第4章:Revenge accomplishes nothing.

「先月、とあるマンションにて政治家の遺体が発見された事件ですが、警察はSNS上での誹謗中傷を原因とした自殺だと捜査を進めており…」



無機質なニュース音声が、事務所のテレビから流れる。


「あっ、このニュース知ってるかも。1日に何千件と中傷の言葉が流れてきて、私もちょっと怖かったな。どうしてこんなことになってしまうんだろう」



ミズホはそっと目を伏せ、下を向いた。


「SNSって、相手の顔も気持ちも見えないからさ。言葉も簡単に刃物みたいになるんだよ。バッシングが快楽になってる人もいるし」とサクラ。


「…」





「お願いします!僕はネットの中に入ってみたいんです。でもそんなことできるわけなくて…。どうか僕の願いを叶えてくれませんか?」



じめじめとした五月の夕方、やってきた依頼人は、私たちに訴えかけるような切実な声を出した。


「えっ、えっと…。ネットの中にですか……」



サクラが困惑したような目つきを見せる。


「一生のお願いですっ!どうか叶えてはくれませんか…?」



一生のお願いって、依頼人はもう亡くなってるのに…。


「流石にそれは私たち天使の力を持っても不可能というか…。めちゃくちゃな無理難題というか…」


「そこをなんとかお願いします…!」


そんなことを言われても…と彼女は困った顔のまま愛想笑いを浮かべるしかなかった。


「えっと、でも無理は無理ですし…。ね、ミズホ」



彼女はミズホに視線を向ける。


「いや、できるよ!」


「ほら、やっぱりできない…って、できるの!?!?」



このとき、1番子供のように驚き、声を裏返したのは依頼人でもツバメでもなく、サクラだった。


「じゃーん。ネットはいれーる」



ミズホは奥の倉庫から、大きな透明ドアを持ってきた。


その姿はショッピングモールでよく見るような自動ドアそっくりだ。


「この扉を通ることで、動画サイトやSNS、メールボックスなどのデジタル世界に物理的に入ることができるの。それこそ、依頼人の言っていた『ネットの中に入りたい!』が叶う道具かな」


「そんなご都合主義な道具、本当にあったんだ…」



おっと、独り言が漏れてしまった。


「じゃあ、さっそく入ってみよう〜」


彼女は『押してください』と書かれたグレーのボタンを押す。


ドアが開いた瞬間に空気が変わり、小さな電子音が、風に乗って耳を撫でた。


「うーむ。でもなんか嫌な予感がするんだよな。気のせい?」


胸の警戒信号がけたたましく鳴り響いている気がしたサクラ。


それでも、黒百合の服を着る依頼人はすでにドアの向こうへ歩き出していた。






目を開けると、目の前には現実とはまるで異なるデジタル空間が広がっていた。


足元はタイルのように滑らかな床。


その表面には青白い光のラインが格子状に走り、歩くたびに波紋のように揺れる。


空には無数のコード列や情報の断片が帯状に流れ、文字や数字がちらついていた。


音はほとんどない。


ただ、『検索中…』『修正完了』といった電子的な囁きが、誰の声とも知れず耳元をかすめる。


視界の端では、建築物のようなものが何かの命令で破壊と再構築を繰り返していた。


四角いピクセルへと崩れたかと思えば、次の瞬間にはまったく別の姿に組み直される。


まるでこの世界自体が「編集可能」であることを当然としているかのようだった。




「すご〜い!!本当にネットの中に入っちゃったんだ!」



ツバメは目を輝かせながら取り出した小型カメラで写真を撮り始めた。


大量の文字が行き交う川や、削除データが積まれた山まで、次々と写真を撮っている。


「お、早速写真を撮り始めてる…。じゃあ記念に私も撮ろうかな」



サクラもカメラを取り出し、先にあるウニのようにトゲトゲした異様な物体を撮り始めた。


なんとも知れない恐怖を感じる赤い顔だが、これはこれでかわいいと思う。


「あのーサクラさん?それって…」



ミズホが声をかけたその時にはすでに遅かった。


ウニのようなそれは、ゆっくりと…しかし確実にこちらに向かって転がり始めた。


まるで私たちに狙いを定めたように、じわじわと距離を詰めてくる。


「つ、潰される…!」



サクラが動けずに立ち尽くす中、その赤いウニは目前に迫っていた。




「危ない!」



ミズホは叫ぶと同時に、腰のホルスターからオレンジ色の銃を抜いた。


光沢のあるその銃は、彼女の自慢の特注品。


彼女は標的に照準を合わせ、迷いなく引き金を引いた。



バンッ!



