賢者の弟子が手遅れな件について
黒鋼 グラヴィス
第1話 賢者の弟子
静かな村の片隅、質素な木造の診療所で、俺は今日も患者を診ていた。
「先生、腰が痛くてなぁ……」
「歳のせいだな。湿布を出すよ」
「先生、この子、熱があるみたいで……」
「喉が赤いな。薬を煎じるから待ってくれ」
村人たちの頼みごとを淡々とこなす日々。俺はただの医者として暮らしていた。……少なくとも、そう"するつもりだった"。
だが、そんな俺の日常をぶち壊す存在がいる。
「師匠!聞いてください!」
案の定、扉を勢いよく開けて現れたのは、俺の唯一の弟子であるルークだった。
「また何かやらかしたのか?」
顔を上げると、ルークは満面の笑みを浮かべて胸を張った。
「ついに俺は、"闇の契約"を結びました!」
俺は言葉を失った。いや、ちょっと待て。何を言っているんだこいつは。
「……具体的に説明しろ」
「ふっ……この右腕に宿る刻印(ルーン)こそが、我が新たな力の証!」
そう言いながらルークは腕をまくる。そこには……ただの墨で描かれた謎の模様があった。
「……落書きじゃないか」
「違います!これは俺が新たな境地へ至るための儀式であり、誓約の証!」
ダメだ、こいつはもう手遅れかもしれない。
「どこでそんなことを覚えた」
「近くの町の占い師から聞きました。"真の力を得るには、自ら誓いを立てねばならない"と!」
「そんなことを言った占い師を連れてこい。ぶん殴る」
「師匠、それは暴力では?」
「俺はお前の未来のために戦うぞ」
俺は頭を抱えた。そもそもこいつは、俺が護身術と剣の基礎を教えたせいで、妙な自信をつけてしまったのがいけなかった。
さらにこいつは学ぶたびに、何かしら痛々しい設定を付け加えてしまう癖がある。
例えば、俺が"足運びのコツ"を教えたとき。
普通に「重心を意識しろ」と言っただけなのに、ルークは次の日にこう言い出した。
「師匠!俺は影と一体化する術を会得しました!」
聞けば、影を踏まないように歩く練習をしていたらしい。……おかげで近所の子どもたちに笑われた。
あるいは"剣の軌道を隠す技術"を教えたとき。
ルークは「無音の刃(サイレント・ブレード)」とか言い出して、無駄に腕をクロスしながら構えるようになった。
そのせいで、騎士団の若手たちと模擬戦をする際に、開始の合図の前にポーズを決めてしまい、相手が戦意を失うという事故が起こった。
「ルーク」
「なんでしょう、師匠」
「お前な……このままだと本当に、まともな戦士になれないぞ?」
「えっ」
俺は真剣な顔で、目の前の弟子に向き合った。
「いいか、力とはな、"いかに勝つか"ではなく、"いかに生き残るか"なんだ。お前のやっていることは、"いかに相手に笑われるか"になってる」
「そ、そんなことは……!」
ルークは動揺している。
うん、これはチャンスだ。ここでしっかり言い聞かせれば、まだ修正できるかもしれない。
「ルーク、お前の剣技は悪くない。ただ、その"余計な演出"が命取りになることもある」
「……」
「戦場では、名乗る前に斬られることもある。派手な構えを取る間に、敵が動くこともある。お前がやっているのは、"余計なリスク"を増やす行為だ」
少しずつ、ルークの顔が曇っていく。よし、効果が出ている。
「だから、まずは実戦向けの技術を——」
「……ですが、師匠」
ルークは俯いたまま、ぽつりと言った。
「俺は……"カッコよく戦いたい"んです」
俺は言葉に詰まった。
ルークがこんな真剣な顔をするのは珍しい。普段はふざけてばかりの弟子が、本当に叶えたい夢を語るときの表情だった。
「強いだけじゃダメなんです。俺は、見ている人を魅了し、驚かせる戦士になりたい。どんな敵にも堂々と名乗り、最後に勝つ……そんな、"英雄"になりたいんです!」
……ああ、これは。
完全に、物語の主人公に憧れている目だ。
何も言えずに、俺は頭を抱えた。
ルークの言う"カッコよさ"は、実戦には向いていないかもしれない。でも、彼の純粋な願いを完全に否定することもできなかった。
「……はぁ。仕方ない」
俺は椅子にもたれかかり、天井を見上げた。
「ルーク、お前の目指す道は……普通の戦士とは違うかもしれないな」
「……!」
ルークの顔が輝く。
「だが、やるなら"中途半端"はやめろ。どうせなら、徹底的に"魅せる戦士"を目指せ」
「はい!」
俺はついに、"厨二病を貫かせる"という最悪の決断を下した。
だが、きっとこの弟子は、いつかその道を極めるのだろう。
……まあ、それが"正しい道"かどうかは別の話だが。
——賢者の弟子が手遅れな件について、続く。
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