大好きだったあの笑顔
わんし
第1話:キラキラした日々と、突然の時
俺の名前は
高校三年生だ。
平凡な俺の人生に、突然光が差し込んだのは一年前。
綾音は、なんて言えばいいんだろう。
笑顔が世界を明るくするような子だった。少し垂れ気味の目が、笑うとキラキラ光って、まるで星がそこにあるみたい。髪は肩まで伸びた黒髪で、風が吹くとサラサラ揺れる。声は柔らかくて、でもどこか芯があって、話を聞いてると心が落ち着いた。学校の廊下で、教室で、校庭で、綾音がいるだけでそこが特別な場所になった。
「駿、ねえ、今日の放課後、購買のパン一緒に買いに行こ!」
そんな他愛もない会話が、俺にとっては宝物だった。綾音と過ごす学校生活は、まるで青春映画のワンシーンの連続。
朝、教室で「おはよ!」って笑顔で迎えてくれる綾音。昼休み、二人で弁当を広げて、くだらないことで笑い合う。放課後、夕焼けに染まる校庭を並んで歩く。全部が、全部がキラキラしてた。
付き合い始めてからの一年は、あっという間だった。綾音はいつも新しい発見をくれる子だった。
ある日は、突然「駿、星見に行こうよ!」って言い出して、夜の公園で二人で寝転がって星空を見上げた。綾音が「ほら、あそこ!流れ星!」って指差すから、慌てて目を凝らしたけど、結局見つけられなくて、綾音に「もー、駿、遅いんだから!」って笑われた。
悔しくて「次は絶対見る!」って意気込んだら、綾音は「うん、約束ね」って、ピンク色の小指を差し出してきた。あの小指の温かさ、今でも覚えてる。
そんな日々が、ずっと続くと思ってた。いや、続くはずだった。
一周年記念のデートの日。
俺は渋谷のハチ公前で綾音を待っていた。
11月の空は少し肌寒くて、吐く息が白く滲む。ハチ公の像の周りはいつものように人で溢れていて、スクランブル交差点の信号が変わるたびに、人が波のように動く。俺は少し早めに着いて、スマホで綾音とのLINEを眺めながら待ってた。
「駿、今日めっちゃ楽しみ!ちょっと早く着きそう!」
そのメッセージから10分後、綾音の姿が見えた。スクランブル交差点の向こう、いつもの白いコートに赤いマフラー。少し急ぎ足で、笑顔でこっちを見てる。手を振ろうとしたその瞬間、時間が止まった気がした。
「――危ない!」
誰かの叫び声。金属が軋む音。タイヤがアスファルトを削る耳障りな音。そして、目の前で、綾音の身体が宙を舞った。
プリウス。
白いプリウスが、プリウスミサイルが交差点に突っ込んできた。居眠り運転だったらしい。後で聞いた話だと、運転手の男は「気づいたら」って繰り返してた。気づいたら、じゃねえよ。綾音が、俺の綾音が、こんな目に遭うなんて。
綾音の身体は、ゆっくりと、でも無情にアスファルトに叩きつけられた。コートの白が、血で赤く染まる。マフラーが風に揺れて、交差点の真ん中に落ちた。俺は、足が動かない。頭が真っ白で、ただ綾音の名前を叫んでた。
「綾音! 綾音!」
やっと足が動いて、綾音の元に駆け寄った。綾音は目を閉じて、顔が真っ白だった。腕が、足が、不自然な角度に曲がってる。肘から下が血に濡れて、手の甲の皮がべろんと剥けてた。見ちゃいけない、と思った。でも、目を逸らせなかった。綾音の胸がかすかに上下してる。それだけが、綾音がまだ生きてるって証だった。
「綾音、しっかりしろ! 綾音!」
声が震える。綾音の身体に触れようとしたけど、どこをどう触ればいいかわからない。血が、熱いのに冷たく感じた。綾音の顔に手を近づけたら、かすかに眉が動いた気がした。でも、すぐに動かなくなった。綾音は、俺の腕の中で気を失った。
「誰か! 救急車! お願いします!」
