第6話 偽りなき体験談
この話は、私、アイスノ人本人が体験した実話です。
思えばこの体験を機に、私は怪談というものに取り憑かれるように興味を持ち始めたのかもしれません。不思議と恐怖を切り離せなくなった、あの日から。
最初に断っておきます。この話には霊などといった類の存在は出てきません。少なくとも、私はそう信じています。そう信じないと、今でも眠れない夜を過ごすことになるでしょう。
偶然の産物。私はそう思うことにしています。そう思わなければ、あの頃の私では正気を保てなかったでしょう。
それでは、お読みください。小学6年生の私が経験した、あの忘れられない恐怖の記憶を。
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薄曇りの土曜日、私はH県K市にある戸〇商店街を一人で歩いていました。
目的は商店街の中にある本屋でした。母に「夕方には帰ってくるのよ」と言われ、胸を躍らせながら電車に乗って来たのです。
本屋に着くと、目的の本を探すため、私は本棚の周りをぐるぐると歩き回っていました。この本屋には特徴的な内装があり、店内に大きな四角形の柱がいくつか立ち、その四面がすべて鏡張りになっていました。
私は本屋に入ると長居するたちで、この日も数時間、何度も同じ場所を回りながら、目新しい本を物色していました。漫画、小説、図鑑—私の小さな世界を広げてくれる宝物を求めて。
それは、あの日の午後3時頃だったでしょうか。
ふと、背筋に冷たいものが走るような違和感を覚えました。
視線。誰かに見られている感覚。
私は何気なく柱の鏡を見ました。そこには当然、私自身が映っていました。当たり前のことです。そして、もう一人、私の他に映っている人物がいました。
これも、まあ当たり前でした。他にもお客がいるのですから。
でも、私が感じた違和感はそこではありませんでした。
さっきから、不意に視界に入るその鏡の中に、まったく同じ人物が、常に私の後ろに立っていたのです。まるで、私の一挙手一投足を監視するかのように。私の後をつけているかのように。
その人物は中年の男でした。黒縁の眼鏡を掛け、頭部は少し禿げていました。水色の半袖シャツを着た小太りの男性。
年齢は30代後半から40代といったところでしょうか。表情は無感情で、虚ろな瞳で何かを探しているようでもありました。
その時点で、私が本屋に入ってから既に2時間ほど経過していました。2時間もの間、同じ人物が偶然にも私の近くにいる確率はどれほどなのか、と不安がよぎりました。
最初は気のせいだと思いました。単なる偶然だと。でも、何度見ても、その男は必ず私の後ろにいました。近づきすぎず、かといって離れすぎずの絶妙な距離感で。
私は何だか不思議に思い、わざと誘導してみようと考えました。正直その時はまだ、その男が私をつけているなんて本気で考えていませんでした。単なる偶然の一致だと、そう思いたかったのです。
私は急に踵を返すと、男性がまず立ち寄らないであろう婦人雑誌コーナーに向かいました。男性が読むような雑誌はもちろんそこにはありません。
本を物色する振りをして、私はさりげなく、鏡を見ました。
そこに、例の男がいました。婦人雑誌コーナーに、私の後をついてくるように立っていたのです。彼は雑誌を手に取る素振りすらせず、ただそこに立っていました。
ドクンッ。
心臓が一瞬止まったかと思うほどの衝撃が走りました。血管の中の血が、物凄い勢いで逆流するような感覚。喉が乾き、息が詰まるような恐怖が襲ってきました。
これは偶然ではない。確信しました。あの男は私を追っていたのです。
私はもはやその場に居ても立ってもいられず、本屋を飛び出しました。早歩きで出口へ向かい、振り返ることなく商店街のアーケードへと出ました。
「気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ」
頭の中でそう何度も強く念じました。冷静になろう、私はただの子供で、男が私を追う理由などないはずです。誘拐?いや、人が多すぎる場所です。それとも私が何か悪いことをした?いや、記憶にありません。
アーケードの中をしばらく進むと、「〇イトー」と書かれた派手な看板のゲームセンターが目に飛び込んできました。人が多く、安全そうに思えました。
衝動的に、私の足は店の中へと向かいました。入口近くにあった格闘ゲームの台に腰掛けます。心臓の鼓動が耳に響くほどでした。
「落ち着け、落ち着け」
必死に心を静めようとしたその時、ゲームセンターの自動ドアが開く音が聞こえました。
