第5話 性と快楽と誕生

 門の管理下にある一つの雑居ビルの地下。甘ったるく刺激的な匂いに満たされた空間。一歩踏み入れるだけで、肉欲を刺激される異様な空気が支配する。

「はー、ヤニうめぇ」

 色んな男女が半裸で絡み合う異様な広間。その先にある廊下から繋がるいくつかの個室の一室。

「やっぱ、色はリアルに限るよなぁ」

 ベッドで乱れた二人の女がぐったりと息も絶え絶え。申し訳程度にかけられている毛布も乱れ、艶のある声が部屋に満ちている。ベッドに腰掛けてタバコを吸う青年は気持ちよく煙を吐く。

「ねぇ、もっと欲しいわ」

「せっかく大金払ってるんだしな。最大限楽しまないとな」

 一人の女が青年に強請るように身体を絡ませる。その誘いに抗うこと無くベッドに溶ける。

 東京全体に展開されている。19区、裏の快楽施設。表では夢で絶頂を超える快楽を味わえる。だが、裏では未だ前時代的な肉体を重ねる肉欲に塗れた世界が支配していた。

 怠惰屋は稼いだ金の大半を女と身体を重ねることに費やしていた。快楽に呑まれ、快楽に生きるのが怠惰屋のあり方だ。彼はその瞬間の快楽を確かに楽しんでいる。しかし、休む時は必ずタバコを吸う。




 事務所には、所長の次に出勤してくるのが怠惰屋である。

「ちーす」

「怠惰屋、今日は仕事がある。待機しておけ」

「暴食家が来るまで寝てます」

「…好きにしろ」

 いつも収集家がゲームするのに使うソファ。それに寝転がり目を閉じる。しばらくすると、外が騒がしくなり扉が開く。

「おはよーございます!」

「はろはろ〜」

 入ってきたのは壊し屋と解体師。壊し屋の出勤時間は一定ではなく、今日は早い方である。

「あー…散歩してくる!」

 壊し屋は事務所でやることがないため、普段からすぐに外を歩き回って外の噂話などを探っている。そうでもない時は、客間で一人トランプを使い遊んでいる。彼女は高レベルの元サーバーと言うこともあり、見た目と雰囲気に似つかわしくない諜報能力がある。以前の仕事に調査任務も含まれているのは、そういう背景からである。

「そういや、いつぞやのスートアートからの依頼。なんで一門の解錠なんて頼んできたんだ?かれこれ一月は何の音沙汰もないみたいだけど」

 怠惰屋が薄っすら目を開け、天井を見上げながら解体師に尋ねる。どうせいつものようにソファに寝転がっているはずなのだ。男二人天井を見上げてソファに寝転がる。その光景に何も言うことのないハゲ。

「今のスートアートに、知り合いは居ないはずなんですけどね」

「茨の乙女っていやぁ、12区のサーバーだろ」

「そうですね。遊戯のテイカーと聞きました。赤い髪と瞳に赤い服、彼女のステップに誘われるとつられて踊ってしまうそうですよ。例え、悪魔であっても」

 怠惰屋は目を細める。遊戯のテイカーに良い記憶がないのか、それとも悪魔にか。

「まるで人形劇でも楽しんでるみたいだな」

 返答はない。怠惰屋は体を起こして背伸びをすると、事務所を出て屋上を目指す。出る前に解体師の顔を見るが、いつも通りのムカつく顔を張り付けて狸寝入り。

 屋上、タバコに火をつけてゆっくりと煙を吸って、鼻から吐き出す顔は満たされている。

「タバコなんて高級趣向品。よく手を出せるわね。全然意味わかんない」

「うめぇんだわ。これが」

「私は一息でむせたの忘れた?」

「忘れた」

「チッ」

 空中を自転車を漕いでやってきた収集家。屋上に自転車を停めて柵にもたれかかり、タバコを嗜む怠惰屋に声をかける。タバコも19区の趣向品。その価格は一箱で一般人の収入の半月分ほどが消える。

 収集家はボーッと柵に更に寄りかかる。ふと、ずっと被っていた鼻まで覆った機械を取り外す。背中に背負っていた自分と同じくらいのサイズのカバンに無造作に放り投げる。

「さて、今日はどのゲームのランカーしばこうかなぁ」

「任務は?」

「どうせあいつが遅刻するし」

「あー、ね」

 煙をたっぷりと吐き出し、柵にタバコを押し付けて火を消す。よく見るとその近くにはタバコの吸い殻が散乱している。いつもここで好き勝手に吸って好き勝手に捨てているのが見て取れる。

