✦✦Episode.39 ひとさじの運命✦✦
✦ ✦ ✦Episode.39 ひとさじの運命
龍の咆哮のように唸る風が、身体の横をくぐり抜けていく。 リースはただ、前を見る事もできず、風に押されていた。
――ブルルッ!
「きゃあっ!」
馬が前足を振り上げ、尾を回すと、バランスを崩したリースはそのまま荷馬車の中へと転がり込んだ。
「いっ……たた……何よ、乱暴な馬!あなたってそんな性格だったの!?」
リースがフンッと鼻をならすと、驚くことに、馬の背に不思議な存在が股がっているのが見えた。
「え……っ?」
「リースとやら、少しそこで休んでおれ!」
頭の上にできた柔らかいとんがり帽子をフリフリと左右に振りながら、不思議な存在は答えた。
「喋っ……!?」
「何、精霊だって喋るさ、ただ普通の者には観測出来ないだけで。おっと、その娘と手を離すなよ?僕が見えなくなっちゃうからね」
「あなた、精霊だったの……?」
リースが呟きながら、チラリと自分の手元を見ると、床に片手を着きうずくまるシエルの手に、自分の手が重なっているのを見た。
ふと、彼女から手を離す……と、目の前にいた精霊はその姿を隠した。 もう一度、シエルの手に触れると、再び精霊が現れ、こちらをじっと見据えていた。
「……あー!だ、か、ら!“離すな”って言ったでしょぉ!」
「えぇっ!何これ!ちょっと面白いわ……」
「その娘は、触れる事で僕らを他人に“見せる”事が出来る、特別な
今まで全く気が付かなかった。 良く見れば、シエルの周りには精霊だけでなく、小さな妖精達も集まって、彼女を見上げ、心配そうに見つめている。
「僕は、シルフィ属なんだ!風の精霊の……まあ、小さな端くれってとこかな!実体化出来て光栄だよ~!」
「風……? 風って、この辺りに吹いてるあれ?」
「そうだよ? 風はどこにだっているからね!」
シルフィは、にこりと笑い、道の先を指差した。 真っ直ぐに見える道の先に、古びた村の門の中央に、老婆が1人たたずんでいる。
「――さて、僕の役目はここで終わりだ」
「うそ……ここまで2日はかかる筈よ……」
「それが、このシルフィ様の力ならすぐに着いちゃうんだなぁ! じゃあね、ホルスタイン属のお姉さん!」
「あ、ちょっと……!」
馬は颯爽と門をくぐり抜け、老婆の目の前で立ち止まる。 馬の背から、風の調べがスルリと抜けて、爽やかに流されて解けていった。
それと同時に、精霊の姿もリースの瞳から隠れてしまった。 その間にも馬は、老婆に近づき頭を擦り付けるように頷いた。
「――ヒヒイィイン!!」
「よしよし、ご苦労様だね……良くやった。 そこの辺の野草でもおあがり」
老婆がスッと指を馬の頬へ這わせると、馬具が全て外れて地面へ転がり、馬は軽快に跳んだり跳ねたり遊びながら、村の広場の草を
不思議な事が立て続けに起こった。 今は冬であるはずなのに、
「さぁて、お主がリースとやらか。 ローネから知らせを受けておる。 して、具合の悪いのはどなたかえ……?」
ノアの言葉に、リースは荷馬車から慌てて地面へ降り立ち、声を張り上げながらノアの元へかけ寄って行く。
「あなたがノア様なのですね! シエル・ルシルフィアをご存じですか!」
「なに、シエルだと……?」
あの日、自分が送り出したか弱き娘が、目の前で慌てた口振りの女性に連れられ、戻って来たと、一体誰が思おうか。
「ノ……アさん」
「シエルちゃん、まだ動かなくて良いのよ!」
リースが声を聞いた方向へ振り向くと、荷馬車の中から顔を出したシエルは、柔かな翼を羽ばたかせ、ふらふらと舞い降り、地面へ足を着けた。
『チッ……チッ……』
「ノアさ…………うぅっ……!」
シエルの額から、白く輝く光が、淡く弧を描く。 それと共に時計の秒針が微かに響き渡り、その時が近いのだと周囲に知らしめた。
『チッ……チッ……チッ…………』
「いやっ、音……っが……!うるさい……。誰か止めてっ……!」
シエルは、苦痛に顔を歪めながら、悶えるように両耳を押さえて瞳を震わせた。 白の魔法は、徐々に強さを増し、光が少しずつ彼女の魂から引き剥がされて行く。
「なんと言うことだ……!これは――かの創造神様の白い魔法ではないか! シエルを、こちらへ寄越すのだ! 急げ、間に合わなくなる!」
「は、はいっ……っ!」
ノアの尋常ではない慌てっぷりに、リースはシエルの腕を肩に回し、一歩ずつ進み始めた。 重苦しい気配が周囲を包む。
――ノアの手招く先へ向かうも、足取りは重く……まるで、自分の心までその光に奪われてしまいそうな重圧を感じさせる。
「音がっ。ああっ誰か、止めて……!!」
(眩しすぎて、目の前が何も見えない……誰か、誰か助けて……!!)
