第5話 影を背負う者
訓練の翌日、教室に入ると、壁際に掲示板が設置されていた。
「訓練結果・総合ランキング」の張り紙の前で、生徒たちが集まり、ざわざわと騒いでいる。
「……やっぱり。」
私は華澄と一緒に一番上の名前を見上げた。
鵜久森桃那。
「ま、当然だよね……。」
華澄が小さく言う。崖の向こうで余裕で狩り続けていた、あの子の名前だ。
教卓の前に焼津先生が立つと、空気が自然と張り詰める。
「今回の訓練、総合トップは――鵜久森桃那。」
ざわめきが一気に広がり、緊張感が教室を満たした。
桃那は無言で立ち上がり、静かに壇上へ向かう。
長い前髪、鋭い瞳――その表情は無機質で、微動だにしない。賞状を受け取り、一瞬だけ教室全体を冷たく見渡した。
そして、短く一言だけ口を開く。
「……これが、実力だから。」
低く響くその言葉は重みを帯び、また無言で踵を返す。
ピリッと張り詰めた空気が、教室を覆った。
「……強っ。」
華澄がぽつりと漏らす。
私は桃那の背中を目で追いながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
ただの自信家というわけじゃない――もっと奥底に、“何か”が隠れているような不穏な気配。
「……やっぱり。」
歩実が目を細め、低く呟く。
「土だけじゃない。あの子、もう一つ何か……。」
私は何気なく桃那の足元へ視線を向けると、ほんの一瞬だけ――影がわずかに揺らめいた気がした。
そのまま、彼女は無言で窓の外を見つめ続け、まるで何事もなかったかのように静止している。
妙な静けさが場を支配する中――
「へっ、へっ……へっぐしゅん!」
突然、彼女のくしゃみが響き渡った。思わず教室中が一斉に振り返る。
桃那は両鼻から見事なまでに透明な液体を2本垂らしていた。
一瞬ポカンとした顔をしたあと、慌ててハンカチを取り出し、そそくさと拭い、頬をわずかに赤らめながらちらりと周囲を見回した。
……妙な静寂が再び教室に降りる。
重たい空気と、笑いをこらえる微妙な空気が入り混じり、私は思わず吹き出しそうになった。
あれから数日、私たちは次々に新しい訓練へと取り組んでいた。
治癒魔法の基礎、薬草の調合、簡単な商取引のシミュレーション、魔導書の解析――。
異世界で生き抜くための“生きる力”を、私たちは休む間もなく叩き込まれていった。
最初の訓練は治癒魔法の基礎。
教室は仮設の医療ルームのように改装され、私たちは包帯の巻き方やエネルギーの流し方を一から教わった。
「治癒は“やさしい気持ち”が基本だからね!」
講師はにこやかに言うが、魔力のコントロールは恐ろしく繊細で、私たちは何度もため息をついた。
「……瑞樹、見て、ちゃんと光ったよ!」
華澄が手を掲げ、かすかに青白い光が揺れている。
「すごい!」と私が声を上げると、彼女は得意げに笑顔を見せた――直後、エネルギーが暴発して机の包帯がボフッと黒焦げに。
「わっ、やりすぎた!」
「“やさしい気持ち”どこ行ったの……。」私は苦笑して言った。
歩実はといえば、無駄な動き一つなく、淡々と魔力を流し込んでいく。講師が目を見張るほどの滑らかさで、改めて「さすがだな」と私は感心した。
⸻
次の訓練は薬草の調合。
調合室に入ると、独特の青臭い匂いが立ち込め、所狭しと薬草が並んでいる。見た目が似たものも多く、判別が本当に難しかった。
「これと……これ……?」
私は慎重に混ぜ合わせるが、ちょっとでも配分を間違えると、すぐに色が変わり焦げ臭い匂いが立ち込める。
「きゃっ、また変な色!」
華澄が青ざめ、彼女の小瓶は紫色の泡を吹いていた。
「冷静に。薬草は見た目じゃなく、手触りや匂いも重要。」
歩実は一切慌てず、きれいな琥珀色の薬液を作り上げていた。
ふと桃那に目を向けると、完璧な手つきで調合しているが……なぜか時折、ちらりと壁際の注意書きに視線を送っている。
(……何か、確認してる?)
そんな違和感が、頭の片隅に残った。
⸻
最後は魔導書の解析。
「無理無理、こんなの読める人いるの?」
華澄が項垂れ、私はそれを横目にページを必死でめくる。歩実は変わらず冷静で、黙々とノートを埋め続けていた。
桃那はというと、表情を変えずに読み込んでいたが――その指が一瞬止まり、影が微かに揺らいだように見えた。
「……見た?」
歩実がそっと目配せする。私はごくりと息を飲む。
「影……やっぱり……。」
私は心の奥で確信した。何かがある、と。
そんなある日、焼津先生が新しい張り紙を持って教室に入ってきた。
「さて、次は実践形式の試験よ。」
ざわざわと広がる緊張。
「今回の課題は――“旗取りゲーム”。」
旗取りゲーム? ぽかんとした私たちに、先生は説明を続ける。
「1対1で、フィールド内の旗を奪い合うシンプルなルール。ただし直接的な攻撃は禁止。魔法の使用は自由よ。」
私はトーナメント表に目をやった。
――やっぱり。
鵜久森桃那。
「マジでまた桃那さん!?」
華澄が目を見開き、私の肩を揺さぶる。
「……うん。」
私は無意識に桃那の方を見た。彼女は無言で表を眺めたあと、ちらりと私たちを一瞥する。その瞳は鋭い――でも、一瞬だけ口元がわずかに緩んだ。
(余裕……なの? それとも……。)
「どうする、瑞樹?」
華澄がそっと尋ねる。
私は深呼吸して、拳をぎゅっと握りしめた。
「やるしかない。今さら逃げられないし。」
(あの影の秘密も――見極めなきゃ。)
胸の奥に熱を宿しながら、私は桃那を見据えた。
桃那の得意な魔法は――土。
この間の訓練で見せた“あの崖”を作り出す力。
フィールド内に立つ旗を守るには、土の魔法は圧倒的な防御力を発揮するはず。
「土は……やっかいだね。」
歩実が低く呟く。
「正面から突破しようとしても無理だよね……。」
私はノートの余白に、思いつく限りの作戦を書き殴る。
土の壁、落とし穴、地形操作……桃那が何を仕掛けてくるか、予想するだけで手が止まらなくなる。
「でも、私たちは実践向きって評価されてる。だから……逃げずに立ち向かう。」
そう言いながら、私はもう一度深く息をついた。
桃那の横顔が、再び目に入る。
彼女は変わらず、無表情で窓の外を見つめていた――まるで、もう勝利を確信しているかのように。
(……負けたくない。)
心の中で、強くそう思った。
試合の日が、近づいている。
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