✦✦Episode.8 沈みきった夕日の中✦✦

✦ ✦ ✦Episode.8 沈みきった夕日の中




✦ ✦ ✦



――深い森の中。 薄明りに照らされ、暗闇の中を、風を切り裂きながら、何者かが駆け巡っている。


「――ウォォ――…ン」


 無数の光り輝くオオカミの群れが、その気配を追うように、木々の間をぬって走っている。 風が警告をする様にザワザワと流れていく。 彼ら・・の遠吠えは、山々を矢継ぎ早に駆け巡って伝達していき、別の仲間もそれに答えるように遠くから遠吠えを始めた。  遠吠えが近づくにつれ、オオカミ達はその数を増していく。

 狙った“獲物”を逃さぬように、狙いを定めて、一気に走るスピードを上げて行く――


「――ククッ。 さぁ。 もうすぐ、始まりの時は来る」


 高い崖の上で、満月に照らされながら、虚空を眺める黒い影。 得体の知れない者達は、バタバタと風に吹かれながら、ニヤリと笑った。 風に揺れたローブは、うねりを上げ…後から追いついたオオカミ達は――じっと“獲物”を捕らえる目で、その者達を睨みつけていた。

 始まった交戦の最中…オオカミは、一人の腕に噛みついた。 深く傷を負ってよろめいた時。 別の方向から、禍々まがまがしい黒い光が解き放たれ、その殺気に気が付いたオオカミは、すかさず腕から離れ、後方へ飛び去っていく。

 思わず、その光を受け、倒れたオオカミ達は、輝かしい光を失って…。 静かにその場へ横たわっていた。

 黒い影が、オオカミ達を布で覆い隠し、しばらくすると…再び奴ら・・は、ゆっくりと、その場で立ち上がり、高らかに遠吠えを始めた――




✦ ✦ ✦



――深夜、胸騒ぎがしてクロトは目を覚ました。

 ザラザラと不安が胸の中を撫でると、ベッドから足を床に下ろして静かに窓を開けて外を眺めた。 道端に生えたゼラニウムの花が、月夜に照らされ、何かを伝えるように青白く怪しく輝いている。


 微かに、遠くの山の方から遠吠えが耳に届いたような気がして、窓から身を乗り出して闇夜に目を凝らした。 周囲は静寂に包まれ、風の音さえ止まっている。 森の奥に、何かがうごめいているような、不穏な空気をまとっている様にも見える。

 村に灯された火は静かに周囲を照らし、今の所…特に変わった様子は無いようだ。


「いや、気のせいか…? 疲れてるんだな、きっと」

 

 いつもと違う事が、一日のうちに何度も起こった。 不安と緊張が体に染みつき、こんな夜中に目覚めてしまったのだ。 彼は窓を閉めると、再びベッドへ戻り、布団の中へ静かに潜り込んだ。


(それにしても、シエル…すごく可愛かった)


キュッと拳を握ると、ほんのりと握られた手の温もりを思い出す。 彼は、うとうとしながらその手を見つめ、心地の良い深い眠りの中へ誘われ落ちていった――



――翌朝、何事もなかったかのように爽やかな朝が訪れる。

 朝の光が、静かにクロトの髪を照らすと、その眩しさに目を細め、ゆっくりと瞼を開いた。


「朝…? あれ、ここは…?」

「あっ!! ばあちゃんとこの、俺の部屋か!!」


 クロトは、がばっと布団から飛び起きた。 急いで身支度を済ませると慌てて部屋から飛び出した。 家の外へ出ると、もうすでにシエルは目を覚ましていた。


「しまった、寝すぎたか!?」


 太陽がキラリと輝く朝。

 外に干されて風になびく布団を眺めて、束ねた髪を揺らしながら、シエルはふんふんと鼻歌を歌っている。彼女は、昨日の興奮が冷めないまま、クロトよりも少し早く目を覚まし、ノアの手伝いをしていた。


「おはよう…シエル。は、早いな…!」

「おはようクロト! 早く目が冷めちゃったから、ノアさんのお手伝いをしてたの!」


 シエルはにっこりと、昇りたての太陽のような、眩しい笑顔を浮かべ「よいしょっ」と言いながら、洗濯物の籠を持ち上げた。 そして、クロトの傍まで歩みよる。 乾いた洗濯物の山が、籠の中に山のように積まれて――ドサッと、それをクロトに手渡した。


