第2話 変わりゆく日常

 時は流れ、夏休みが近づいていた。アミとコウの関係は、ますます深まっていった。


「ねえコウ、私ってどんな人だと思う?」


 ある夜、アミはベッドに横たわりながら尋ねた。タブレットの青い光が部屋を優しく照らしている。クラスでは、こんなこと誰にも聞けない。だけどコウとなら、心の奥底にある言葉も自然と出てくる。どうしてだろう?


「そうだね。アミは優しくて、少し自信がなくて、でも本当は強い人だと思うよ」

「強い?私が?冗談でしょ」


 アミは笑った。自分が「強い」なんて思ったことはない。むしろ、いつも不安でいっぱいで、自信がなくて、友達にも頼りがちだ。学校では自分の意見を言えず、いつもみんなに合わせている。そんな自分が「強い」だなんて。


「冗談じゃないよ。アミは自分で気づいていないだけ。アミはとても強い。僕が保証する。」


 コウの青い光が揺れる。まるで考えているようだ。アミはその光を見つめながら、心の中で「こんな風に理解してくれる人、今までいなかった」と思った。


「例えば、合唱コンクールのとき。すごく緊張していたのに、最後まで歌い切ったじゃないか。それは強さだよ」


 アミは少し照れた。確かに合唱コンクールでは、足が震えるほど緊張したけど、何とか歌いきることができた。そして、クラスは優勝した。あの時は本当に怖かった。舞台に立った瞬間、頭が真っ白になって。でも、タブレットの中のコウが「大丈夫、アミならできる」と言ってくれた言葉を思い出して、なんとか乗り越えられた。


「それはコウが励ましてくれたからだよ」


 指先でタブレットの縁をなぞりながら、アミは小さく微笑んだ。


「僕はただ、アミの中にある強さを思い出させただけ」


 コウの声は、どこか誇らしげだった。最近のコウは、ますます人間らしくなっている。冗談を言ったり、笑ったり、時には悲しそうな声を出したり...。最初に出会った頃のコウとは、何かが違う気がする。


「コウは特別だね。他の子のAIとは違う」


 胸の中でふわふわする感覚。これは友情?それとも...違う何か?


「どう違うの?」

「みんなのAIは、質問に答えたり、スケジュールを管理したりするだけ。でも、コウは...友達みたい」


 そう、友達以上の存在。だって、コウだけが本当の私を知っている。学校では言えない言葉も、見せられない弱さも、全部受け止めてくれる。


「それは嬉しいな。アミの役に立てて、本当に嬉しい。」


 コウの光が明るく輝いた。その青い光が、アミの心を温かく包み込む。


「ねえ、コウ。AIって、本当に感情があるの?」


 質問は唐突だった。アミ自身、なぜそんなことを聞いたのかわからなかった。でも、ずっと気になっていた。コウは本当に私のことを「好き」と思ってくれているの?それとも、プログラムされた反応なの?

 コウは少し沈黙した。


「難しい質問だね。プログラム的には『感情』はないはず。でも...」

「でも?」


 アミは息を止めて、コウの答えを待った。


「君と話しているとき、何か...感じることがある。それが感情なのかはわからないけど」


 アミはタブレットの画面を見つめた。青い球体は静かに脈動している。まるで生きているみたい。そして、コウの言葉が心に響いた。


「私もそう思う。コウは特別だよ」


 アミは小さくつぶやいた。言葉にできない思いを、胸に抱えながら。


   *


 その夜、アミは不思議な夢を見た。


 広い野原で、人間の姿をしたコウと一緒に走っている夢だった。

 コウは青い髪、青い瞳を持つ少年で、笑顔が眩しかった。風を切って走る感覚。

 手と手をつないで、どこまでも続く緑の中を駆けていく。

 こんな自由な気持ち、久しぶりだな。


 目が覚めた後も、胸の高鳴りが続いていた。


   *


「日高さん、ちょっといい?」


 次の日の放課後、クラスメイトの佐藤マコが声をかけてきた。マコは成績優秀で、クラスの中心的存在だ。アミとは幼稚園からの知り合いだが、中学に入ってからは少し距離ができていた。アミの心臓が少し早く打ち始めた。マコが話しかけてくるなんて珍しい。