シエルは、無意識のうちに、誰かの名前を呼ぼうと必死になって心を探る。 何か大切なものが……そこにあったはずの
「もう一度……会いたかったのに……(
『……“カチン”……』
✦ ✦ ✦
光を失うのではない。 闇に消えるわけでもない。
――ただ、その“
光の欠片は一つとなりて、星々の輝きの中で煌めき……新たな生の媒体として、ひとさじの運命を抱え――その記憶と共に、美しく芽生えた花となる。
『花を待つのはだれ……?』
「それは、
“忘却の果て”に、願いし魂は、我の夢となりて儚く散り逝こう……。 そう、それが例え――
さあ、沈め――“忘却の彼方へ”。 さして開かれん、その記憶の果ての扉を……。
✦ ✦ ✦
「いやあああぁーーっ!!お願い、……持っていかないで……っ私の……っ!」
シエルの声は、空を突き抜けるほど高く届いた。 指先を伸ばし、離れて行く記憶を取り戻そうと、虚空を掴みながら何処かを見ていた。
(わたしは………)
ノアとリースに抱えられ、部屋の中の椅子へ腰を掛ける。 叫ぶ気力も、泣く気力も何処かに消えて、シエルの中で脱力感と眠気が身体を襲う。
(いったいだあれ……?)
微かに動く唇。 ゆっくりと、シエルの瞳から光が失われ、静寂の時が彼女を包み込む。 誰にも邪魔されず、静かに眠りについた彼女に触れる者さえ現れない。
――触れられないのだ。
シエルの指先から伸びた根は、太く、そして力強く彼女を護るように包み込んだ。 誰が触れても、絡まりあった草はその身から離れることは無かった。
「……シエルちゃん」
「仕方がない。この草……何がなんでもシエルから離れないつもりだな。こうなったら起こす術もないのう…………“
外には、寂しさを告げる雪が、はらり、はらりと、静かに降り始めた。 凍える空気を癒すために、ノアは暖炉に新しく薪をくべ、小さな炎がより一層大きく燃え始める。
「あぁ……雪が降り始めた。 さて……これでは帰ることも叶わぬだろう? ホルスタイン属の娘よ、春になるまで――ここにいるかい?」
柔らかく微笑む老婆。 学園に帰ることも、もう叶わない。 リースは胸の内から深くため息をついた。
(……後悔はしていない)
――もし、シエルをこの場所へ連れてこなければ、今頃は神反軍の手の中で、また別の苦しみが彼女を待っていたことだろう。
(そんなの、許せない……)
「
✦ ✦ ✦
リースは、
「お、おぉ……ルシフェルとな……なんと懐かしい響きよ……」
「創立者ルシフェル様をご存知なのですか……?」
まるで知っている、という素振りにリースは首をかしげ、老婆の顔にじっと目を凝らした。
(深いシワ……この方、80歳くらいかしら……?)