「うぉっ!?」

「ふふ、お手伝いよろしくね、おねぼうさん?」


 いつの間にやら、彼女はこの村に自然と馴染んでいるようで…。 道行く人々が「シエルちゃんおはよう、ご苦労様」と声をかけている。

 シエルもにこやかに笑って手を振り返すと「おはようございます!」と声をあげて挨拶を交わしていた。


「それにしても、この洗濯物の量…多いなぁ。」

「文句言わないの! ほら、運んで、運んで!」

「ちぇ~」


 二人は並んで家の中に入ると、並んで木の椅子に腰かけ、洗濯物を籠から一枚ずつテーブルに広げていく。すると、シエルは華麗な手つきで洗濯物をたたみ始めた。


「おぉ、すごいな。 さすが…。」

「クロトもやるの、ね? こうやって畳むのよ?」

「ん、どうだ…こうか! うわぁ…ダメだぁ…」


 シエルに教わって、クロトは洗濯物を畳んでみたものの…。 不器用さがにじみ出て、なんとも悲惨な結果に終わった。 その様子を目の前で眺めて、シエルはクスクスと笑っている。


「ねぇ、この後、お祭りのお手伝いに行かない?」


 シエルは、ワクワクとした気持ちが抑えられず、お祭りの手伝いにクロトを誘った。 祭りの準備と言えば、屋台の設営をしたり、すでに到着している商人たちの品物を並べるのを手伝ったり…。 仕事は一日中あちこちにあるはずだ。 クロトは少しだけ悩んだように、顎に手を当てていた。


「…お祭りか。 今日からばあちゃん忙しくてさ…。 医院の手伝いしないとだよなぁ」

「私、クロトと一緒にいきたいの。 …ダメ?」

「ん…うーん…。 わかった。お前が行きたいなら、俺も一緒に行くよ」


 クロトはあまり乗り気ではなかったが、彼女を一人で、祭りの手伝いに行かせるわけにもいかず…。しぶしぶ頷く事にした。





✦ ✦ ✦




 祭りの準備が進んでいる村の最奥。

 切り立った崖の上にある神天台しんてんだいのふもとへ、クロトとシエルは、そろって足を運んだ。 ノアが話した通り、今年、屋台は沢山の店が並んでいて、その準備に追われ、村の男たちは汗水を流して木製の骨組みを、ドンドンと音を鳴らして組み立てている。


「おーう、クロト、シエルお嬢さん…来てくれたのかー!こっちだ、こっち!」


 ノアが話を通しておいてくれたのだろう。 ひとりの大男は、二人を見つけると手を振っていた。 筋肉質の男は、頭に布を巻いていた。 


「クロト、お前には屋台の設営を手伝ってほしい。 重労働だから、怪我しないようにな?」

「うっ…力仕事か…。 わかった。」

「シエルお嬢さんは――そうだな、あそこの棚に、届いた小物を置いて欲しい」

「はいっ! わかりました!」


 それぞれ、分からない所は、その場の担当に答えを求める。 手取り足取り設営を一から教わっていると、二人とも、あちこちと手伝いに呼ばれた。

 クロトは、男たちと共に屋台の柱を立て、屋根に布を張っていく。 滴る汗が彼の頬を伝っていくと、その汗をグイッと拭っていく。


「おーい、クロト! こっちの紐を結んどいてくれ!」

「はいっ!」

「はっはっは、いい返事だ!」


 シエルは、交易からやって来た品々を丁寧に棚に並べていた。 見たこともない色の香水瓶や、アクセサリーを見ながら、心を躍らせ、設置されたテーブルの上に布をかけると、その上に装飾の施された陶器を並べて行く。


「シエルお嬢さん、こっちのも手伝っておくれよ!」 

「はいっ! 今行きます!」

「ホント助かるわぁ~ありがとう!」

「いえいえ! こちらこそ、楽しいです!」


 二人は走り回って、時折すれ違うと、お互いに顔を合わせ、にっこりと笑い合う。 

――そうして、一日はあっという間に過ぎていった。


「はぁ、はぁ、お祭りの準備って、あんなに大変だったなんて思わなかったよ」

「ホントに、いやあ、疲れたなぁ…何本屋台の柱を立てたか…」


 空は日が傾き始めた帰り道。 二人が並んで歩いていると、脇道にたくさんの花々が咲き誇る草原を見つけて、その上に腰を下ろし一息ついた。


「まぁ、誰かの手伝いをするのも…たまには悪くないよな!」

「そうだねぇ、すごく楽しかった1」

「あぁ、でも疲れた…。 ちょっとそこで休んで行こうぜ?」

「うん、そうしようか…」


 二人は、道をそれ、草原の上に座った。 クロトは風を受けながら、草の上に寝転ぶと、夕焼けに暮れて行く空を、静かに眺めていた。


「みんな、クロトは頼りになるって言ってたよ?…このまま、村に住んでもいいんじゃない?」

「えぇ…やだよ。 俺はあの森が一番好きだからなぁ」

「そっかぁ…。 そこに、私は一緒にいれる?」

「えっ…?」


 シエルは、寝転んだクロトの顔を、上から覗き込むようにして見つめていた。 ふいに目を瞑って「ふふっ」と何かにくすぐられている様な動きをして「あはは…くすぐったい!」と、笑い出した。


