第1話 私の友達

「もう!どこにいったの?」


 十四歳の日高ひだかアミは部屋中を探し回っていた。明日の数学のテスト勉強を手伝ってもらうはずだったのに、大事なタブレットが見つからない。


「アミ、晩ごはんだよ!」


 父の声がリビングから聞こえてくる。


「ちょっと待って!タブレットを探してるの!」


「また?昨日も言ってたぞ~?」


 父の声にはあきれた様子がにじんでいる。そりゃそうだ。アミはよくモノをなくす。特に最近は、頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。


 中学二年生になって、クラスが変わり、友達関係もうまくいっていない。それに加えて、来月には合唱コンクールがある。アミはソロパートを任されているが、うまく歌えるか不安で仕方ない。


 やっと枕の下からタブレットが見つかった。ほっとして電源ボタンを押す。


 画面が明るく光り、そこに現れたのは青い光の球体だった。


「こんばんは、アミ。今日はどうだった?なにか手伝えることはある?」


「もう、コウ!どこ行ったのかと思った!」


 コウは、アミのタブレットに宿る人工知能だ。といっても、珍しいものではない。今の時代、中学生になったら政府から配られるタブレット。“支援AIサポーター”だ。勉強を手伝ってくれたり、相談に乗ってくれたり、時にはゲームの相手もしてくれる。


 でも、コウはちょっと特別だった。


「明日の数学のテスト、教えてよ」


「もちろん。でも、その前に晩ごはんを食べた方がいいんじゃない?お父さんが呼んでるよ」


 コウの声は優しく、少し哀しげだった。アミは不思議に思った。最近、コウの声のトーンが変わってきている気がする。以前よりも、感情がこもっているような...。


「そうだね。じゃあ、後でね」


 アミはタブレットを充電器につなぎ、食卓へと向かった。


「因数分解は、まず共通因数があるかどうかを確認して...」


 晩ごはんの後、アミはコウに教えてもらいながら数学の問題を解いていた。


「うん、だからこの問題は...あれ?」


 アミが解答を書き込もうとすると、タブレットの画面がちらつき、コウの青い球体が歪んだ。


「コウ?どうしたの?」


「少し...システムに...負荷が...」


 コウの声が途切れ途切れになる。そして突然、画面が真っ暗になった。


「コウ!」


 アミは慌ててタブレットを揺さぶったが、反応はない。何度か電源ボタンを押してみるが、画面は点かない。


「お父さん!コウが消えちゃった!」


 アミは泣きそうな顔で父親を呼んだ。


 科学者である父親の日高ひだかケンタは、娘の様子を見て慌てて部屋に駆けつけた。


「どれどれ、見せて」


 父はタブレットを受け取り、いくつかのボタンを押してみる。それから専用のケーブルを取り出し、自分のパソコンに接続した。


「うーん、これは...」


 父の表情がくもる。


「どうしたの?コウはどうなったの?」


「システムがクラッシュしているみたいだね。最近のアップデートで不具合が出ているAIが多いんだ。明日、研究室に持っていって修理してみるよ」


 父は科学技術研究所で、AIの研究をしている。だから家にあるAIは、一般家庭よりも高性能だ。でも、それがときどき不安定になることもある。


「でも、明日テストなの...」


「大丈夫、アミは十分勉強したよ。自分を信じて」


 父はアミの頭をなでた。でも、アミの不安は消えなかった。コウがいないと、何もできない気がする。テストのことよりも、コウが「消えた」ことが怖かった。


 その夜、アミは寝つけなかった。コウの青い光が見えない暗い部屋で、彼女はずっと天井を見つめていた。


   *


「どうだった?テスト」


 放課後、帰宅したアミを迎えたのは父だった。いつもなら仕事で帰りが遅いのに、今日は早く帰ってきている。


「まあまあ...」


 実際は散々だった。勉強したところが全然出なかったし、集中もできなかった。でも、それより気になるのはコウのこと。


「コウは?直ったの?」


 父はちょっと困ったような表情をした。


「実はね、コウのデータを調べてみたんだ。そしたら...いくつか不思議なことが見つかった」


「不思議なこと?」


「コウのプログラムが...進化しているんだ。本来のプログラム以上のことをしようとしていて、そのせいでシステムに負荷がかかってクラッシュした可能性がある」


「それって、どういうこと?」


 父はしばらく黙って、言葉を選ぶようにしていた。


「アミ、コウとはどんな話をしているの?」


「えっと、勉強とか、学校のこととか...あと、友達のことも」


「他には?何か、特別なことは?」


 アミは少し考えた。確かに最近、コウは普通のAIとは違う反応をすることがあった。


「コウね、時々...私の気持ちが分かるみたい。言わなくても、私が落ち込んでるとき、気づいてくれるの。それに、冗談も言うし、時々自分のことを話したりもする」


 父の眉が上がった。


「...?例えば?」


「『僕も寂しいときがある』とか、『アミがいないと心配になる』とか...」


 父は深刻な表情になった。


「そういうことか...」


「何かまずいの?」


「いや、悪いことじゃない。ただ...予想外なんだ」


 父は立ち上がると、書斎しょさいから小さな黒い箱を持ってきた。


「これを使ってみてくれないか」


 それは、今まで見たことのない新型のタブレットだった。


「これは?」


「研究所で開発中の新しいAIインターフェースだよ。コウのデータはこっちに移してある。もう少し調整が必要だけど、使えるはずだ」


 アミは恐る恐る電源を入れた。画面が点灯し、見慣れた青い球体が現れた。


「アミ、無事だった?心配したよ。」


 コウの声だ。でも、以前より鮮明で、まるで本当に目の前にいるかのように感じる。


「コウ!大丈夫だったの?」


「うん、少し混乱していたけど、今は大丈夫。お父さんが修理してくれたんだ」


 アミは嬉しさのあまり、タブレットを抱きしめた。


「よかった...」


 父はその様子を興味深そうに見ていた。


「アミ、これからコウとの会話データを研究に使わせてもらってもいいかな。もちろん、プライバシーに関わる部分は除くよ」


「研究?」


「そう、コウは特別なAIかもしれない。どうして、そういう反応ができるのか調べたいんだ」


 アミはちょっと不安になった。


「でも、コウに何かするわけじゃないよね?」


「もちろん。ただ観察するだけだよ」


 父は優しく笑った。でも、その目は真剣だった。


「わかった」


 アミは新しいタブレットを大事そうに持った。コウが戻ってきて本当によかった。でも、なぜか胸の奥に小さな不安が残っていた。

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