シルエット・リグレットⅢ
屋上へ向かう途中の階段で、かすかに、扉が閉まる音がした。
誰かいる――そう思ったとき、階段扉の奥から現れた鍵を持っている人物は、予想外の人物だった。
「……武?」
視線がぶつかり、少し間を置いて、武が答えた。
「ひろちゃん……ええと、石塚とかの方が、いいか。ごめん、俺前も昔の感覚で話しちゃって」
「いや良いよ、ひろちゃんで。前は、戸惑っただけで呼び方が嫌なわけじゃ……ないし」
「そうか」
途端にぱっと顔を明るくして、足取り軽く僕のいる階段まで武は降りてきた。
「なんで、ここに? 天文部の鍵だよね、それ」
「『天文部』『写真部』『科学部』」
「なにそれ」
「屋上の鍵を持っていて、活動をさほどしていない三つの部活。サボる奴らには有名だよ。ここの先生って生徒の顔覚えていないのか、鍵取りやすいんだ。まぁ、こうも寒いと屋上で過ごすのも難しいから、たむろする奴らもいないけど」
「サボるなよ」
「はは、正論。秘密にしてくれよ」
頼む、というように、両手を合わせる武の困ったように笑う表情は、やはり幼いあの日の面影が残っていた。
「僕、天文部なんだけど」
「あ、そうなの!? ひろちゃん、昔から星好きだったもんなぁ」
「覚えているんだ」
「もちろん。天文部の部室とかあるの?」
「うん」
「へ~見せてくれよ」
「嫌だ」
「なんで!?」
「だって、絶対武、そこで過ごすじゃん、サボり場所増やしたくない」
「はは、ばれたか」
ぎこちなさの残る空気が、ゆるりとやわらかくなっていく。
不安視していた久々の会話は、思った以上に弾んでいることに、内心驚いていた。
とりあえず僕は、持っている鍵を返してもらおうと手を差し出すと、武は不思議そうな顔で僕の手に何も持っていない右手の方をちょこんと自分の手を乗せた。
まるで犬のお手である。
「違う、鍵」
「ああ、そっちか」
悪い悪い、と言いながら、武は鍵を僕に渡した。
そのまま、武はぎゅっと鍵と僕の手のひらを包むように握る。
「……なに」
しばらく何も言わずに、武はその手を見つめながら、小さく、秘密を打ち明けるようにつぶやいた。
「俺……まだあの約束、忘れていないから」
「あの……って、なに」
一瞬、息をのんだ。
武が、鍵を持った手を握ったまま、ゆっくりと顔を近づける。
唇の手前まで近づけた顔を直視できず、ぎゅっと目を閉じた瞬間、ふいに、ため息のような熱が、頬をすり抜けていく。
「……ごめん」
そのまま、鍵を手渡され、床に擦れてキュッキュッという上履きの音を響かせながら、武は階段を降りて行く。
僕は追いかけることも出来ず、まだ温もりの残る鍵を握りしめながら、しばらくの間動くことが出来なかった。
なぜ、あのとき武が謝ったのか。
その理由が、どうしても分からなかった。
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