第7話 重ねあう力、ほどけゆく影


旗を奪ってから何時間が経ったのか、よくわからない。

夕暮れの空は少し赤く、風だけが静かに教室の窓を揺らしていた。


「第5試合、武川華澄 対 朝霧連斗、開始!」


校庭に設けられた訓練用フィールドに、華澄の姿が立っている。

手には小さな火球。だけど、それは初日とはまるで違った形をしていた。


「よし、行くよ!」


彼女は自分の魔法を、正面ではなく、相手の視線を引きつけてから斜めに飛ばすように放った。

火の塊は爆ぜるように広がり、目眩ましのような形で相手の動きを止めた――その瞬間、もう一発。


「……うまい」


私は思わずそう呟いた。

前に出すぎず、かといって引かず、自分の特性を“演出”にまで使ってる。

華澄は、ただの明るい子じゃない。

自分の火に、ちゃんと意味を持たせようとしている。


だけど。


「……あっ!」


朝霧の反撃が思ったより速かった。足元に生じた氷の罠に、彼女が足を取られた。


「まずい――」


でも、彼女は咄嗟に手を地面につき、火を足元に散らすように放った。氷が一瞬蒸気に変わり、視界がぼやける。


「うぅ~、せっかく髪整えてきたのに~!」


そんな小さな愚痴が聞こえてくる。

だけど、その声は――しっかりと、勝ちに向かっていた。


***


「第6試合、城戸歩実 対 志摩圭人、開始!」


華澄が席に戻ってくるのと入れ替わりで、今度は歩実の番。


彼女は、魔法を派手に使わない。

ただ静かに、目の前の空気を読み、魔力を“流す”。


「……あの水球、見せ球じゃない。」


圭人が繰り出した土壁を、彼女はまるで待っていたかのように受け流し――

その隙間に、小さな水玉を一滴だけ滑り込ませる。


数秒後、壁が膨張し、崩れ落ちた。


「……圧……?」


私は理解するまでに時間がかかった。

あの水玉は“内部に圧を溜める”タイプの魔法だった。

一見、地味で即効性がないように見えて、時間差で確実に仕留める。


ただ、その分、圭人に懐へ飛び込まれたときは苦しそうだった。

防御は得意ではない。回避も、それほど早くない。


だけど。


「ふっ」


歩実は、わずかに地面に魔力を送っていた。

次の一歩で圭人の足元が濡れ、すべって、崩れる。


「……よく見てる」


彼女は感覚で動くんじゃない。読み切って、先回りして、制する。


華澄は前へ押し出す“火”のセンスを、

歩実は静かに崩す“水”の技を持っていた。


そして私は――


ふと、自分の戦いを思い返す。


あの火の導線は、華澄の火球の軌道から着想を得たものだった。

あの水の一点集中は、歩実が魅せた“内側から崩す”魔法そのままだった。


私はまだ、あの一戦の余韻をどこかで引きずっている。

勝ったはずなのに、胸の奥がざわつく。

あれが本当に自分の力だったのか――その答えを、まだ受け止めきれずにいた。


ふと、端末に残した演習ログを再生する。

あの風、水、そして……火。


「なんで、あんな風にできたんだろうね」

自分に問いかけるように呟いたその声は、ほんの少しだけ笑っていた。


風は、私自身の属性だったけど――

あの火を起こす着火点は、華澄の“まっすぐすぎる火”を、

そして、水を矢にするという発想は、歩実が教えてくれた“溜める水”の精度を、

無意識に借りたのかもしれない。


私は、誰かに勝ったんじゃない。

あの時、私の中には――

ちゃんと、あの2人がいたんだ。


そう思ったら、少しだけ目の奥が熱くなる。

旗を奪った瞬間よりも、ずっと温かく、穏やかな気持ちだった。


「……ありがと、2人とも。」


心の中でそっと呟いて、私はログを閉じた。


その瞬間、教室の扉がガラリと開く。


「……お、いたいた。瑞樹ー!」


華澄の声。

続けて歩実も、少しだけ呆れたような表情で私を見ていた。


「次、校舎裏集合だって。ほら、新しい試験の説明あるらしいよ。」


「あ……うん、今行く。」


私は椅子を押し、立ち上がった。


さあ、次の試練が待ってる。

でも今度は、ひとりじゃない。

あの風と、火と、水の重なりを、この手に感じながら――。






「スライムの討伐数ではありません。あくまで“魔力コントロール”の訓練です。数を追いすぎて倒れるようなことがないように」


焼津先生の声が響く。

昼下がりの訓練フィールド。今日の空は少し霞がかっていた。天気が悪いわけじゃない。けれど、何かひっかかるような重さがある。


「では、始め!」


号令とともに、生徒たちがフィールドに散っていく。私たちもその中に含まれていた。


表向きには“戦闘能力が高い”とされた4人――私、華澄、歩実、そして桃那は、今回特別に「高度訓練枠」として呼ばれた。本人の意思は二の次。やれるかどうかじゃない、やらされるかどうかだ。


スライムは弱い。相手にならないほど。

だけど、魔力の制御ができていないと、一発の魔法で自分が動けなくなる。エンスト。魔力切れ。その瞬間、もし本当に“命のやり取り”をしていたら――それは即ち、死。


「たったスライムで大げさじゃない?」


そう思った自分を、何度も思い返して打ち消した。甘い。生き延びるための訓練だ。敵がスライムだろうと関係ない。


「瑞樹、あまり力込めすぎないでよー」

横で華澄が軽く火球を投げながら声をかけてくる。口調は軽いが、火の大きさは緻密だった。彼女なりに、感覚を調整している。


「大丈夫、まだ余裕ある」


そう答えながらも、自分の中の“残量”に意識を向ける。

魔力は数字じゃ見えない。ただ、芯の奥にある温度みたいなもの。冷えていくと、手が鈍る。


桃那は……相変わらず淡々としていた。彼女の土の槍は、相手を仕留めるというより、動きを止めることに重きが置かれていた。きっと、それが“残量”を意識した彼女の選択だったのだろう。


歩実は、少し離れた場所で水を操っていた。

ただ、どこか様子がおかしかった。動きは自然だけど、視線の先が少し違う。私たちじゃない。スライムでもない。


どこか、別の場所を見ていた。



「ごめん、ちょっと先に戻ってるね」


訓練後、歩実はそう言って、私たちと別れた。理由は聞いても、きっと答えないだろうと、私も華澄もそれ以上は追わなかった。


桃那だけが、ほんの一瞬だけ、視線を泳がせたのを私は見逃さなかった。けれど、その意味を問うには、まだ少しだけ早い。


歩実は、裏で何かを見ていた。

“影”。あの日からずっと、気にしているのは知っていた。

ただ、あれ以来、本人の口からは何も語られていない。


夜。校舎の裏手、使用されていない倉庫。

そこに歩実の姿があった。


周囲の気配を気にするでもなく、ゆっくりと何かを探すように歩く。風が吹き、木の枝が揺れるたび、影が歪む。


そして、その倉庫のさらに奥――


「来たのか。……もう戻れないぞ」


その声は、静かに響いた。だが、そこにあったのは“人”の声ではなかった。言葉を喋る何か。濁りと、底知れない深さを持った、そんな声。


歩実は、表情を変えず、ただ立ち尽くしていた。


「わかってます。……だから、聞きたいんです」


彼女の足元に、何かが蠢いた。

影が、別の形をしてうごめいた。


私たちが知らない“裏”で。

歩実は、何かに触れようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る