オレンジの光線がウニを貫いた瞬間、まるでプログラムの崩壊でも起きたかのように、無数のコード片となって宙に舞い、消滅した。


「た、助かった…。ありがとう、ミズホ〜!!」


「どうやらアレはコンピューターウイルスのようだね。いや〜、さっさと倒せてよかった」


「ところで、依頼人はどこへ行ったんでしょうか…?」



ツバメの声にハッとする。


先ほどのあたふたで、誰も彼の姿を気にしていなかった。


申し訳ない。


「もしかしたら、迷子になったのかも。探しに行かなくちゃ」


私たちが依頼人を探す裏で、ある恐ろしい計画が立てられていたことなど、知る由もなかった。















































































































「何もしていないのに呪い殺されるとは…。すっごい怖くて成仏すらできないっす」


梅雨っぽい特有のまっすぐな雨が降り続けるある日、やってきた依頼人は全身にひや汗を流しながらおどおどしていた。


「呪い殺される…?一体どういうことなのか、状況を教えてもらえませんか」


サクラは首を傾げながら、依頼人に尋ねた。



「状況ってほどでもないっす。ある日、『頑張ったご褒美っす〜』とネットサーフィンしたり、SNSを見ていたんです」


「なるほど」


彼女は淡々と出来事をパソコンにメモする。


「そしたら、突然スマホの画面から若い女の幽霊が出てきたんですよ。新手のドッキリか何かか!?なんかと思っていたその矢先、幽霊はいきなり自分の心臓をナイフで刺したんすよ」


「マジですか!?!?」


隣で話を聞いていたミズホは、びりびりと悸え上がる。


「そう、マジっす。ナイフで刺されたときの、背骨に染み渡る痛みもトラウマだったし、
血が噴水のように噴き出していく自分の体を見ながら死にゆくのもめっちゃ怖かったっす。自分、その幽霊に倍返しするまで成仏する気はないし、そもそもできないっす」


苦笑いをしながら話す依頼人だったが、実際は苦笑いでは済まないほど怖かったと思う。


これは一刻も早く真相を解明しないと。




「…いわゆる『怪奇現象』ってやつかも。そうなると、原因というものが必ずついてくるんだよね」


説明しよう。


怪奇現象や都市伝説には、必ずそうなる原因がある。


例えば、あの有名なホラー映画であるリング。


登場人物が貞子に呪い殺された原因は『呪いのビデオを見たから』だ。


また、よく小学生の間で噂になるトイレの花子さん。


トイレに引き込まれた原因は夜中に指定されたトイレのドアを3回ノックしたからだ。


このように原因があってこそ『怪奇現象は成り立つ』。


逆を言えば、原因もないのにホラーのようになるのは怪奇現象とはいえず、別の何かが原因かもしれない。




「何か思い当たる節があったりは…?」


サクラは依頼人に聞いた。


「いや、全くと言って良いほどないっす。呪われた場所に行ったこともないし、そもそも呪われるような行動をしたことがないっす」


確かに、彼はホラーの雰囲気すら感じない、明るそうな人だしな。


「なんの関係もない人が無差別に襲われたってことか。となると、怪奇現象のようで、そうでもないかもしれないな…。仕方ない、おとり調査でもやってみるか」





その日の夜。


事務所の中にはスマホを取り出しダラダラと過ごすサクラの姿があった。


机には黄色いガラスのコップを置いている。


その姿は、依頼人が襲われる直前の行動に等しい。


決してそれは『いや〜ダラダラって最高っ』というわけではなく、依頼人と同じ状況で過ごすことで、もしかしたら、彼を襲った幽霊が現れるかもしれないということだ。


もし幽霊が現れたら倒せばいいし、現れなかったら現れるまで何度でも同じことを繰り返す。


おとり捜査とはそういうものでもある。


一応、サクラの隣には自慢の銃を腰のホルスターに入れたミズホ、そしてさすまたを持ったツバメも待機しており、安全性も確保した。


「あのー幽霊にさすまたって効くんでしょうか…?」


答えが返ってくる見込みのない質問をしたツバメ。


「たぶん効かない!ほらさ、雰囲気だよ雰囲気」


ミズホはご自慢の笑顔で答える。


「そんなメチャクチャな」






そんな会話が繰り広げられたとき、不意にスマホの画面が闇に呑まれるように暗くなった。


どうやら強制シャットダウンしたようだ。


事務所の中には、一瞬だけ奇妙な静けさが降り、誰も息をするのを忘れるような、ぬるりとした空気が漂う。


次の瞬間、画面から勢いよく飛び出したのは、紛れもない幽霊。


手にナイフを持っていることから依頼人が話していた例の人物だと思われる。(捜査を始めてからわずか5分で出てくるとは)