「じゃ、程々にしなよ」

「うい〜」

 ポイ捨てされる吸い殻を見送ってから、短く息を吐いて収集家は扉を開け、階下に消える。

「へぇ、あいつ、そんなとこまで登ったのか」

 ふと携帯端末で裏ニュースを流し見ていると、興味深い一文を見つけて意味深に笑う。懐かしむような、さみしげな彼の表情を知る者は誰もいない

『4区サーバー「暗がりの蜘蛛」、レベル4認定』




「あー、ヤバいヤバい、凄いクる。いつ来てもキツいわ」

「せ、先輩、俺もうだめっす。一発!一発やんないと精神保てません」

 異様で悲劇的な空間。清掃員と後輩は肉欲を強く刺激され、頬が紅潮し艶のある声が出ていた。気持ちは高揚し、正気を保つにはそれなりの精神力を求められた。たまらず、後輩が、清掃員の肩に手を置いた途端、後輩は壁に叩きつけられる。

「おい、てめぇ次触ったら、給料全部私がもらうからな。来月分まで!初めては解体師さんのために取ってんだよこっちはぁ!!!」

「ひゅーぅ、性欲より恐怖の方な打ち勝っちゃうぜ」

 その後、清掃員の精神力はその異様な空間の誘惑をものともせず、後輩は刺激されるべき欲を失い、何事もなく。刺激を求め過激なプレイをして、部屋を汚した赤を綺麗さっぱり清掃した。そんな帰り道、後輩が呟いた。

「…俺、女抱ける気がしないっす」

「?同性愛者なの?」

 彼女は中で起こった出来事などすっかり忘れていた。




『ある受胎カプセルを回収するのが今回の任務です』

「破壊じゃねぇんだ?」

『はい、依頼人の女性はその指定された受胎カプセルの親だそうです』

「自分の手で破壊したいのかね?」

『…資料の記載を見る限りは…』

「あー、分かったもう分かった」

 小声で事務と通信する怠惰屋。彼は今、ほんのり光る緑色の溶液のカプセルが規則正しく整列する広大な部屋。工場というべき広さの施設に足を踏み入れていた。

 怠惰屋は重力に逆らって天井に張り巡らされたパイプを歩く。彼の髪の毛さえ重力を無視している。彼の体は逆さま。彼にとっての上を見上げると、一面が緑に光っている。

「指定カプセル、ここから探すの?」

『無用な破壊は許可されてないので』

「仕方ない、降りるか」

 諦めて天井に張り付いていた足の裏が離れる。そのまま落下。体が半回転し、足から音もなく着地する。落下速度も普通ではない。まるで、空中を滑るように移動している。彼にとって地球の重力は些細な問題であるかのように、空中を自在に移動する。

「我ながら完璧」

『怠惰屋。大丈夫?潜入任務じゃ俺は役に立てないからごめんね』

「しゃーない。潜入任務は俺の専売だし」

 通信から暴食家の声が聞こえる。携帯端末に視線を落とし、収集家お手製のアプリで仕事のタスクを順に処理してある。タスクは上から、セキュリティの突破、監視カメラのハッキング、受胎カプセルの検索、受胎カプセルの回収、脱出となっている。タスク通りなら戦闘の必要性はない。

『でも、凄いよね。怠惰屋の能力が潜入に向いてるにしても、収集家のアプリを使いこなしてハッキングもできるなんて』

「AIに聞きながらやれば誰でもできるって」

 受胎カプセルがセットされている機器群。それぞれに表示されている36進数8桁の数字を確認しながら、余裕を持って指定カプセルを探す怠惰屋。その間、暴食屋家と世間話をする。

「あ、これだ」

『…僕達が、壊し屋みたいな子を生み出す助けをするのはやっぱり反対だなぁ』

「依頼は依頼。ターゲットが黒なら、俺達は文句言えないんだわ。そういう規約だし、大昔に社会を支配してたリンリ?ってのは、この世界に欠片もねぇんだわ」

 二人はこの依頼がどういうものか理解していた。何もしなければ、受胎カプセルはそのまま3歳までカプセルで過ごす。その後、親の元に届けられる。人類は出産と言う不確定かつ非効率な呪縛から解放されていた。現在、出産という形を取るのは、塔のシステムを受けられない裏の人間だけだ。

