メタリニアーCesta mosazi a zbraníー
古堂 猫丸
第1話 「真鍮の残響」
1887年、秋のプラハ。
夕暮れの石畳は、冷えた蒸気と煤煙に濡れ、ほの暗いガス灯の明かりが、霧の中にぼんやりと滲んでいた。
ミクラーシュ・ジヴィは、革の作業服の袖口で顔をぬぐいながら、重い工具箱を肩に担ぎ直した。
今日の仕事は、鉄道工場で古びた動力弁の修理だった。
真鍮の歯車は摩耗し、圧力弁は錆びついていた。
火花が散る中、焦げた蒸気に指先を焼かれながら、黙々と分解と調整を繰り返した。
「まったく、年季が入りすぎてやがる……」
低く吐き捨てる声だけが、作業場の片隅で蒸気に溶けた。
すべてがくたびれきっている。この機械も、この自分自身も。
今日も一人の請負仕事、誰と会話することもなく、一日が過ぎた。
作業は勿論片付けた。
百八十センチの長身と、スリムで鍛えられた体は修理工にあまり見えない。連想しにくいが、実は手先も器用なのだ。
それまでの仕事が出来なくなった時に、いまの稼業を選んだ理由でもある。
この仕事に就いて以来、生真面目に作業に打ち込み、技術習得には励んできた。そう、自分ではそう思っていた。
発注者に軽く挨拶をした後、ミクは通りすがりの屋台酒場に立ち寄った。
すすけたテントの下、小さなランプがひとつ、温かな光を放っている。
使い古されたカウンターに座ると、馴染みの女主人が、無言で黒ビールを差し出してきた。
「Černé Pivo(チェルネー・ピヴォ)……か」
暗闇のような黒に、かすかな甘さを忍ばせた、労働者たちの疲れを癒す麦酒だ。
それを一口、ゆっくりと喉へ流し込む。
そして、いつもの
肺いっぱいに重い煙を吸い込み、静かに吐き出す。
細く立ちのぼった煙は、やがてガス灯の明かりに溶けた。
多少緩んだ心の奥に、ふいに過去の亡霊が揺れる。
子どもの泣き声。引き金を引いた瞬間の、重たすぎる沈黙。赤い鮮血。
記憶の
なんの前触れもなく、心臓を押しつぶしにかかってくる。
目を閉じて冷や汗がおさまるのを待った。
(……まだ、生きてるつもりか)
苦い
重たいブーツの足音が、石畳に煤けた音を立てて響く。
今日は黒ビールも、煙草も、彼を救ってはくれなかった。
そして——
霧の奥から、微かな金属のきしみと、壊れた呼吸音が聞こえた。
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