付録
第18話 宗男がケンジと出会った頃のお話
それは俺たちが小学校2年生に上がって間もない頃だった。
「今日からみんなのお友達になるヒトミケンジ君です。みんな仲良くして下さいね!」
(男子)
「おい、あいつの名前、ヒトミなん? ケンジなん?」
「男なんやからヒトミってことはないんとちゃう?」
「いや、男のくせにヒトミちゃんだったりして」
(女子)
「きゃー、ハンサム! かっこいい!」
「うん、うん! かわいいよね! ヒトミちゃんって呼んじゃおう!」
教室がざわつく。
先生が黒板にチョークで『
「人見君はお母さんがこの町の役場に就職されることになって、この町に引っ越して来ました。人見君が住んでた街はとっても大きい街ですよ。みなさんはこの小さな田舎町しか知りませんが、都会の色んな話を人見君から聞いて下さい。人見君、色々みんなに教えてあげてね」
その転校生は困ったような複雑な顔をして苦笑した。先生はその子にみんなが話掛けやすいようにと気を使ったのかもしれないが、俺たちだって田舎者呼ばわりされては面白いはずはない。
その日の昼休み。給食の配膳のときちょっとした事件が起きた。配膳当番の女の子がその転校生に給食を乗せたトレイを渡す際、 「はい、ヒトミちゃん!」と言ってにっこりと微笑んだ。
「ちょっとー」 隣の女の子がくすくす笑いながら「ヒトミちゃん」って言った子のわき腹を肘でつつく。言われた当人は苦笑いを浮かべてトレイを受け取った。
それを見て俺はすごく嫌な感じがした。悪気はないんだろう。でも悪気が無ければいいってもんじゃない。案の定、その言葉に悪ガキが食いつく。
「いやーん! ヒトミちゃーん! かわいいっ! 俺、抱き締めちゃう!」
そう言うとその悪ガキは本当に後ろからその転校生に抱き着いた。転校生の手からトレイが離れて床に落ちた。ガチャンという音がして食器が散乱する。
「あ……」 配膳係の女の子が息を飲む。
こいつ目に涙をいっぱい溜めてるくせに唇をかみしめて絶対泣かないんだな。目が大きくて整った顔が女みたいだ。だからヒトミちゃんなんて
「いてっ! なんやソウちゃん、何するんや!」
「やめんか! 先生がゆうたやろ。こいつの上の名前はヒトミ、下の名前はケンジ。お前の首の上に乗っかってんのはスイカか! このトンキチ!」
「トンキチって言うな! 俺の名前は
「お前かて、トンキチって言われたら腹立つやろうが。こいつかておんなじやぞ!」
「あ、う……ん」
俺は俯いて突っ立っている転校生に話し掛けた。
「おい、お前。前の学校では何て呼ばれてたんや?」
その転校生はちょっと考えて、
「ケンちゃん、って呼ばれてた」そう答えた。
「そうか。ほな俺らもケンちゃんって呼ぶ。ええか! こいつはケンちゃんや。これからヒトミちゃんなんて呼んだらぶん殴るぞ!」
俺はクラス中を見回して睨みつけた。俺は同い年の子の中では体が大きくて顔も怖かったから番長のような存在でクラスで俺に逆らう奴なんていなかった。
「ケンジ、俺は
「ソウちゃん」
「おお」
「ソウちゃんは何でおれのことケンジって呼ぶん?」
「なんでって、お前はケンジやろ? ヒトミちゃんの方がええんか?」
「違う! みんなはケンちゃんて呼ぶのに…… 俺をケンジって呼ぶんは母さんだけやし」
「ほなこれからはお前をケンジって呼ぶんはお前の母さんと俺だけや」
「でも……」
「嫌か?」
「別に、嫌じゃない、けど……」
俺はこいつを守ってやるって決めた。この俺が特別に守ってやるんだから呼び方だってみんなと違う呼び方しないとおかしいだろ? なんて訳の分かったような分からないような理由をこじつけた。ケンちゃんなんて呼び方ではただの友達みたいだ。ケンジって呼んだ方がもっと近い感じがする。