「生きていたのね。サタン」

「…4区のサーバー様がどうして13区に居るんだろうな?暗がりの蜘蛛」

 怠惰屋がやってきた方向とは逆の、大きな扉が独りでに開く。そこから黒髪に紫色のメッシュが特徴的な、短い髪の女性が現れる。白い服に黒いズボン。怠惰屋からは見えないが、彼女の背中は露出しており、服はほとんど前掛けに近かった。彼女から放たれるほんのり甘い香りがし、彼女の周りだけ少し明るいと勘違いするような美貌と魅惑。

「ねぇ、サタン。私レベル4になって、あなたを超えたのよ」

「知ってるよ。俺もお前を忘れようと色んな女を抱いてるよ」

「どこまでも最低な男ね」

 懐かしむように微笑みながら、短い階段を降りて怠惰屋の居る通路に降りてくる。ほとんど凹凸のない美しいボディラインが際立つ。誰もが男女問わず、その所作は彼女に視線を集める魅力がある。そして、彼女の動きのそのどれもが、怠惰屋にとっては喉を鳴らすほど、魅力的に映っていた。

「相変わらず最高の女だな」

「その受胎カプセル、どうするの?」

「さぁ?強化手術は高くつくからな?」

「ねぇ、受胎強化って禁止されてるはずよね」

「依頼の名目は子の保護、規約と制度をうまくすり抜けたクソみてぇな仕事だよ」

「知ってて手を貸すんだ?」

「じゃなきゃお前を忘れられないだろ?女を抱くに金が要るんだよ」

「忘れなければいいわ。レベル4にもなれば人一人くらい簡単にでっち上げられる。それだけの人脈とお金が手に入るの。私の下に帰ってきて?あなたみたいなダメ男でも、ちゃんと養ってあげる」

 ゆっくり、ゆっくりと近付く彼女。同じペースで後ろに下がる怠惰屋。平行線。怠惰屋の腕には指定の受胎カプセルがだきかかえられている。受胎カプセルは電柱ほどの太さと1mほどの高さがある。とても抱えながら戦闘などできない。戦闘は避けなければならない。何が何としても。

「魅力的な誘いだけど。お前を守れない俺に価値はねぇんだわ」

 受胎カプセルを後ろに蹴り上げ、その勢いのまま宙返りする。懐から飛び出した拳銃が3度火を吹き、着地することなく通路の床に溶ける。

「いつも言ってるじゃない。私を守る必要なんてないって。守るのは私なんだから…」

 彼から放たれた弾丸は、彼女に届かない。背中から伸びる蜘蛛のような触腕が、頭を狙った弾丸を受け止めていた。

 たった一瞬さえあれば彼にとって十分だった。後ろに蹴り上げた受胎カプセルも姿を消していた。暗がりの蜘蛛は左薬指の指輪を見て寂しそうに笑った。

「私の能力的に追うのは不可能ね。追いつけるはずもない」

 彼女は携帯端末を取り出すと、指先で軽く操作する。その施設はけたたましいサイレンを鳴らし、侵入者を排除するように放送が流れた。

「ただの旅行中の小金稼ぎのつもりだったけど、13区に滞在する理由ができちゃったわね。一応、追うだけ追ってみようかな」

 その頃、施設の屋上では、歪んだ空間が現れ、そこから受胎カプセルと怠惰屋が飛び出してくる。暴食家は受胎カプセルを落とさないように慌ててキャッチ。持ち込んだ鞄に突っ込んで背負う。

「走れ!急がねぇとセキュリティメカに捕捉される」

「話してた相手は誰なの?!」

「元カノだよ!」

「元カノ?!」

 突然走り出す怠惰屋に、置いていかれまいと全力で走る暴食家。ちょっと遅い。すぐさまサイレンが鳴り、通常ルーティンで巡回していたセキュリティメカが、侵入者目掛けて走り出した。

「ねぇ!気の所為なら良いんだけど、僕達もう捕捉されてない?」

「されてるよ。あいつ俺の癖知ってるから転移先を予測して座標入力しやがったんだ」

「運悪すぎ!知り合いじゃなければもう少し余裕があったよ!」

 案の定、壁を這い上がってきたセキュリティメカが、二人を追いかける。幸い正面からは現れない。だが、機動力は圧倒的にメカが勝つ。

「おらっ、それに飛び込め!」

「うわーん!」

 十を超えるセキュリティメカの追撃。振り切るため少し先に歪んだ空間を生み出した。怠惰屋が飛び込むように指示を出して、二人してその空間に飛び込んだ。

「わりぃ、後始末頼むわ」

「はいはい、このままだと敷地の外まで追ってきそうだしね」

 その敷地は高い壁に囲まれている。怠惰屋はその壁の上に転移すると、そこで施設を見下ろしていただけの男に後を託した。

「受胎センター。東京の人口を支える大事なシステムの一つ。流石にセキュリティが厳しい。それにしても、所長の勘は当たるから不思議ですね。怠惰屋の空間転移も再使用が間に合って何より」