恐る恐る振り返ると、そこには例の男が立っていました。
心臓が喉元まで跳ね上がるのを感じました。吐き気すら感じるほど怖かったです。パニックに陥りそうになる私。でも、なぜか私はもう一度、確かめたくなりました。この狂気じみた状況を確認したくなったのです。
あの男の行動をもう一度試してみようと思いました。
震える手で財布からお金を取り出し、コインを投入してゲームを開始しました。そして斜め向かいにある、起動していない機台のディスプレイの反射を利用して、そこに映り込む男の姿を、目の端で追いました。
私の後ろ約3メートルほどのところ、後ろのゲーム機台に、男が腰掛けました。財布からお金を取り出し、それを投入しています。軽快な電子音と共に、ゲームのスタート音が後ろから響いてきました。
どうやら男は麻雀ゲームを始めたようです。彼の注意がゲームに向いた隙を見計らって、私はすぐさま席を立ち上がり、店を出ました。
ここで逃げ切るべきでした。走って帰るべきでした。しかし、恐怖と好奇心が入り混じった奇妙な感情に駆られ、私はまたもやあの男を、最後にもう一度試してみようと考えてしまいました。
「もう一度だけ...確かめたい」
こんな恐怖に晒されながらも、私の好奇心はその恐怖を上回ってしまったのです。12歳の子供の浅はかな判断でした。
私はすぐさま行動に出ました。行き先は決まっていました。商店街の中にある、確か〇ティという名のデパートです。
入り口に入ると、すぐさま目の前にあるエスカレーターに乗りました。昇った先、2階の踊り場には、ガチャガチャが置いてあります。当時ガチャガチャにはまっていた私は、それを見ながら心を落ち着かせようと考えました。
「全ては偶然だ。自意識過剰な私の早とちりなんだ」
そう思い込もうとしました。けれども、そんな私の願いもむなしく、最悪の事態が訪れました。
エスカレーターの下から、あの男が昇ってきたのです。水色のシャツは人混みの中でも目立ちます。彼は私とは目も合わせず、どこか遠くを眺めるような表情で、徐々にこちらに近づいてきました。
心臓が止まりそうになりました。私は急いでその場を離れました。フロアの隅に移動し、階段を利用してさらに上の階へと移動しました。
婦人服売り場。しかも下着売り場へと私は入りました。女性専用のエリアです。私自身は小学生の女の子なので怪しまれることはありませんが、中年男性一人がここに来ることはまずないでしょう。これで追ってくることはないはずです。
しかし、男は来たのです。まっすぐ他には立ち寄らず、婦人服売り場にある女性用下着売り場のコーナーに。彼は周囲の視線など気にもせず、私の方をじっと見ていました。瞳には感情がなく、まるで人形のようでした。
恐怖で足がすくみました。
「助けて...誰か...」
心の中で叫びながら、私は逃げました。
エスカレーターを駆け足で降りました。足がもつれこけそうになりながらも、私は走りました。出口へ、安全な場所へ。
ただ、私はまだ子供でした。浅はかで、たいした知恵ももたない、衝動的に動いてしまう、矮小な子供だったのです。
デパートを出た私は、何を思ったのか、そのデパートの裏手に逃げ込みました。そして目の前にある、赤茶けた錆まみれの非常階段を駆け上がりました。
無我夢中で昇りました。
「来ないで、来ないで、来ないで!」
何度も胸の内でそう叫びながら、上へ上へと駆け上ったのです。息は切れ、足はすでに痛みを訴えていましたが、恐怖がそれを上回っていました。
やがて行き止まると、「4F」と書かれた鉄の扉に手を伸ばしました。
ガチャガチャと鈍い金属音が響きます。しかし、扉は私の意に反して開きません。鍵がかかっていたのです。
当たり前です。ただの非常階段ですもの。ですがそんなことすら、当時の私は予測できませんでした。
扉のドアノブから手を離しました。一瞬、静まり返ります。
そして、
カンカンカンカンカン
下から音が響いてきました。
靴音でした。金属階段を踏みしめる、不気味な音。
恐怖で歯がガタガタと鳴りました。カチカチと音が鳴ります。私の歯音でした。歯と歯がすごい勢いで触れ合い、恐怖を物語るように音を立てていました。
膝が折れ、私の体はその場に座り込むように崩れ落ちました。真ん中の支柱の隙間から下を覗き込みます。
水色の服がチラチラと見えました。
カンカンカンカン
靴音はどんどん近づいてきます。
涙と鼻水で私の顔はぐしゃぐしゃになっていました。どうしてこうなったのか、どうすればいいのか?何も考えられません。叫ぶことすら忘れて、私は嗚咽を漏らしながら、その場にうずくまりました。
「どうして...私なんかを...」