「で、出たな幽霊!」


ツバメは自分の持っていたさすまたを勢いよく幽霊に突き出す。


そしてミズホが手に持っているナイフを撃ち落とした後、サクラがロープで拘束した。


「あれ、あなたは、この前の…」


彼らは、拘束した幽霊の姿に驚き、言葉が出てこなかった。


短い髪に丸いメガネ、黒っぽい服までその姿は、『ネットの世界に入りたい!』と言っていた先月の件の依頼人と同一人物だったのだ。


ネットの世界で迷子になったと仮定して、捜索を続けていたのに、こんなところにいたとは。


「あなた、1ヶ月もどこへ行っていたの。
それに、そのナイフはどういうこと?」


サクラは必死に言葉を探し、彼に声をぶつけた。


「じょ、成仏社さん……あの、これは……えっと、違うんです」


「何が違うの?」






「…。僕は復讐がしたかったんです。私のお母さんを奪ったあなたたちからね」






その日は透き通る綺麗な青空で、違和感を覚えた。


母が自ら命を絶った日。


そのポストに「最期の意志」も「涙」も書かれていなかった。


ただスマホの画面には、無数の文字列が残されているだけだ。


『子どもがかわいそう』



『嘘泣きの女』



『被害者ぶるな』


誰一人、母の姿は知らなかった。


けれど誰もが、彼女を知ったような気になって、鋭い刃のような言葉を投げつけていた。


僕は泣くこともできず、画面を見つめ続けた。


何百時間も、何千回も、スクロールを止めずに。


でも、どれだけ見ても、母は帰ってこなかった。


だから僕は、母を追いかけて死んだ。




目が覚めると、幽霊になっていた。


でも、僕は、母を見つけることができなかった。


幽霊になれば再会できると、そんな安っぽいドラマのような期待は無駄だったというわけか。


怒りも、悲しみも、飢えも渇きもないはずなのに、どうしようもなく、何かを訴えたくなる。


「この社会は間違ってる」とそう何度も叫んだ。




そんなとき、噂を聞いた。


『幽霊成仏社』それは、幽霊の願いを一つだけ叶えてくれる場所。


そうだ、そこの人にお願いして、僕をネットの世界に入れてもらえば良いんだ。


そこから母を自殺に追い込んだ人に復讐することができるから。


僕は、成仏社へ出向いて、ネットの中へ入ることに成功した。




「『そうやって復讐を始めたけれど、モヤモヤする気持ちは収まらなくて、ついには関係ない人まで殺し始めた』ってとこでしょ」


憂わしげな表情を浮かべたのはサクラ。


「そうだよ。それで何が悪い。軋轢のある言葉ばかり飛ばして、誰かを殺してるのはあいつらのほうじゃないか。誰一人、母を守ろうとしなかった。誰も責任を取らない。なら、いっそ消えてしまえばいいんだ、全部……!」


「それで大切な人が傷ついても?」


彼はハッとする。


心の奥に触れたような、その問いかけに。


「きっと君のお母さんは、こんなこと望んでいないよ。
君自身も手を血で汚すなんて、嫌じゃないかな。復讐からは何も生まれない。もうやめようよ」


「うるさい…。うるさいうるさいうるさい!僕の気持ちをわかったフリになって!!」


彼はぽろっと涙を落とす。


そして、拘束を取ろうと暴れ始めた。


「まずい……!」


彼女は思わず息を呑んだ。


彼は気づいたのだ。


私たちの手に。


そして、おそらく逃げる気だ。


逃げ延びれば、またネットの海のどこかで、次の犠牲者を生む。


それだけは、絶対に避けなければならない。






「これだけは絶対にしたくなかったけれど、仕方ない……」





隣でミズホが小さく呟く。





彼女の手にあるのは、真紅の銃。





いつものオレンジの光沢ではなく、血のように鮮やかな、彼岸花色の銃。





それは、幽霊の存在そのものを“最初からなかったことにする”、最終兵器だ。





だからこそ、できれば使いたくなかった。





…しかし、これ以上被害を出すことも許されない。





照準を定める彼女の目は、涙で溢れていた。





引き金が、引かれた。





赤い光線が少年の胸を貫いた瞬間、彼の身体はふわりと崩れた。





まるで花びらが散るように、静かに、音もなく。





憎しみも、苦しみも、悲しさも残さず、ただその存在がこの世界からデリートされたように。





辺りに残ったのは、深い沈黙だけ。





ミズホは静かに拳を握りしめた。





「これで…よかったのかな」





彼女は答えなかった。





ただ、手の中の赤い銃を見つめていた。





彼岸花のように美しく、しかし、決して咲いてはならない花の色をしていた。












『彼は、2ヶ月前に亡くなった政治家さんの息子』


それを知ったのは、あの日から半月後のことだった。


本件は、「復讐に取り憑かれた殺人幽霊の退治」と処理された。


しかし、本当にそれで良いのだろうか。


今も頭の中に霧がかかって、取れない。




SNSは「いいね」が道徳を決め、「拡散希望」が真実を決める世界だ。


無意識に潜む集団的憎悪はある種の災いとも言えるかもしれない。

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