第9話 アスセナ、逡巡する

「アスセナお嬢様は懐妊していらっしゃいます」

 

 ラウルは凍りついた。


「……ソフィア? 今、何と……?」


「このようなこと……嘘や冗談で言えるはずがありません!」


 ソフィアは唇を噛みしめて語った。


 アスセナの容態からもしやと疑い、密かに医師を呼んだこと。診察の結果、妊娠の症状が確認されたこと。

 

「予測される週数から、受胎時期を逆算すると……」


 ソフィアの声は必死に感情を殺しているのに、激しい怒りがほとばしっている。


「……婚約破棄されたあの日に、身ごもったものと推定されます」


 まるで落雷のような衝撃だった。


 稲妻のごとき振動に穿うがたれて、全身が引き裂かれそうになる。ラウルはわなわなと身震いした。

 

「……そういうことか……!」


 アスセナがあれほど傷ついて閉じこもっていたのは、ただ一方的な婚約破棄によって、長年の努力を否定されたからというだけではなかった。


「許さん……! あのアホ王子……!」


 アスセナは精神的な苦痛を味わっただけではなかった。肉体的にも汚され、辱しめられていたのだ。


「どこまでアホなのかと思っていたが、これほどまでに許しがたいドアホウだったとは……!」


 愛する一人娘を傷物にされた怒りがふつふつと沸いてくる。


 いや、ふつふつなどという生やさしいものではない。激昂と呼んでも足りないほど壮絶な憤怒が、熱湯のようにぐらぐらと煮えたぎって、内側からラウルを燃やした。


「ふざけるな! よくも私の娘を……!」


 ラウルが怒声を張りあげた時、わぉんと鳴く子犬の声がした。


「……お父様……」


「アスセナ!」


 子犬のカナルはアスセナを慰めるようにくんくんしがみつき、アスセナはカナルをぎゅっと抱きしめる。


 アスセナは父とオズヴァルトに向かって、ソフィアの言ったことは真実だと認めた。


 今のレジェス家の安全はオズヴァルトのおかげで守られている。隠すのは不義理だと思ったらしい。


「アスセナお嬢様……! あの日私がお嬢様にお供していれば……!」


 ソフィアは悔やんでも悔やみきれない様子で、にぎりしめた拳を机に叩きつけた。


 机は真っ二つに割れ、粉砕された破片が放射状に飛び散る。


 舞い散る木くずの中、ラウルは震える唇を開いた。


「……アスセナ……」


 何もできない自分がふがいなくて、娘の顔を見ることすらいたたまれない。


 けれど、目を逸らすことはしたくなかった。何もできなくても、せめて逃げずに向きあいたかった。

 

「おまえが望むなら、産まない選択をしてもいい。産んだ後に誰かに託してもいい。その子の存在を抹消して、何もなかったことにしてもいい」


「お父様……」


「酷いことを言っているだろう? だが本音だ」


 子供に罪はない。だがまだ見ぬ孫よりも、目の前の娘の方が大切だ。


「私にとっておまえよりも大事なものはない。アスセナ」


 一番辛いのはアスセナだ。娘の意志を最優先に考えたいし、力になれることは何でもしてやりたい。


 どんな道を選んでもいい。誰が後ろ指をさそうと、父だけは味方でいる。


「おまえがもっとも苦しまない方法を選びたい。どうすればおまえの傷を最小にできる? アスセナ、私はおまえのために何をしてやれる?」


 アスセナは大きな瞳をまたたいた。


「お父様……」


 わずかの沈黙の後、長い睫毛が伏せられる。


「……少し……考えさせてください」

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