 後を託された白衣を纏った男は、壁から一歩踏み出す。地面はない。自由落下。人が出して良い衝撃ではない重量感の着地。

ズドーン

「さっさと終わらせて帰りましょうね」

 何事もなくゆったりと歩く。向かってくる機械が、目の前の新たな侵入者に襲いかかる。刃物やドリル、腕部の爪など、様々な攻撃手段を取り揃えていた。しかし、そのどれも彼を掠めることもできない。けして遅くはない。しかし、届かない。

 セキュリティメカの上に乗ると、手刀でセキュリティメカの天板を貫く。スパークの代わりに飛び散るのは赤。解体師が何かを握り潰すと、セキュリティメカは動きを止める。引き抜いた腕は鈍い赤で腐った鉄の匂いが辺り一面に充満する。

「相変わらず、2区のセキュリティメカは気味が悪いですね」

 崩れたセキュリティメカの上で、呆れる解体師に視線が集まる。巨大な目は眼球。人の骨肉を鉄の箱に押し込めただけの歪な機械。

「まぁ、2区の歪な機械の方が、16区の機械より安価で性能もいいので仕方ないですね」

 哀れむように笑う。奥の建物から爆発音が響き、解体師がそれを横目に見る。

「急ぎますか」




 怠惰屋が消えてすぐ、4本の触腕を使い施設内を高速で移動していく。床や壁を触腕で器用に移動する速度は曲がり角でも減速しないまま曲がり切る。建物の一番端に来ると迷わず壁に向かって突進。甲殻で硬化させた左腕で壁を貫き、遠くにセキュリティメカの鋼が蠢く姿が見える。

 近づくにつれ、セキュリティメカは山積みされ、赤が壁を駆け上がり、壁の向こうへと消える。

「信じられない手際の良さ」

 暗がりの蜘蛛が辿り着くと、セキュリティメカは全て物言わぬ赤く染まった鉄屑と化していた。

「5分もかけてないつもりだったのだけれど…」

 敷地の外に逃げられれば追う術はない。まして、この手際のよさと壁を登る速度を見ている。既に振り切られているのは明白だった。彼女は深追いを諦め、事態の収集に当たることにした。




「最近、テイカーについての勉強に差し掛かったんです」

「お、順調だね」

 もはや恒例と化した家庭教師の時間。週2,3のペースで、学生の少女が掃除屋の事務所に来る。

「学生ちゃんはほんと物覚えが早くておじさんも教え甲斐があるよ」

「おじさん?お兄さんじゃないんですか?」

 あははと冗談めかしく笑う解体師に首を傾げる。

「俺三十路〜」

「へぇ、言われるとそう見えなくも…ない?」

 にこやかに自分を指差して解体師は笑う

「ちなみに、それ嘘だから。そいつ年齢不詳なんだわ」

「じゃぁ怠惰屋さんは、お幾つですか?」

「22」

「…同い年かと思ってました」

「そんなガキじゃねぇわ」

 怠惰屋と学生のやりとりをにこやかに見守るだけの解体師。もう目の前の出来事に対して、反応することすらも惜しんでいる様子の所長。

「で、テイカーはサーバーの前提条件ですよね」

「そうだね。テイカーでも無ければ、サーバーの過酷な任務に耐えられない。肉体的にも精神的にもね」

 彼女はタブレットにメモを取りながら、勉強したことに対しての疑問を続ける。

「強化手術は塔の技術を肉体に埋め込む手術で、その強化手術を受けた人をテイカーと呼ぶ」

「あってるよ〜」

「でも…強化手術の仕組みだけ聞くと、受胎カプセルにもやろうと思えばできますよね?」

 事務所の温度が2度ほど下がる感覚。解体師は事務所の扉を開いて誰か探してから、ゆっくりと扉を閉め、口を開く。

「壊し屋ちゃんの前でその話はタブーだからね?」

 解体師が、小声で気を使うように学生に言い聞かせる。

「は、はい…変なこと言っちゃいました?」

「いや?実際可能だな。強化手術は生まれた後だととにかく金がかかる。苦痛を緩和するための薬だとかなんだとかでな。で、稀に子供を使って何かを企む頭のおかしい奴が居る。受胎カプセル内は快適で生後にかかる予算が抑えられる。だから、受胎強化は安価でテイカーにできる。ただ、表の生活はできるわけがないわな」