「申し遅れた。わしは、ノア・ルクルと申す。 愛の神ルシフェル――我が創造の神よ……わし……いえ、
「え……っ?今……ルシフェル様を“創造の神”と……?」
リースは、ノアの言った言葉に耳を疑った。 ルシフェル学園の設立者“ルシフェル”が、“創造の神”と言う話は、どの記述にも記されず、見たことも、聞いたことも無かった。
「
しんと静まり返った室内に、薪がパチパチと燃え上がる音が響く。 心を落ち着かせようと、目の前に置かれた温かい飲み物を一口飲み込む度、じわりと喉が熱くなるのを感じた。
「シエルが眠ることも。 リース、あなたがここへ来ることも。 クロトが地の底へ追いやられた事も……。 全てが巡り “一度終わった”物語なのです」
「……一度終わった……?」
「ええ、この世界で物語の結末を知るのは、創造神様とこの私だけでございます」
ノアは、カッと地面に杖を打ち付けた。じわりと、彼女の身体を包み込む光――杖はカランと床に転がり落ちて、光に包まれたノアは、その“姿”を変えて行く。
――きめ細やかな肌。 さらりとした髪は、後ろで束にされ、宝石のような瞳は、万物を見透かすような透明感……。
先程までの老婆は跡形もなく消え、目の前に残るは、息を飲む程の美しい娘だった。
「……私は、かれこれ300年の時を生きました。 老婆の姿でこの地に身を隠していたのも、ほんの数年に過ぎませんわ」
風が抜けるように透き通った声。 心地の良い響きは、すっと胸の中に入り込む。
「あなたが……創造神に従えていたと仰るのですか……?」
「ええ、いかにも。 私が……始まりの神子……ルクル家当主、ノア・ルクルと申します」
始まりの神子。 確かに、趣味で読んでいた本の中……記述の1つに“始まりの神子”に対しての伝承が残っていたのを覚えている。
「まさか……でも、一体どうして、貴方のような方が、こんなところで医院を営んでおられるのですか?」
ノアが手を床に向けると、杖はカタカタと一直線に上を向く。 そのまま、ひとりでに歩くように壁に向かうと、コトンと静かに壁にもたれかかった。
「私には……償わなければならぬ罪があるからです」
「罪……?」
「創造神、ルシフェアリス様は、記憶の扉を概し、何度もこの世界を構築しました。 そして――私は、この世界の終わりを、幾度と無く目撃したのです」
ノアの瞳は悲しみに揺れ、唇を震わせながら、そうしなければならなかった理由をポツリ、ポツリと話し始めた。
「あの方は、物語の終わりに、忘却の白魔法を使い、全てを忘れ……長い眠りから目覚めた後に、もう一度この世界を再構築させました」
幾度と無く巡る、終わりと始まり……創造神が何を考え、何を求めていたのか。
「物語の中、壊れた結末に飽きられたルシフェアリス様は、この地を閉じる事になさったのです。 私は愚かにも、あの方に対して“救われる方法は無いのですか”と、問いかけてしまったのです」
ノアの記憶の中――この地を去ろうと背を向けた創造神は、静かに振り返り……彼女の必死に訴えるような姿を、目を細めてじろりと見据えた。
『――ならば、お前が救ってみせよ』
たった一言。 それは静かで……それでいて罰を与えるように、厳しい声の響きだった。
『――しかし、一人では寂しかろう。この“花”をお前に託そうではないか』
「たった一輪の花……その花の輝きの中から、可愛らしい女の子が目を覚ましたのです」
『――お姉ちゃん』
花から生まれた小さな子は、指先程の大きさから、二年もたたずに成長し、しっかりとした子供の姿に変わっていった。
「私の事を“お姉ちゃん”と呼んでくれた。 私は、一人ではないと、とても心強い気持ちでいっぱいだったのです」
小さくとも強く、それでいて子供心を忘れず、草原の上で蝶を追いかけながら転げ回る“妹”の姿――
「……悲劇は、そこから始まりました」
彼女が生まれて、約8年。 ノアとその妹を取り囲む、悪しき者――黒いローブを身に纏った者達。
「神反軍は――私達を捕らえ、幽閉し……妹は、研究所へと送られたのです」
「研究所……?」
「この地の真下。 神反軍が秘密裏に建設した研究所がありました。 幼い妹が、そこで何をされていたのか、知らないまま、私だけが“彼ら”に救われてしまった」
ノアが幽閉された場所、その扉が開いた時――
目の前に現れたのは、黒き翼を持つ青き鎧の天使、“コクト・ノクティア”と、炎の剣を携えた赤き鎧の天使“リアノ・アルテスタ”だった。 襲い来る悪しき者たちにも負けず、その塔に幽閉された者たちを、光の中へ救いだした。
「彼らは、今ではこう呼ばれています“伝説の四騎士”と」
「それって……新聖神様も共にされた、あの四騎士様の事ですか……?」
「その通りです。 その中の一人――コクト様は私を救った後……妹も必ず救い出すと、約束して下さいました」
――しかし、彼らが再びあの場所を訪れた時。 焼け焦げた臭いと煙の中、目にした物は……破壊され、人の気もしない“研究所”の姿だった。
「誰一人、私の妹も……生存している者は見つからなかったのです」
「なんと……」
「四騎士様は、二度と同じことが繰り返されぬよう、外へ繋がる扉に魂の封印を施したのです」
――閉じられていく地下への扉。 その姿を見据えながら、その深い悲しみは今でもノアの心の中に刻まれている。
「なんと言って良いのか……」
「これこそが、私の罪なのです………閉じられる物語に介入し、唯一の妹さえ失った、愚かな
――それはどれ程つらい出来事だったのだろう。 ノアが話した事のあまりの悲惨さに、リースは言葉を失うしかなかった。
モノクロコントラスト ー黒き翼と白き記憶ー ゆずたこぽんず @yuzutakoponzu
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