第2話 まだメイドさんじゃないクラスメイト

 まだ彼女がメイドではなく、ただのクラスメイトだった頃。

 いや、ただのクラスメイトとは言い切れないが、とにかくまだメイド服を着ていなかった頃。

 とある日の一幕――



 人間はまったく平等じゃない。

 変な思想に取り憑かれたわけじゃなく、生きていれば誰でも辿り着く真理じゃないだろうか。


 特に顕著なのはいわゆる“親ガチャ”だ。

 封建制の時代じゃあるまいし、努力次第で人間は自分の人生を切り開くことができる――


 現代の日本なら、チャンスが少なからず転がっているのは間違いない。

 ただし、スタート地点次第という要素があまりに大きいのも事実だ。


 たとえば魔王城の目の前の村からスタート、レベル1、所持金10ゴールドだったら、どんなゲーマーでも詰むだろう。


 どの家に生まれるかによって、人生は大きく変わっていく。

 金持ちの家に生まれたら良い教育を受け、高学歴を得て進路選択の可能性も大きく広がる。


 逆であれば――まあ、あまりこの辺は掘り下げないことにしよう。

 京都の名門貴族の流れを汲む家柄、親は今時珍しい親族経営の企業グループのトップに立ち、都内の一等地に建つ豪邸に住み、エスカレーター式の名門高校に通っている。


 俺は――清宮きよみや継司けいじは親ガチャ大成功、あまりにも恵まれた出自だ。

 だが、それでも――


「123位か。イチ、ニ、サンで覚えやすい」

 昼休み――総秀館学院高等部の本校舎、一階の廊下。

 職員室横にある掲示板に、テスト結果の順位が貼り出され、生徒たちが集まっている。


 高等部に進学して、四月なかばにいきなり実力テストがあった。

 この学校では、常にテストの結果が廊下に貼り出される。ずいぶん時代錯誤だが、生徒同士の切磋琢磨を促すために大々的に発表しているらしい。


 高等部進学にあたって予習を怠らなかったか確認するための試験だそうで、さほど難しくはなかったし、実は成績にも影響しない。

 そうとわかっていても、順位が出てしまうので、生徒たちは必死に取り組む。

 名門校であり、成績は校内でのヒエラルキーに直結する。


 容赦なく最下位まで名前付きで貼り出されるので、恥を知っている人間なら必死にもなるだろう。

 馬鹿に人権はない、とまでは言わないが下位の人間が校内で尊敬されることは難しい。


 高等部は一学年で220人。

 俺の123位という順位は、“普通”に位置している。


「よう、清宮ぁ」

藤河ふじかわ……」

 突然、俺の後ろに現れたのは茶髪を綺麗にセットした長身の男子生徒だった。

 藤河公太郎といって、初等部からの付き合いだ。


 といってもエスカレーター式の私立では、ほとんどの生徒が既に長い付き合いになっている。


「今回は……123か。ハハ、また見事にど真ん中だな」

「当然だろ」

 俺は藤河に頷いてみせる。


「下位で補習とか受けたくないが、上位に入るほど勉強したくもないからな。このさじ加減、見事だろ?」

「おまえ、わざと真ん中を狙ってるのかよ」

「身のほどを知ってるってだけだ。俺がどんだけ頑張っても中の上。それなら、無理しない程度に中の中を狙うんだよ」

「こいつ……頑張って下位のほうがまだマシじゃねぇか」

 藤河が呆れきった目を向けてくる。


 実力テストで補習はないが、俺のテストに対するスタンスは説明したとおりだ。

 人から見ればふざけているのは承知の上でやっている。


「ははは、一応俺も“清宮”だからな。怒られたら困るから、少しは頑張るんだよ」

「少しかよ。清宮の名前が泣いてんぞ。なにヘラヘラしてんだ、おまえは」


 俺はなにを言われようと、藤河の言うとおり“ヘラヘラ”してる。

 この藤河は家柄も大変によろしく、校内でのヒエラルキーも上位だ。

 多少……いや、かなり傲慢なところも目立つが、この学校では傲慢なタイプは珍しくない。

 藤河相手だと、ヘラヘラしてこいつの傲慢さを適当に受け流すくらいのほうがいい。


「“清宮”の人間なら、せめて二桁の順位に入れよ。おまえじゃなくて、おまえのお父上が笑われるんだぜ?」

「父さんは諦めてるよ、不肖の息子のことは。別に俺が清宮の跡継ぎってわけでもないからな。学校の成績なんて、下位でなければ文句も言われない。だから、俺は好きにやる」


 実際、学校の成績のことで父から小言をくらったことはない。

 だが藤河は親でもないのに気に入らないようで、じろっと俺を睨んでくる。


「藤河も元を辿れば、清宮からの流れを汲む家なんだがな。本当に、おまえみたいなのが清宮本家の直系だと、こっちまで情けなくなるぜ」

「そこまで家系を辿ってたら、この学校に通ってる生徒、ほとんどが親戚同士だろ。気にするなよ」


 藤河家が、遠い昔に清宮家から枝分かれした一族なのは事実だ。

 ただ、名家はお互いに婚姻関係を結び、あるいは他家に養子を出して、別の一族同士が繋がり、そして分岐してきた。

 この総秀館の生徒の大半が名家の子女である以上、血統を辿っていくと親戚同士というケースは数え切れないほどだ。


「ふん……なんなら、学年2位の俺が勉強を教えてやろうか?」

「お断りしとこう」

 藤河は今回の実力テストでも2位に入っている高い学力の持ち主だ。

 こいつに教われば、多少の成績アップは間違いないだろうが――

 藤河は、勉強を教えると称して俺にマウントを取りたいだけだろ。


「それより、テスト前に学年2位様のノートをコピーさせてくれるほうがありがたいな。丸暗記すりゃ、真ん中狙いくらいは軽いだろ」

