第4話
どうしてあたし、こんなことを……。
この前会ったばかりの男の人を、自宅に連れ込む、なんて……。
もちろん。サキュバス的な立場から言えば、「そういうこと」をするために男の人を誘うなんてよくあること。だけど……他の仲間は普通、「そういうとき」は自分の家を使わない。相手の家に行くとか、「そういうホテル」とかを使う……らしい。
基本的に、毎日違う人をとっかえひっかえするサキュバスだから、自宅がバレちゃうといろいろと問題があるんだそうだ。サキュ連――日本サキュバス組合連盟会――の福利厚生として、組合員は「そういうホテル」でサキュ割――サキュバス割引――が使えるから、お金もそんなにかからないし。
なのに。
あたしは今、守本紫門さんを、自分が本当に生活している部屋に呼んでしまっている。サキュバスの能力で相手好みの容姿にもなれるはずなのに、普段のあたしのまま、彼と接してしまっている。
最初は、通信教育の忍者講座で学んだ尾行技術とか隠密活動を駆使して、入念な下調べをして、絶対に失敗しないように完璧な作戦をたてようと思ってたのに。もっとゴージャスでムードがある、「初めて」にふさわしい場所に彼を連れて行って、「精力」を吸い取るつもりだったのに。
なのに……。気づいたら、彼をデートに誘う矢文を射ってしまっていた。
そのデートの途中で、いきなり彼を家に招待してしまっていた。
いくら、植木鉢から守ってくれたときにギュッと抱きしめられて……男の人にそんなことされたのが初めてで、つい気持ちが高ぶってしまったからって……無策すぎる! こんな、駆け引きなしの正攻法なんて、それこそピュアピュアなJCくらいでしか許されないよ!
……と、いうことで。
や、やるよ……? やっちゃうよ……? だ、だって……最初から、こうするつもりだったんだし……。
部屋のリビングに守本さんを待たせて、あたしはキッチンでお茶を用意していた。二つ並んだティーカップの隣には、白い粉薬。くノ一育成講座の「媚薬作成キット(動画解説付き)」で作った、あたし特製媚薬だ。
残念ながら、サキュバスのあたしが飲んでも効果はないけど……普通の人間には効果絶大。きっとどんな自制心の塊だって気持ちが抑えられなくなって飛びついてくるはず。
そう。たとえ、相手が全然魅力的じゃなくて、タイプじゃなかったとしても……。
あたしは、お茶の中に必要十分な量の媚薬を入れると、
「お、おまたせしましたー」
両手にカップを持って、どんでん返しの回転扉を肩で開けながら、リビングに戻った。
*
女々子の部屋は、どこにでもあるような2Kの安アパートだった。
茶を淹れるために、彼女が席を外している間。紫門はリビングとは別の、彼女が「ここは絶対に開けないでください!」と言って施錠していた部屋を、勝手に調べていた。
プライバシーを考えれば、とてもありえない行動だろう。だが、すでに他の殺し屋が部屋に忍び込んでいたり、何か危険な罠を仕掛けていないとも限らないので、仕方なかったのだ。
その部屋には、何に使うのか分からない道具――鉄製の手裏剣やクナイ、アニメの魔法少女が持っているようなコンパクトやステッキ、ハンディのマッサージ器――が、乱雑にしまわれていたが。結論としては……特に問題はないだろう。他の殺し屋たちも、まだ彼女の自宅までは突き止められていないようだ、と紫門は思った。
せっかくなので、彼女の好みや、趣味の一つでも知れればと思ったが……道具にあまりにも共通点や脈絡がなさすぎて、それは分からなかった。
……いや。
俺は、何を考えてるんだ? そんなことは、どうでもいいはずだ。
どうせ彼女は今日、俺に殺されるのだから。
舞咲女々子は、ただの殺しのターゲットに過ぎないのだから。
……そうだ。
たとえ、部屋の本棚に「肌色が多い男向け雑誌や映像ディスク」が大量に並んでいて、女々子に付き合っている男の存在を感じさせたとしても。そんなことは、俺には関係ないことだ。(付き合っている女の部屋に、自分が見るための「そういう」本や映像を置く男が、いるものだろうか?という疑問はあるが……)
紫門がそんなことを考えていると。
「お、おまたせしましたー」
珍しい形の回転扉をあけて、キッチンから女々子が戻ってきた。
変わった女だ、とは思う。
だが、今まで殺してきた相手――若い女の生き血のほうが自分の口に合うらしく、そういう相手が多かった――と比べて、そこまで何か大きく違うところがあるとは思えない。何も、特別なことなんてない……はずなのに。
しかしなぜか、無性に気になってしまう。見ていると、心がざわついてしまう。
このまま殺しては、いけないような気がしてしまう……。
「ふぇっ⁉」
……しまった。
考え事をしていたせいで、彼女のことを凝視しすぎたようだ。
そのせいで、女々子の様子がおかしくなった。顔を赤らめて、心拍数もかなり上がっている。興奮しているようだ。
彼女は、ついさっき客人のために持ってきたはずの茶を、自分の分も含めて「二杯とも」一気に飲み干してしまった。人間は、恐怖を感じると喉が渇くらしい。もしかしたら、俺が殺し屋であることに気づかれてしまったのかもしれない。
もう、やるしかない……か。
立ち上がった紫門が、ゆっくりと女々子の方へ近づく。
「守本……さん……」
抵抗されると思ったが、特にそんなことはなかった。
むしろ、女々子は観念したように目を閉じて、紫門に唇を突き出すように顔を上に向けていた。結果として、首筋も、噛み付くのに丁度いい位置にさらけ出されている。
本当なら、ついこの前したばかりの「食事」を、今日もする必要なんてないのだが。どういうわけか、彼女に噛みつきたいという欲求が抑えられない。これは、人間たちが言う「別腹」、というやつだろうか?
いや……それどころか。
今の紫門は、「食事」とは全く関係ない、女々子の唇のほうが気になってしまっている。その、生命力あふれる柔らかそうなピンク色に噛み付く……いや、触れてみたいと思い始めている。
なんなんだ……これは……。
本当に俺は、どうしてしまったんだ……。
理解が出来ない自分の「初めての感情」に完全に混乱していた紫門は、ただ、心の中から突き動かされるように。ゆっくりと、自分の唇を彼女の唇に近づけていた。
吸血鬼とも、殺し屋とも、死神とも、関係なく。
根源的な、本能的な部分で……紫門には、今の女々子の気持ちが分かるような気がした。
彼女が今の自分と同じように、自分のことを求めてくれているということが、何の根拠もなく分かってしまっていた。
そして、それをとても喜ばしく感じていた。
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