震える唇から漏れ出した言葉。返事はありません。ただカンカンと、鉄の階段を登る音だけが、次第に大きくなります。
そのとき、予想外のことが起きました。
ガチャン、と金属音が鳴ったかと思うと、目の前の鉄の扉が開いたのです。
そして、デパートの制服を着た20代くらいの男性が現れました。
「こんなとこで何してるの?」
彼は私を見つけると驚いた表情を浮かべました。
「泣いてるの?どうしたん!?いじめられたん!?」
大きな声で話しかけてくる若い男性。私は言葉を発することができず、ただ下を指差しました。
すると下の方からまたもや、
カンカンカンカン
今度は凄い勢いで下っていく靴音が聞こえました。
「何あいつ?なんなん?あいつにいじめられたんか!?」
若い男性は私の返事も待たずに、急いで階段を駆け下り始めました。
「こらあ!ちょっ待て!」
彼の怒鳴り声が空間に響きました。二人の足音が遠ざかっていくのがわかります。
唖然とした私は、しばらくその場に座り込んでいましたが、やがて力を振り絞ってフラフラと立ち上がり、ゆっくりと階段を降りました。
デパートを出て商店街の中に戻ります。周りから聞こえてくる喧騒が、私のズタズタになった心を少しだけ癒してくれました。人々の笑い声、店の呼び込み、子どもたちの走り回る音。日常の音が、あんなに心強く感じたことはありませんでした。
商店街の入り口まで来て、私は立ち止まりました。足が棒のように重いです。これ以上は動かせません。全身から力が抜け、疲労感に支配されていました。
呆然と立ち尽くす私の目に、緑の電話ボックスが映り込みました。
「迎え…呼ぼう…」
さっきの事を話せば、きっと親も迎えに来てくれるはず。そう思いました。
ボックスに入り100円を入れると、すぐに家に電話をしました。何回かのコールが鳴ったのち、聞きなれた母親の声が耳元で聞こえました。
泣きそうでした。いや、泣いていました。そのせいでうまく喋れません。必死に説明するも、親にはまったくと言っていいほど話が伝わりません。
「ちょっと、何言ってるの?聞こえないわよ」
受話器の向こうで母親が苛々しているのがわかります。どう説明すればいいのだろう、そう思った時でした。
視界の端に、不自然な動きが見えました。見ると、目の前に接近してくる一台の車がありました。それはまるで、スローモーションのように見えました。
対向車線をはみ出しこちらに迫るタクシー。そしてタクシーの運転手らしき男性が、歩道を必死に走りながら、
「車泥棒!!」
と叫んでいました。
次の瞬間、そのタクシーは私のいる電話ボックスの手前のガードレールに、
ガッシャーン!!
というけたたましい音と共に、頭から突っ込みました。
幸い、タクシーはガードレールを突き破ることはなく、電話ボックスの手前で停まりました。私は激しい衝撃音に身をすくませ、その場でうずくまり、再びガタガタと震えていました。
辺りは騒然としていました。
「運転手は!?」
「おらん!」
「どこいったんや!?」
「タクシー盗まれたー!!」
と怒鳴り散らすような声が飛び交っていました。
受話器からは母親が私の名前を連呼する声が聞こえます。
私は震える手で受話器を持ち直し、耳元へと運びました。すると母親が言いました。
「あんたいい加減にしなさいね!?何騒いでるの??まあいいわ……とにかく、今日はどうするの?泊まっていくの?帰ってくるの?」
「えっ?」
母の声に、思わず声が上擦りました。
泊まっていく?誰が?
私は声を振り絞り母親に聞き返しました。すると母親は言いました。
「アンタの事よ。30分前くらいに、今日は友達の家に泊まるから帰らないよって電話してきたじゃない」
30分前?
私がまだあのデパートの非常階段に隠れていた頃の時間です。当時携帯電話などありませんでした。あってもポケベルくらいです。私が電話するなんて、ありえないしできないことなのに。
何がなんだかわかりませんでした。私は堰を切ったかのように、その場で泣き叫びました。混乱と恐怖が一気に溢れ出しました。
以上が、私が過去に体験した話です。
脚色も誇張もありません。ありのままの体験談です。
あまり怖くないでしょうか?正直、訳の分からない話ですから。
ただ、一つだけ言えることがあります。
私はこの体験をしたからこそ、怪談というものに取り憑かれるように興味を持ちました。
現実は、答えのない不可思議なことばかりです。
そう…現実は、不可思議連鎖の物語なのだと、私は今でも思っています。
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