「こ、この野郎は……どうしようもないクズだな」

「ははは」

 俺は、悪し様に罵られても笑い飛ばすだけだ。

 クズだっていうのは、間違っちゃいないしな。


 どんなに傲慢で偉そうで性格が終わっていても、藤河は名家の御曹司にふさわしい結果を出している。

 成績が学年2位なだけでなく、スポーツも万能で中等部時代ではバスケ部のエースで、全国大会にも出場した。

 成績普通、帰宅部の俺なんかとは人間のレベルが違う。


「ふん、ちょっと来いよ、清宮。根性叩き直してやるよ」

「またバスケ勝負か? この前も、三十分も三人を相手に――」


「今度は俺が一人で相手してやるよ。俺から一本でもシュート決めてみろよ」

「冗談だろ?」

「マジだよ。昼休み、あと二十分しかねぇな。さあ、やろうぜ」

「待てって――うおっ」

 ドンッと背後から藤河に背中を強く押され、足がもつれて、転んで両手を床についてしまう。


「おいおい、そんな強く押してねぇだろ」

 藤河が笑って言う。

 大勢の生徒の前で人を突き倒しておいて、慌てもしないとは。

 俺なんかを転ばせたところで、他の生徒に悪く思われることはないと確信しているのだろう。

 実際、そのとおりだけどな。


「さっさと立ってくれよ、清宮。これじゃ俺が悪者――」

「…………?」

 藤河がなにか驚いたように、息を呑んだ。

 そのとき、俺も気づいた。


 無様に両手に床をついたままの俺の前に、ほっそりとした二本の脚があった。

 見上げると、制服のミニスカートの中がちらりと見えた。

 白くて適度に肉づきのある太ももと、その上が黒い陰になっているが少し覗き込めばさらに素晴らしい景色が見えそうだ。


 だが、確実に見えるところにもっと見るべきもの――小さな顔に整った美貌があった。


「立ちなさい」


 ただ一言だけだった。

 彼女はきっぱりそう言うと、屈んで俺の手首を掴み、立ち上がりながらぐっと引っ張ってきた。


「あ、ああ、悪い、氷坂ひさか

「…………」

 彼女は、黙って冷たい目で見つめてくる。


「わっ、氷坂さんだ」

「なんであの優等生が、清宮なんかを助けてるんだ?」

「知らねー。ああ、俺も氷坂に手ぇ握ってもらいてぇ!」


 周りの生徒たちが、俺が転んだときよりずっと騒いでいる。

 そりゃそうだろうな、123位の平凡な俺の転倒なんかより、美人な優等生の登場のほうがインパクトあるよな。


 この女生徒は氷坂ひさか清耶香さやか――

 誰かが言ったとおり、総秀館でも有名な優等生だ。


 薄い茶色のロングヘア、濃紺のブレザー越しにもわかる華奢な長身、ミニスカートから伸びる長い脚。

 肌は真っ白で、顔は恐ろしいほどに整っている。

 黒縁の大きな眼鏡が野暮ったいが、不思議に似合っていて彼女の美貌を少しも損なっていない。


 俺とは同じ一年B組のクラスメイトだ。ちなみに藤河も同じクラス。


「清宮くん、また藤河になにか言われたの?」

「なにって、実力テストの結果の話をしただけだな。俺がいつもどおり真ん中くらいの順位だって話を」

「真ん中……123位」

 氷坂は、ちらりと順位表のほうを見る。すぐに俺の名前を見つけたようだ。


「はぁ……なにをしてるの?」

「な、なに?」

 思いっきりため息をつかれたぞ?

 ただのクラスメイトの俺が123位だろうと、氷坂に呆れられる筋合いはないよな?


「あー、氷坂はまた1位だな」

 そう、藤河は2位が定位置で――常に1位を獲っているのはこの氷坂だ。

 といっても2位が定位置になったのは、この一年のこと。


 それ以前、中二までは藤河が常に1位を独占し、それを自慢するほど馬鹿でもなかったが、誇りにしているのは明らかだった。

 つまり、その誇りを木っ端微塵に打ち砕き続けているのが氷坂というわけだ。


「私の順位なんて気にしなくていいの。それより、考えないと……」

「な、なにをだ?」

「…………」

 氷坂は俺の目をじっと見てから、ふっと後ろに目を向けた。


「お、おい! おまえら、俺を無視してなにを話してんだ!」

「藤河、まだいたの?」

 氷坂がさっと切り返し、生徒たちの間から笑いが漏れた。

 別に氷坂は冗談を言ったわけではないだろうが、間が良いのが面白かったようだ。

 藤河は、周りには上級生もいるのにジロッと睨む。


「ああ、清宮くん、無様に転んだときに突き指したみたいね。私、保健委員だから保健室に連れて行くわ」

「えっ、ちょっと、氷坂」


「大丈夫、優しく手当てしてあげるから。期待してて」

「き、期待?」

 氷坂は俺の手首を掴んで歩き出してしまう。

 後ろのほうから――


「氷坂さんって保健委員だっけ?」

「そもそも、保健委員なんてないよな?」

 などと、一部の生徒の声が聞こえてきた。


「氷坂、保健委員じゃないよな?」

「私が手当てしてあげるのは本当。手当てなんてしたことないけど、たぶんできるわ」

「なんだその根拠のない自信!」


「あなたの手当ては、他の誰にもさせないわ」

「…………」


 うん、まあ……。

 別に、氷坂が保健委員を自称しても困る人間はいない。

 適当な口実をつけられて、標的に逃げられた藤河は困るかもしれないが、あんなのは困らせておいていいだろうし。

 氷坂と二人で、あの騒がしい現場から逃げ出すのは悪くない気分だった。

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