第8話 ラウルとオズヴァルト、追い返す
「レジェス宮中伯! アスセナは?」
客間に戻るなりホアンが尋ねてくる。ラウルは冷たく首を振った。
「娘は殿下に会いたくないと言っています」
「バカな!」
ホアンは信じられないという顔で詰め寄った。
「アスセナに会わせてくれ! 話せばわかるんだ!」
「娘の名を軽々しく呼ばないでください」
ラウルはにべもなく突き放した。
「殿下と娘はもう他人。婚約者でもない女性を名前で呼ぶのは礼を欠く行為です」
「ち……違う……誤解だ!」
「誤解とは?」
「アスセナは素直になれないだけだ。本当は僕を愛しているんだ!」
ラウルは端正な額に青筋を浮かべた。「寝言は寝て言ってください」と言いたかったが、王子相手に不敬なので、深呼吸してこう言った。
「寝言は寝て言ってください」
「レジェス宮中伯!?」
驚愕するホアンを、ラウルは冷めきった目で見返した。
(アスセナはこの男におびえていたのに……こいつはなぜこんなに能天気なんだ……?)
アスセナは食事も摂れないほど落ち込み、ホアンに会うのは嫌だと震えて拒んでいたのに、この男はなぜこうも自信満々なのか。
「婚約破棄なさったのはホアン殿下でしょう。これ以上娘を傷つけないでいただきたい」
「もちろんだ。アスセナと復縁してあげるよ!」
「……してあげる……?」
ラウルの青筋がさらにピキピキと浮き上がった。
「僕の心が戻ったと知ればアスセナも安心するはずだ。だからよりを戻してあげる。嬉しいだろう?」
「……嬉しい……?!」
ラウルの額はもう破裂寸前だが、ホアンは堂々と胸を張っている。
「ああ。だからもう
この三か月間。ホアンの婚約者の座が空いたと聞きつけて、未婚の令嬢たちが続々と群がってきたが、ホアンを満足させる女は一人もいなかった。
美貌といい、気品といい、知性といい、アスセナに勝る令嬢はいない。やはり彼女が一番だとホアンはつくづく思い知ったのだ。
「アスセナはまた僕の婚約者になるし、レジェス宮中伯は父上の
ホアンがパチンと指を弾くと、武装した兵士たちがわらわらと沸いて出た。
王子が手薄な警護で外出するはずがないとは思っていたが、予想以上の人数だ。
ラウルは表情を曇らせ、ホアンは満足そうに含み笑った。
レジェス父娘は勉強はできるかもしれないが、武芸の方はからきしだ。
やたら腕の立つメイドがいるとは聞いているが、たかが女一人。王宮の誇る選りすぐりの兵の敵ではない。
このまま父娘ともども取り囲んで、王宮へ連れていく。実力行使だ。
「──かかれ!」
ホアンが命じると同時に、重装備の兵士たちが一斉にラウルに飛びかかった。
──ザンッ!
黒い何かが空気を切り裂く。
目にも止まらぬ速さで駆け抜け、兵士たちの眼前をすれすれの位置で通過して、ホアンの足元に深々と突き刺さったのは、巨大な戦斧だった。
「動くな。動けば次はその首を貫く」
恐ろしく低い声音に、兵士たちはビクッと竦みあがった。
「ベ、ベルトラン軍務伯! なぜここに!?」
鬼神のような顔と鋼鉄のような巨体で立ちふさがるのは、オズヴァルト・ベルトラン。常勝無敗と名高い歴戦の軍人だ。
「なぜも何もない。ラウルは我が
オズヴァルトが凄み、近衛兵たちはまるで大蛇に出会った蛙のような顔になった。
「ベルトラン軍務伯! 自分が何をしたかわかっているのか? 僕はこの国の王子で──」
「だから何だ? 友人の大切な娘を理不尽に婚約破棄するような愚か者を、主君と崇める趣味はない」
きっぱりと言われて、ホアンは
そういえばオズヴァルト・ベルトランが突如、
ただでさえラウル・レジェスが職務放棄して困っている時に、なんと迷惑な男だと思っていたが、まさかレジェス家に来ていたとは──。
無遠慮にホアンを見下ろすオズヴァルトは、まさに
誰を敵に回そうとも、レジェス父娘を守るという覚悟で満ちている。
(最強無比の用心棒じゃないか……!)
知のレジェスと、武のベルトラン。
二人のおっさんに挟まれたホアンは、なすすべもなくがくがくと震えた。
「ちちち父上に……言いつけてや……」
「好きにしろ」
オズヴァルトは深々と突き刺さった斧を、片手で軽々と引き抜いた。
「今ここで貴様の空っぽの頭を切り落としてやれば、泣きつくこともできんがな」
黒い戦斧の表面が、鋭利にきらめく。
「安心しろ。軍務伯のたしなみとして、斧は欠かさず研いである。痛みを感じる暇がないのは温情と思え」
言葉を失ったホアンを冷徹に見下ろして、ラウルは告げる。
「ホアン殿下。私は二度と
「俺もだ。二度と
ラウル・レジェスが
(……ま……まずい……)
顔面蒼白になったホアンはようやく自身の軽率な婚約破棄が取り返しのつかない事態を招いたことを悟ったのだった。
◇◇◇
ホアンが悔しそうに退散していった後、ラウルはオズヴァルトに礼を言った。
「助かった、オズ」
「お安いご用だ、ラウル」
塩でも撒いてやりたいが、この世界にそんな風習はなかったか……と思いながらラウルが王宮の方角を睨んでいると、メイドのソフィアが呼びに来た。
「……旦那様」
「ソフィア?」
「……お話があります」
ソフィアがこんなに暗い顔をしているのは初めてだ。悪い予感が急速にラウルの胸をこみあげる。
「どうした?」
ソフィアは意を決したように告げた。
「アスセナお嬢様は懐妊していらっしゃいます」
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