第3話
シリンダー錠に鍵を差し込んで、半回転。
開けた玄関に、後ろから息を呑む音が三つ聞こえた。
◆ ◆ ◆
「――三浦ってさ、
大学の中講義室。声を掛けてきたのは必修が同じクラスの人。
何で知ってたんだろう、と思ったのが顔に出たのか、彼は「家近いんだ」と続ける。
「……アパート、なら、そう」
「やっぱり? おかんが例のアパートにウチの大学の奴住んでるって言っててさ」
そういう同級生の名前を、どうにか引っ張り出す。
オリエンテーションの時、自己紹介があった筈だ。
「……
「なんでカタコトなんだよ……まぁ、そう。おかんと
それに少し心がざわめく。
そういうのは、地元だけで――都会では、存在しないと思っていた。
でも、挨拶に行った大家さんは昔から住んでるようだったから、そういうこともあるのかもしれない。
僕と梶の取り合わせが珍しかったのか、彼といつもいる面子が近くにやってくる。
確か、
何、と聞いた一人に、梶が「事故物件の話」と返す。
それを普通に言えることに、また、心がざわざわする。
「で――ホントの所どうなの、三浦」
「どう、とは」
「……やっぱお前の部屋、例の事故物件だったりすんの?」
「……前の住人が死んでるという意味なら、そう」
答えれば、「えー!」と声が上がる。
三者三様のそれに、ちりちり、何かが削れる気がする。
「お前よく住めるな……気になんねぇの?」
「あっ、うん……僕の実家も、そういう意味なら、同じで」
「は?」
「……おじいちゃん、朝起きたら死んでて、昔……人が死んだら事故物件なら、そうだなって」
こっちだとないのかな。地元だとたまに話を聞いていた。
風呂から上がってこないから、見に行ったら、とか。朝布団の中で、とか、そういう話。
上手く喋れないながらもそう言えば、梶は「なるほどね」と頷いた。
「自宅介護って奴?」
「そこまではいってなかったなぁ……ボケてはなくて、前の日まで元気でいて」
「ピンピンコロリってやつか」
「お前古いよ梶」
「じーちゃんばーちゃんと住んでたら、そういうこともあるのかぁ」
うんうん、と三人は頷く。
その内の一人、青山がずいと顔を近付けてきた。
「心霊現象とか、やっぱあったりするの?」
「……なんもない」
「マジかぁ」
どうしてそこで残念そうなのか。
ちりちり、胸を掻き毟るような感覚が強くなる。
……進学で地元を出て、振り払ってきたはずの、好奇心。
「なぁ、三浦ン家、一回見に行ってもいい?」
「えっ」
「見てみたいじゃん、事故物件」
けらけらと曽根が笑う。他の二人もそれに同調する。
それは地元の――もっと言えば、兄と、兄の友人達を思い出させた。
断りたい、と強く思う。
……けど。
『神経質な奴』
『ちょっとくらいいいじゃない、お兄ちゃんはおおらかなのに』
『お母さん達が甘やかすから』
『我儘を言うんじゃない』
――脳裏に浮かぶのは、いつか、好き勝手にかけられた声。
そう言ったものには下手に抵抗せず、頷くのが一番傷付かないと、知っている。
詰まった喉に、無理矢理酸素を通す。それでも、息苦しさは消えてくれない。
「……バイトの無い日、を、こっち指定でもいい、なら……」
どうにかそう言った声は掠れていたけど、彼等は気にした様子もなく、「それでいい」と笑った。
◆ ◆ ◆
少し前の会話を思い出して、重くなった気分を薄めるために息を吸い込む。
どうぞ、と招けば、「お邪魔します」が三人分。
脱いだ靴は綺麗に揃えられて、へぇ、とちょっと感心した。
「……あのさ、現場とかって聞いてんの」
「あぁ、お風呂」
「……お前、風呂どうしてんの」
「どう、って……普通に入るよ」
「三浦、心臓に剛毛生えてンの」
「……いや、清掃入った、って聞いたし」
梶の言葉に返せば、青山と曽根もどうしてか同意する。
失礼だな、と思いながら――健太さんが言っていた、『水場はきつい』はこういうことか、と思い至る。
ホラー映画を見てからお風呂に入るような、そんな感覚なんだろうか。
「見ておく? すぐそこだし」
「いやさぁ、そういうとこだよ」
玄関から見て左手の扉を押し開ける。
なんの変哲もない、ユニットバス。「トイレここね」と添えれば、三人はなんだか変な顔をしていた。
「いや、やっぱり三浦の心臓に毛が生えてんだと思う」
そう言って、梶が手を合わせる。遅れて、青山と曽根も。
短い黙祷だったけど、ちょっとだけ、彼等を見直した。
そのまま短い廊下を抜けて、三人を招いた六畳間。