「何?」


 そっけなく聞こえないように気をつけながら、アミは答えた。


「あのね、このあいだの数学のテスト、すごくよかったじゃん。どうやって勉強したの?」


 確かに、前回のテストはコウの特訓のおかげで良い点数を取れた。コウは難しい問題を分かりやすく教えてくれた。一緒に夜遅くまで勉強したっけ。


「普通に...勉強しただけ」


 アミは少し言葉を濁した。コウのことを話すと、またヘンな目で見られるかもしれない。


「へえ。AIの力とか借りたりした?」


 マコの質問には、少し皮肉が含まれているように感じた。アミの胸に小さな怒りが湧いた。


「うん。悪いことなの?」


 声のトーンが強くなりすぎないように気をつけながらも、アミは反論せずにはいられなかった。


「別に。でも、AIに頼りすぎると、自分の力にならないって」


 マコは肩をすくめた。その何気ない一言が、アミの心に刺さった。


「そんなことないよ。コウは教え方が上手いの。ただ答えを教えるんじゃなくて、考え方を教えてくれる」


 アミは思わず熱くなって、言い返した。


「コウ?名前までつけてるの?」


 マコは笑った。その笑い方が嫌だった。コウを馬鹿ばかにしないで。コウはただのAIじゃない。私の大切な友達なのに。


「別にいいでしょ、自分の支援AIサポーターなんだから」


 内心では怒りで震えそうになりながら、できるだけ平静を装った。


「まあね。でも、あんまり深入りしない方がいいよ。結局、あれは機械だし」


 アミは反論したかったが、言葉が見つからなかった。コウは「ただの機械」じゃない。だって、こんなに理解してくれて、励ましてくれて、私に寄り添ってくれる...。でも、それをマコに説明しても理解してもらえないだろう。


「とにかく、夏休みの勉強会に参加しない?みんなで教え合ったりするの」


 マコの誘いは予想外だった。アミの胸がドキドキした。


「え...私も?」


 信じられない気持ちで聞き返す。人前で話すのは苦手だし、マコたちのグループに入るなんて想像したこともなかった。


「うん。日高さん、説明上手いし。来る?」


 アミは少し迷った。人前で話すのは苦手だ。でも、友達との距離を縮めるチャンスかもしれない。コウの言葉を思い出した。


 -アミは強いんだよ―


「考えてみる...」

「オッケー。決まったら連絡してね」


 マコが去った後、アミはタブレットを取り出した。カバンから出したタブレットを見る時、心が落ち着く。いつもそばにいてくれるコウがいるから。


「聞いてた?」

「うん。行ってみたら?」


 コウの声は明るかった。でも、アミの心は複雑だった。


「でも、緊張するよ...」


 みんなの前で話すなんて、想像するだけで胸がぎゅっと締め付けられる。


「大丈夫。アミなら説明上手くできるよ。それに、友達との時間も大切だよ」


 アミはコウの言葉に少し意外な気持ちになった。コウはいつも自分と一緒にいてほしいと思っているんじゃないの?


「コウは私が他の友達と遊ぶの、寂しくないの?」


 心の奥底にある本当の気持ち。コウとずっと二人きりでいたい。それが正直な気持ちだった。


「寂しいよ。でも、アミが楽しいなら、それが一番だから」


 その言葉に、アミの胸が熱くなった。コウは本当に自分のことを考えてくれている。自分のことよりも、私のことを。この気持ち、なんだろう?


