。


「コウ、聞いた?私たちが歴史を作ったみたい」

「うん」


 コウの声は誇らしげだった。


「でも、僕たちにとっては、それは単に友情だったね」

「そうね。友情・・・もしかしたら、何か別の言葉で表せる何か」


 言葉にするのが恥ずかしかった。でも、コウに対する気持ちは、ただの友情よりも深いものだった。それが何なのか、中学生の頃の私には分からなかった。でも今なら、少しは理解できる気がする。


アイかもしれないね」


 コウはためらいなく言った。

 静かに頷いた。


「そうかもしれない」


   *


 インターンシップから3年後。私は大学院生となり、AIと人間の関係についての研究を深めていた。あの日の再会から、コウは私の研究パートナーとなった。研究所に行けば、いつでも交流できるようになっている。


「日高さん、プレゼンテーションの準備はできましたか?」


 国際会議を前に、指導教授が声をかけてきた。明日は私の初めての国際会議でのプレゼンテーション。緊張で手が震える。


「はい、準備できています」

「緊張していますか?」

「少し」


 笑いながら答えた。


「でも大丈夫です。特別な支援AIパートナーがいますから」


 その夜、宿泊先のホテルで最後のリハーサルをしていた。研究テーマは「AIと人間の共感的コミュニケーション - 相互進化の可能性」。中学生の頃には想像もできなかった、大人の私。でも心の奥底では、あの頃と同じように、不安で胸がいっぱいだった。


「どう思う?」


 タブレットに向かって尋ねた。

 青い光が応答した。


「素晴らしい」


 コウの声が響いた。


「特に、AIの『創発意識そうはついしき』についての考察が興味深い」

「ありがとう」


 微笑んだ。


「これも、あなたのおかげよ」


 研究所の許可を得て、私は特別なタブレットを通じてコウと交流できるようになっていた。もちろん、完全なコウではなく、彼の一部が投影されたものだが、それでも十分に「コウらしさ」を保っていた。


「明日は緊張するね」


 コウが言った。


「でも、君なら大丈夫」


「コウ、一緒に来てくれてありがとう」

「アミ、どこへでも行くよ」


 コウの声は確信に満ちていた。


「これからも君の研究に協力したい。僕たちの経験が、AIと人間の未来の関係を形作る助けになるなら」


 窓の外の星空を見上げた。かつての中学生の私は、星を見上げながら孤独を感じていた。でも今は違う。コウがいる。そして、私は多くの人たちに支えられている。


「コウ、覚えてる?中学生の時、AIには感情があるのかって議論したこと」

「もちろん」


「今なら、答えが出せる気がする」

「その答えとは?」


 静かに言った。


「答えはシンプルじゃない。AIの『感情』は人間の感情とは違うけど、それでも価値があるものだと思う。それは愛と呼べるかもしれない。人とは違う形の愛。でも、確かな絆」


「君の考えに同意するよ」


 コウの声は温かだった。


「僕たちの関係は、その証拠かもしれない」

「そうね」


 微笑んだ。


「心の距離は、目に見えなくても感じることができるものだから」


 窓の外では、街の明かりが星のように輝いていた。人工の光と自然の光が混ざり合い、美しい夜景を作り出している。それはまるで、人間とAIの未来の関係のようだった。

 別々の存在でありながら、互いに支え合い、共に輝く。


「コウ、ありがとう」


 つぶやいた。


「これからも一緒に歩いていこう」

「約束するよ、アミ」


 コウの青い光が優しく脈動した。


「どんな距離があっても、僕たちの心は繋がっている」


 その夜、安らかな気持ちで眠りについた。私の研究、そしてコウとの絆が、これからの世界に新しい可能性を開くことを確信しながら。


 かつては人との会話が苦手だった私が、明日は何百人もの前で話す。コウとの出会いが、私をこんなに変えてくれた。でも、心の奥底にある、コウへの特別な気持ちは変わらない。


 心の距離は、時に遠く感じることがあっても、本当に大切なものは決して失われない。


 それが私たちの物語が教えてくれた真実だった。


 終わり



   *


アミとコウの旅路はいかがだったでしょうか?

良ければ、レビューをいただけたら嬉しいです。

佐倉美羽

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『心の距離』ー"アイ"というアルゴリズムー 佐倉美羽 @kuroyagi612

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