シルエット・リグレットⅣ

 眠れぬまま夜を越え、僕はそのまま朝を迎えた。

 考えても考えても、胸の奥がざわめくだけで、答えには辿り着けない。

 だけど、一つだけ確かなことがあった。

 もう一度、話そう。

 

 後悔を引きずるより、今の自分にできる精一杯を試すしかない。

 授業が終わった昼休み、僕は意を決して武のクラスへと向かった。

 けれど、教室の中に武の姿はなかった。

「お、どうした、誰かに用か?」

 入り口近くにいた男女のグループ……きっと、武と前一緒にいた明るい雰囲気を纏っていた人達だろう……が、入り口でもたつく僕に声を掛けた。

「たけ……河田武、いますか」

「武、今日は休みだよ」

「休み? ……風邪、とか?」

「さぁ」

 まさか、昨日のことが気掛かりで……と悪い風に頭を悩ませていたとき、ふいに近くにいた別の男子が何気なく言った。

「ライブハウスのバイトじゃねぇの?」

「ちょ、ダメだって、それ言うなって言われてたじゃん~。この学校バイト禁止なのに……」

「でも『スターゲイザー』って、たしか武の姉ちゃんがやってるとこだろ? 手伝いって言い訳で通してんのさ」

 僕はメンバーが口々に話す言葉を、聞き逃さなかった。

「あ、ありがとうございました」

 そそくさと教室を後にして、スマホの地図アプリを開き、『スターゲイザー』という名前でライブハウスを検索する。

 検索に引っかかったのは黒を基調にした、小さな箱のライブハウス。

 場所は、高校からバスと徒歩で一時間もすれば着く、盛り上がりを見せる歓楽街近くの場所だった。

「……よし」

 なんでもすぐに躊躇する自分が、こんなに行動力があるなんて、と思いながらも、足は自然と動き出していた。

 

 

 知らない街の知らないビル。ホテル街とネオンの隙間に、目指していた『スターゲイザー』の看板はあった。

 扉を開けると、中は薄暗く、激しく鳴り響くギターやドラムの音が微かに聞こえてくる。

 すると、チケットカウンターにいる派手な女性が、こちらに声を掛けた。

「はい、お目当てはどこ?」

「お目……当て?」

「今日合同ライブだからね。あれ、チケットは?」

「ええ、と……」

 そうだ、ここはライブハウス。きちんとチケットを払って入る場所だった。

 武に会いたいがために、身一つでやって来てしまった僕は慌てて財布の中身にいくら入っているか鞄を探ろうとすると、「あ!!」と目の前の派手な女性は、僕を指さした。

「ねぇ、もしかして『ひろちゃん』!? 覚えてる? あたし、葵よ!」

「葵ちゃん!? 気付かなかった、昔もっと髪長かったから」

「あはは、そうよ、今もう鬱陶しくてねぇ、ばっさり切っちゃったの」

 目の前にショートカットでピアスをいくつも耳にしている彼女は、過去、セーラー服に身を包み、ロングの髪を一つに結わえ、落ち着いた表情を見せる頼れる武の姉、河田葵だった。

 こんなにあっけらかんとした様子は見たことがなかったので、過去とのギャップに驚いたけれど、気さくな雰囲気は昔のままだった。

「武に会いに来たの?」

「あ、はい」

「今ちょうど落ち着いてきた頃だし、呼んでくるわね、裏口の方行っててもらえる?」

 外出て右に回ればあるから! と言って、葵ちゃんは、奥に入っていった。

 

 

 夜の街を纏う外の空気は少し湿っていた。

 葵ちゃんに言われたとおり少し隠れたようにあった裏口に回ったと同時に、息を切らせた武が扉から勢いよく飛び出すように出てきた。

「お前、なんでここにいるんだ!?」

 目が合った瞬間、明らかに動揺した武に、僕は何か言おうとして言葉を失った。

 先に口を開いたのは、武だった。

「昨日のこと、気にして来たのか?」

 その声はどこか優しく、責めるような響きはなかった。

 僕は、少しだけ俯いて小さく頷いた。

「……あのとき、謝ってたよな。どうして、なのか気になって」

 武は口を開きかけたが、すぐに苦笑を浮かべる。

「今日、学校休んだのは……お前のことじゃない。バイトの子が急に来れなくなってさ。姉ちゃんに呼ばれて、手伝うしかなくて」

「……そっか」

「謝ったのは……突然で驚かせたよなって、思って。本当は昨日、止めなければよかったよ」

 武の声に、虚をつかれたように顔を上げると、夜の闇の中、慈しむように微笑む武の姿が月明かりに照らされていた。

 眩しくて、きらきらとしていて、まるで、いつか覗いたガラス細工のようで。

「……万華鏡、覚えてる? 祭りのとき、武からもらったの」

「もちろん」

「まだ持ってる。今も鞄の中に入ってる」

「え、なんで」

「好きだから」

 その言葉が自分の口から出たと気づくのに、少し時間がかかった。

 声に出すと、胸の奥がほんの少しだけ、軽くなった気がして、僕は視線を上げて、まっすぐに武を見た。


「武のこと、今でも、好きだから」


 武はそれを聞いて、少しだけ目を丸くして、それから穏やかに笑った。

「……俺もだよ」

 うなずくと、武は僕の手をそっと取った。

 その手のぬくもりは、冬の夜にじわりと染みてくる。

 ふたりの手は、もう離れなかった。

 この夜が、ふたりの距離を、もう一度つなぎ始めた。

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