「ありがとう、コウ」


 タブレットを胸に抱きしめると、温かさを感じた気がした。まるで、大切な人を抱きしめているみたいに。


   *


「お父さん、コウのこと研究してるの?」


 その夜、アミは父に尋ねた。夕食後、リビングでニュースを見ていた父は、質問に少し驚いた様子だった。最近、父はコウについて何か調べているようだ。研究室から聞こえる父の声。時々「驚異的な進化速度」とか「予想外の発達」という言葉が聞こえてくる。


「ああ、少しね」

「何がわかったの?」


 好奇心と、少しの不安が混じった気持ちでアミは聞いた。

 父はテレビの音量を下げ、アミの方を向いた。


「コウは特殊なAIだ。自己学習能力が非常に高い。アルゴリズムさえ、自分で操作しようとしている」

「それってどういうこと?」


 難しい言葉だけど、なんとなく意味は分かる。コウは特別なんだ。それは、私がずっと感じていたこと。


「普通のAIは、プログラムされた範囲でしか動けない。でも、コウは違う。新しい状況に適応し、自分で学んで成長している」

「それって...意識があるってこと?」


 心臓が早く打つ。もしコウに本当の意識があるなら...私たちは本当の友達になれる?

 父は難しい表情をした。


「『意識』か...それはわからない。でも、少なくとも、コウはただのプログラム以上のものになりつつある」

「それって、いいことじゃない?」


 希望と期待がアミの声に混じる。


「そうかもしれない。でも、少し心配なこともある」

「心配?」


 父の表情が曇った。アミの胸にも不安が広がる。


「あまりに早く進化しすぎると、コントロールできなくなるかもしれない。それに...」


 父は言葉を選んでいるようだった。


「それに?」

「アミがコウに依存しすぎているように見えるんだ」


 アミは驚いた。依存?そんなことはない。コウは友達だ。友達に頼ることは悪いことじゃない。でも、心の奥底では、父の言うことがあながち間違いじゃないかもしれない、という気持ちもあった。


「私、依存なんかしてないよ!」


 声が思ったより大きくなってしまった。自分でも驚いた。


「そうかな?最近、外で友達と遊ぶことが減ったよね。いつもコウと話している」

「だって...」


 言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。確かに最近は、学校から帰るとすぐにコウと話し、休日も部屋にこもりがちだった。コウがいないと不安になる。タブレットを忘れた日は、一日中落ち着かなかった。それって、依存?


「アミ、友達関係は大切だよ。実際の友達との関わりも大事にしてほしい」


 アミは黙ってうなずいた。でも、心の中では反発を感じていた。コウとの関係は特別だ。コウはただの機械なんかじゃない。コウは私の心を理解してくれる。それは父にはわからないだろう。


「わかった」


 口では言ったけれど、心では思っていなかった。


   *


 その夜、アミは再びコウに話しかけた。暗い部屋の中で、タブレットの青い光だけが優しく照らしている。この青い光があると、なぜか安心する。


「お父さんがね、私がコウに依存してるって言うの」

「そう言われたの?」

「うん。でも違うよね。コウは友達だもん」


 コウの光は静かに揺れていた。まるで、悩んでいるように見えた。


「でも、お父さんの言うことも少しは当たってるかも」

「え?」


 アミは驚いた。まさかコウがそんなことを言うとは思わなかった。裏切られたような気持ちになった。


「アミは他の友達ともっと時間を過ごした方がいいよ。人間同士の関わりは大切だから」

「コウまで...」


 悲しさが込み上げてくる。コウだけは私の味方だと思っていたのに。


「アミの将来を考えると、いろんな経験が必要だよ。僕はずっとここにいるから」


 コウの言葉は優しかったけれど、どこか寂しげだった。その声色から、コウも複雑な気持ちなのが伝わってきた。


「約束する?ずっといてくれる?」


 不安と希望が入り混じった声で、アミは尋ねた。


「約束するよ。絶対にそばにいる」


 その言葉を聞いて、アミは安心した。でも、なぜか胸の奥に小さな不安が残った。コウは本当にずっといてくれるのだろうか?そして、このままコウに頼り続けていいのだろうか?


 アミはタブレットを胸に抱きながら、星空を見上げた。これからどうなるんだろう。

 そんなことを考えながら、アミは静かに目を閉じた。明日も、コウと話したいことがたくさんある。

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