「ウチこたつないから、床に直で座ってもらってもいい?」
「いいよ、むしろお邪魔したのこっちだし……これ、上納品のおやつです」
「飲み物と紙コップです」
「サークルの先輩から過去問貰って来た」
口々に言う三人に、思わず圧倒されてしまう。
「……あ、りがとう……成績落ちると、奨学金下がるから、助かる」
ラグマットの上に、台所から持ってきたお盆を置く。
ペットボトルと紙コップはその上に。
ポテトチップスの袋は背中側から開けて、袋をそのままお皿にする。
いやぁ、と口火を切ったのは梶だった。
「三浦新歓とか来なかったから、こうして話すの新鮮だわ」
「すっと来てすっと帰るイメージあるよね」
「……バイトあるから」
「どんくらい入れてンの?」
「かけもちで週五」
「週五!?」
「うん……コンビニと、家庭教師……生活費、自分で稼いでて」
「え、仕送りなし?」
「うん」
「寮は? 入らなかったの?」
「社会人になったら一人暮らしだから、今のうちに練習したくて」
投げられた質問には、少しだけ嘘を混ぜた。
「はー……そら講義終わったら帰るかぁ」
「爪の垢ください」
「ていうか、独語のノートあったら写させてください」
青山に続いて、曽根が言う。
ちゃっかりしていて、思わず笑ってしまった。
窓側に寄せたダイニングテーブルを指す。
「ノート写すなら、テーブル使う? 寄せたから、ちょっと狭いけど」
「三浦神かよ……!」
曽根が僕を拝んでから、いそいそとテーブルに座る。渡したドイツ語のノートに、また「神か!」と声が上がる。
そんな彼に「お調子者目」と言う梶は、大分距離が近く見えた。
聞けば、梶と青山が高校の同級生。
曽根は高校は違うけど、塾で一緒だったらしい。
そうこうことは都会でもあるんだな、とぼんやり思う。
そのタイミングで――どんと、音が聞こえた。
三人がびくりと、身を固くする。
「……上の人、だと思う。いつも、この時間に帰ってくるから」
壁が薄いから、音が抜ける。
上下の音は、特に抜けやすいらしい。
健太さんから聞いたそれらを告げれば、梶が息を吐く。
「やー、びびった。ここ、前の、じーちゃん死んだ時も音してたっていうし」
「……それ、倒れた音じゃないの?」
「いや、一昼夜、どんどんなんかを叩く音してたって。そんで大家さんに連絡あって、大家が玄関開けたら……って話」
訥々と語るのは梶に、この辺りだと有名なのか、青山も頷いている。曽根がきょろきょろと辺りを見回す。
……多分、それは健太さんだろう。
前に、本人から聞いたことがある。
『ジジイが倒れて、人呼ばねぇとって思ったら――物に触れるようになってよ』
『……それまでは?』
『全然。映画とかで見る浮遊霊っぽかった』
『……進化したんですかね?』
『それを言うなら、火事場のなんちゃらだろうな』
鍵を開けることまではできたけど、健太さんは部屋の外には出れなかった。
だから、ドアを叩くしかできなかったと言っていた。
梶は一昼夜と言ったけど、深夜には大家さんがきたらしく――それでも、おじいさんは間に合わなかった。
その時の健太さんの横顔を思い出して、気付けば溜息が落ちていた。
「前の人の守護霊とか、そういうのが伝えようとしたのかもね」
「三浦、そういうの信じる系? スピなんちゃらとか」
「……信じる、っていうか、生活に普通にあった、というか」
「いや普通にはねぇだろ」
「えっと、あの、実家が……恐山近くて、その」
「え、マジで。三浦そうなの」
「お前の動じなさ、ソレだよ、ソレ」
「でも僕は何も行き合ったことないよ……地域的には、そういう信仰? 信心? みたいなのは強いけど」
「なんかねぇの、怖い話」
「え……前の車に、藪から出てきたツキノワグマぶつかったり、とか?」
「別の意味で怖い話じゃん! そっちじゃねぇよ! 怖いけど!」
「え、え、熊怖いじゃん。軽自動車べこべこになってもぴんぴんしてたし」
「えー!」
「鹿でもそうなるけど、熊はやっぱり迫力が」
「待って情報量が多い! テスト無かったらそっち聞きたい!」
曽根が言って、梶が笑い出す。青山も頷いて、「今度昼飯食う時に聞かせてよ」なんて言う。
……それがなんとなく、高校の時に横目で見ていた、同級生のやり取りのようで。
「うん……あと、来年の新歓とか、出れるよう調整するよ。あるの、分かったし」
今度は、自然とそんな言葉が出た。
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