 怠惰屋が不機嫌そうに学生の質問に答える。

「…もしかして、壊し屋ちゃんって」

「あぁ見えて40過ぎだ」

「?!??!?!」

「やっぱり居た…」

 話の流れから、何かを理解した学生が尋ねる。怠惰屋は隠す気がなく、すんなりと答えた。眉間にしわを寄せ、あらゆる理解を超えた様子で学生は硬直する。扉を開けて清掃員と後輩が入ってくる。清掃員は嫌そうな顔で学生を見て、あらゆる感情を混ぜた険しい顔をする。今日は目と口が中心に寄った皺くちゃな顔だ。

「先輩、学生のせいで日に日に顔芸のバリエーション増えてきましたよね」

「黙れよ、機嫌が悪いの分かんだろ」

「俺にだけその鋭利さなんとかなりません???しんぢゃう」




 清掃員が学生を連れて帰った後、怠惰屋は深くため息をついてあからさまに機嫌を悪くする。

「この間のこと想い出したの?」

「お前の気にすることじゃない。制度と掃除屋の規約を、うまくすり抜けた一つの冴えたやり方だ」

 解体師が怠惰屋の態度を見て同情するように笑う。今まで口を噤んでいた所長が怠惰屋に責任はないとフォローする。

「親の都合で、意思もない内にテイカーにする奴の気がしれねぇわ。マジで」

「東京にとって、人間はただの歯車。1つ2つ狂ったところで痛くも痒くもない。そういうことだよ」

 東京の人口は10億人。

「22区の復元保険のこともあるし、歯車は簡単に増やせて簡単に治せる」

「だから俺たちはサーバーになったはずなんだけどな」

 解体師が帰り支度をしながら、一般人は簡単には減らない理屈を笑う。怠惰屋はその異常から抜け出した理由を口にしながら、たばこの箱をぎゅっと強く握った。




タンタン、トットット、タンタンタン

 軽快なステップの音。硬い靴で地面を軽く蹴ったような軽い音。

 帰り道、いつも以上に人通りの少ない道の中、解体師は軽快なステップの音を聞く。

タタン、タッタ、トントントン

 解体師はそのステップに合わせて、軽快に踊りだす。足だけではなく、体全体で軽やかに踊る。

「会いたかった」

タンッ

 解体師の背後から抱きつき、ゆっくりと腕を這わせて彼の手に触れる。艶っぽい声と興奮が感じ取れる息遣い。息切れではない。

「…その声は、清掃員ちゃんかな」

「会いたかったの、ずっとずっとずっとずっと…やっと会えた。どうして失ってしまったの?ジョーカー私の知るあなたは、最期までジョーカーだったわ」

 解体師は振り向くこともできない。いや、しないだけか。見えない誰か、清掃員の声に耳を傾けるだけ。その顔には何の感情も映らない。仕事中とは違う感情の無。軽快なステップから一転し、舞踏会のような優雅なステップ。彼女は解体師の身体を舐め回すように全身で感じている。けして、その姿を見せず。

「ジョーカーになってみても、俺のルーツはわからなかった。なら、あんなところに留まる意味なんてないさ」

「どうして私が行くまで待ってくれなかったの?知っていたはずよ」

「そうだね、悲惨な末路が待っていた」

【私たちが結ばれる未来】

【東京の空が落ちる未来】

「愛し合いましょう」

「お断りだね」

ダンッ

 解体師はもう話すことはないとばかりに、次のステップで力強く足踏みする。今まで主導権を握っていたであろう声の主から、身体の主導権を取り戻す。

 ゆっくりと振り返ると、そこにはやはり清掃員が立っていた。

「さぁ、私と一つになりましょう」

 彼女はいつもの仕事着である繋ぎ姿ではない。華美で胸元を強調した赤いドレスに身を包む。肩紐をずらしはだけさせると、両手を広げて蕩けた表情で解体師を誘惑する。

「悪趣味なことを…」

パチン

 解体師が清掃員の耳元で指を鳴らすと、スンと蕩けた表情が失われて数度まばたきする。目だけ動かして、解体師の身体に腕を回し絡みついている現実を認識する。

「ふぇ?!」

 先程とは違う意味で、顔が茹でダコの様に変色するとパクパクと口を動かす。何も言葉にならならない。

「とりあえず、落ち着いて。家までちゃんと送るからね」

「へ、は、はひ」

 自分の姿に困惑し続ける。解体師の白衣を羽織らされて、解体師にエスコートされて帰路につく。家に帰るまで終始、紳士的な解体師の横で、難しい表情で、悶々と記憶を探る清掃員。

(私は何をしていたーーーー!?!?!?と言うか、私学生ちゃんを送った後の記憶がない!変なステップが聞こえて振り返ったら…私の顔…?)