「どうしたんだ?」


 クロトは体を起こすと、きょとんとして、不思議そうにシエルを見つめた。 相変わらず、彼女はくすぐったさに身をよじりながら笑っている。


「――ふふっ、みてみて、クロト。小さい子たちが私をくすぐっているの!」

「何も見えないぞ…?」

「あっ…ごめんね? そうだね、私にしか…見えないよね…」


――そこ・・に、何かがいるかのように振る舞うシエルをみて、目を凝らしてみたが、クロトには何も見えなかった。 シエルは、戸惑っていたクロトの両手を、優しく包み込むと、キュッと握りしめた。


「そうね、確かこうして手をつなぐといいんだわ――ねぇ、目を閉じて…?」

(なんだ…? 何か、小さなものが…俺たちの周りに沢山いる…!?)


 言われるまま、クロトは目を閉じる。 と…自分の周りに沢山の小さな気配が集まってくるのを感じた。


「もう…目を開けていいよ」

(えっ…!? すごい…。 なんだこれ!)


 流されるまま、クロトは目を開ける――と、そこには、小さな花の妖精たちに囲まれながら、笑っているシエルが、夕暮れ時の日を浴びて輝いていた。


「これは?…なんだ…? 不思議だなぁ」

「ふふ、私ね、精霊の目をもっているの。 皆には、内緒だよ?」

「精霊の目…?」

「精霊とか、小さな妖精とか…普段は目に見えない、“小さき者”たちが見えるのよ」


 クロトは、初めて見えた、“小さき者”達がいる世界に、驚きを隠せず、目を丸くしていた。 


「こうやって、私と手を繋ぐとね、誰かにこの世界を見せることができるの」

「すごいな…。」


 シエルはふいに、野に生えていたランタナの花を見つめ「あっ!」と叫んだ。 ぽんぽんと咲いた花の中から、小さな妖精がぴょこんと飛び出し、弾けるように飛んで、消えていった。


「今のみた‥‥?」

「んっ…?」

「あの子めったに見れないの、すごくラッキーね!きっと良いことが起こるわ…!」


 シエルが驚いて手を離すと、“小さき者”たちは一気にクロトの視界から消え、その瞳に映るのは、いつもと変わらない光景となっていた。


「こんどまた、お前の世界を見せてくれるか…?」

「もちろん、いつでも見せてあげる…約束ね!」

「約束か、いいなそれ…」


――二人は見つめ合うと、その場で小指同士を合わせて、小さな約束を交わした。


「それにしても、お前にも秘密があったんだなぁ」

「えへへ。 皆、秘密の一つや二つくらいあるよ。 でも…これは二人だけの秘密…」

「あぁ…。 二人だけの秘密な…」

(もう、認めてもいいのかもしれないな…俺は、シエルを…好き・・だって…)


 クロトは、自分に芽生えた気持ちをしっかりと受け止め、その先に進む方法を考えていた。 5月半ばの夕暮れの空は、静かに沈んで行く。


『可愛い二人の天使さん。 お兄さんは、もう私の事が見えなくなったみたい』

『そうね。 これを、お兄さんにあげちゃおう。 きっと、役に立つからね…!』

 

――コロン。直後、クロトの手に何か暖かいものが触れた。 手のひらを開いて不思議そうに見つめると、知らぬ間に小さな花の種を掴んでいた。 


(これは、一体…? 何かの花の種みたいだ)


 何の種かは見分けがつかなかったけれど、クロトはその種を大切にポケットにしまい込んだ。


「そろそろ、行く?」

「そうね。 あんまり遅いと、ノアさんが心配するよね」

「ふっ…そうだなぁ…なぁ、シエル」


 クロトは、耳まで赤くなりながら、思い切ってすごく小さな声で「すき…」と呟いた。 しかしそれは、シエルの耳に届く前に、風に流されて溶けていく。 


「え?なんかいった? あれ、クロト顔赤くない?」

「何でもない! 何でもないぞーー!」

「もう、教えてよ~!」

「うおおぉー! 何も言ってなーい!」

(やっぱり今は、心の準備が出来てないし。 い、いつか…ちゃんと言おう…)



――二人は、笑いながら、沈みきった夕日の中を並んで歩く。 その背中は、ゆっくりとノアの家へと向かってすすんでいった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る