クラスメイトとして過ごすようになるとケンジは勉強も運動もできることが分かった。だからすぐにみんなに溶け込んだ。でも引っ込み思案なところがあって放っておいたらすぐ人の輪からはみ出てしまうから俺が手を引いて輪の中へ連れ戻してやらないといけない。
このあたりは畑や田んぼが広がっていて山裾に沿ってきれいな川が流れている。夏ともなると俺たちは1日中川で泳いだり魚を取ったりして過ごす。兼業農家が多くておれの家もそうだった。
ケンジが俺の家に遊びに来るようになると俺の両親はケンジをいたく気に入って帰り際には抱えきれないくらいの野菜を持って帰らせようとするから俺が半分持ってケンジの家まで送っていくことになる。そこで俺はケンジのお母さんに会った。目が大きくてかわいらしい印象のお母さんだった。大人の人にかわいらしいなんて言ったら失礼かもしれないがケンジってお母さん似だなって思った。俺の
お母さんが休みの日曜や祝日、ケンジは俺たちとは遊ばない。ずっと家に居てお母さんの手伝いをするらしい。
「母さんは大丈夫だから遊んで来いって言うんだけど休みの日くらい一緒にいてあげたいじゃん?」
そんなことを言うケンジが俺はいじらしくてたまらなかった。もし俺が母さんに同じことを言ったらきっと鼻を吹くだろう。そして「家に居てもじゃまだから遊びに行ってこい!」って言うだろう。親子って色々だなあって思った。
その頃のケンジへの俺の気持ちは弟みたいなものって思ってたんだ。でもケンジが他の奴と仲良くしているのを見るとムカつくから弟とはちょっと違うのかなとも思った。
俺はよくケンジを町で唯一のバイクショップに連れて行って店に並んだバイクを端から順番に解説したものだ。そんな俺たちを見つけて店主の川崎さんが声を掛けて来る。
「ソウ、また来たんか。お前ほんとにバイクが好きやな」
「カワさん。俺18になったら免許取ってこの店で一番大きいバイク買うぜ!」
「お前まだ小2やろが。18ゆうたら高3やぞ。まだまだ先やのー」
「ちぇっ! ねえ、カワさんのバイク見せてもらっていい?」
「おお、ええぞ。裏に停めてある」
「あの人、カワさん、川崎さんって言うんじゃけどバイクはホンダなんだよな」
「ふーん。これなんてバイク?」
「ホンダCB1000スーパーフォア。排気量1000ccの大型バイクや。4ストロークで水冷4気筒」
「はいきりょう? 4ストローク? すいれい? 4きとう?」
「おい、この子の頭に『?』マークが飛び交っとるぞ!」
俺はバイクのエンジンの仕組みの説明を始めた。
「排気量って言うのはエンジンのシリンダーの容量のことで大きいほど馬力が強いんじゃ」
「シリンダー?って何?」
「シリンダーって言うんはこういう円筒形の筒でその中をピストンが上下して吸気・圧縮・燃焼・排気の4工程で1サイクルなのが4ストロークってことで、その燃焼で発生するパワーがクランクシャフトに伝わってチェーンで繋がった後輪を回して……(云々)」
「こんな話、退屈じゃないか?」
「ううん、ソウちゃんが好きなことは俺も知りたいと思うし。でも正直何言ってるのかよく分からない……」
俺はその言葉を聞いたとき自分の気持ちがはっきりと分かった。俺はケンジが好きだ。ずっと
「俺、いつかこんなでっかいバイクに乗るのが夢なんじゃ!」
「ふーん、かっこいいじゃん! じゃあ俺、ソウちゃんの運転するバイクの後ろに乗りたい!」
「おお、ええぞ。乗せちゃる!」
「ほんと!? 約束だよ!」
俺たちはお互いの右手の小指を絡めて声を揃えた。
「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本飲ーます。指切った!」
そんな俺たちをカワさんは微笑んで見ていた。
終わり
***
最後までお読みいただきありがとうございます。
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