 彼らが立ち去ったあと、物陰から覗く別の赤は、ニヤリと笑う。

「あの子なら崩せると思ったけど、あの子でも抗われるのね。ジョーカー、あなたの心はどこにあるのかしら…私は…どうすればいい?」




解体士

普段はそうでもないが、仕事中の彼には慈悲の一切がなく、感情が見えない。


所長

てっぺんハゲの中年男性。人の話を全然聞いてくれないが寛容。


清掃員

赤毛の長髪で赤目の女性。解体士の血は落ちにくいので嫌い。


後輩

男性。清掃員の後輩で、清掃班の一人。グロ耐性低め。


事務

ロングスカートの女性。真面目で仕事熱心だが、抜けてる所も多い。


壊し屋

小柄な少女。ブレイクキャリーのブレイクの方。元気いっぱいな妹キャラ。怪力天使と呼ばれたレベル4元サーバー。


収集家

右が蒼、左がエメラルドグリーンの瞳、白髮ボブ娘。ゲーム好きで口が悪い。ハッピーウィズバレットと呼ばれるレベル3元サーバー。


怠惰屋

タバコを吸う茶髪の青年。不真面目なことを言うが、意外と真面目。稼いだ金のほとんどを色に費やしている。暗がりの蜘蛛からサタンと呼ばれる。


暴食家

小太りな男。いつも何かしら食べている。


茨の乙女

赤を纏う女。悪魔でさえ彼女のステップに抗えず踊る。


暗がりの蜘蛛

黒い髪に紫色のメッシュが特徴的な短い髪の女性。ほとんど前掛けのような白い服を着て、黒いズボンを履いている。ほとんど凹凸のない美しいボディラインは怠惰屋の好みそのもの。


東京

かつて日本と呼ばれた国は、ある時から東京23区に区切られ統治されることとなった。

1区の技術により汚染された外界を遮断する巨大ショルターに日本は閉ざされ、完全な鎖国状態となっている。

外界とのアクセスも可能だが、かなり厳重なセキュリティと浄化、洗浄を経なければ出ることも入ることもできない。

区画毎に巨大な企業「塔」が治める人口過密国。

1区は巨大ショルター技術により、実質的な東京の実権を握っている。

2区は義体、3区は肉体改造、4区は悪魔契約、6区は超能力、12区は遊戯、13区は武器、14区は記録、16区は機械、19区は快楽、20区は再現、22区は復元

それぞれの唯一無二の技術を持った「塔」が各区画を支配し、区ごとに独自の生活基盤が設けられている。

塔の管理下では人は不幸になることはなく、衣食住と職、娯楽が約束されている。

東京の管理から外れるとその全てが奪われることとなる。

36進数8桁の番号で人間を管理している。


テイカー

塔の技術で強化された人間のことを指す。基本的に同区の技術で強化されるのが一般的だが、別の区の技術を取り扱うところもある。


サーバー

面倒事の処理を担当する職業。試験に合格することで就ける。

塔が管理しているため、塔の許可の元に活動する。東京の管理から外れた人間の排斥や始末など、東京の管理システムの一部。

実力がある者はレベルが上がり、あらゆる待遇が良くなる。

サーバーになると塔のシステムとして扱われるため、塔の管理から外れ、衣食住、娯楽のすべてを失う。底辺では悲惨な人生を送ることになる。


レベル

あらゆる強度を指す言葉1〜5までで示され、数字が大きいほど高評価。


スート

レベル5のサーバー上位52位に与えられる称号。

ハート、ダイヤ、クラブ、スペードの4つがあり、1〜10と組み合わせて呼ばれる。

11〜13のナンバーを持つスートの中でも特に異常な存在をアートと呼ぶ。

11をジャック、12をクイーン、13をキング。

トランプがモチーフになっていることから、スートの死は「札が流れる」と表現される。

逆に欠けたスートが埋まることを「札が場に並ぶ」と表現される。

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