周りの人が動き始めた。誰かが110番に電話してる。誰かが「大丈夫、救急車呼んだよ!」って叫んでる。俺はただ、綾音を抱きしめてた。綾音の血が俺の服に染みて、冷たいアスファルトの感触が膝に伝わる。
加害者のプリウスは、ようやく止まった。運転席から中年男が降りてきた。
数分後、救急車のサイレンが聞こえてきた。あの音、普段ならただの騒音なのに、その瞬間はまるで希望の音だった。涙が溢れそうになった。綾音が助かる。絶対に助かる。そう信じたかった。
救急隊員が駆けつけて、綾音を囲んだ。
「四肢、粉砕骨折の疑い! 全身、
隊員の声が、まるで現実じゃないみたいに響く。綾音に酸素マスクが当てられ、担架に乗せられる。
俺は「俺も! 俺も行きます!」って叫んで、救急車に飛び乗った。
東邦大学医療センター 大橋病院。
救急車の窓から見える渋谷の街が、ぼやけてた。涙のせいか、頭が働かないせいか。綾音は担架の上で、隊員に囲まれてた。心拍モニターの音が、ピッ、ピッ、って鳴ってる。それが綾音の命の音だって、わかってた。
病院に着くと、すぐに綾音は手術室に運ばれた。手術室の扉が閉まる瞬間、綾音の顔が見えた。白い布に覆われて、まるで人形みたいだった。俺は、ただ立ち尽くしてた。時間が、止まったみたいに感じた。
待合室の椅子は硬くて、冷たかった。時計の針が、ゆっくりと進む。1時間、2時間。頭の中は、綾音の笑顔と、さっきの交差点の光景がぐちゃぐちゃに混ざり合ってた。あの笑顔が、もう見られないかもしれない。そんな考えが頭をよぎるたび、心臓が締め付けられる。
綾音の両親が駆け込んできたのは、夜の9時過ぎだった。母親の白鷺さんは、顔を真っ青にして「綾音は? あの子、どうなってるの!?」って叫んだ。父親の健一さんは、無言で拳を握りしめてた。俺は立ち上がって、頭を下げた。
「手術に入りました。複雑骨折と……神経へのダメージが……」
言葉がうまく出てこない。母親は口元を押さえて、涙を堪えた。父親は、ただ壁を見つめてた。誰も、何も言えなかった。
数時間後、執刀医が出てきた。白衣に血の跡がついてて、それが綾音の血だと思うと、吐き気がした。医者は淡々と言った。
「命に別状はありません。ですが……意識は戻らないかもしれません」
その言葉が、頭の中で何度も反響した。意識が、戻らない? 綾音が、目を開けない? そんなの、ありえない。綾音は、俺の綾音は、いつも笑ってたのに。星を見ようって、約束したのに。
それからの日々は、まるで色を失った世界だった。綾音は集中治療室から一般病室に移されたけど、目を開けることはなかった。無機質なモニターの音だけが、綾音が生きてるって証だった。
ピッ、ピッ、ピッ。
規則正しい音が、俺の心を少しだけ落ち着かせた。
俺は毎日、病院に通った。
学校が終わると、すぐに電車に乗って病院へ。綾音の病室は、いつも静かだった。白いカーテン越しに差し込む光が、綾音の顔を照らす。俺は、綾音の手を握って、話しかけた。
「綾音、今日、クラスのやつがさ、めっちゃ笑えることやらかして……」
綾音の好きな音楽を、スマホで流した。
スピッツの『ローテンダイヤ』
綾音が「この曲、なんか心にくるよね」って言ってたのを思い出した。スピーカーの音が、病室に響く。けど、綾音は動かない。
花瓶の花を替えた。綾音が好きだったガーベラ。ピンクと白の花を、いつも新鮮なものに替えた。花を見ながら、綾音が「駿、ガーベラって、なんか元気出るよね!」って笑ったのを思い出す。
でも、綾音は一度も目を開けない。笑顔を見せてくれない。
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