第4話 風を裂くもの
朝、霧は晴れているものの、空は鈍く曇っていた。
鈍く重い空気が村を包んでいる。
遠くから鶏の声が聞こえ、時折犬の吠える音も聞こえてくる。
炭焼き小屋の裏手。
男は今日も薪を割っている。
斧を振るう腕は無駄な力みはなく、切れ長の目は感情を写していない。
冷たい風が灰色の外套を揺らす。
ほんの少しだけ、焦げた鉄の匂いが混ざった風に、男は目を細めた。
(……風が、変わったか…)
村人の声が風に乗って耳に届いた。
「今朝、山の獣がいなかった…」
「柵が壊されてたんだ……」
「獣か?」
「いや……それにしてはちょっと変だった」
村人たちは、炭焼き小屋を避けるように歩いている。ひそひそと声を潜めているが、男の耳はその話を拾っていた。
(来てるな、何かが……)
男は心の中で呟くと、森の奥を睨んだ。
その目はわずかに細められている。
斧の手を止め、肩に担ぐと男は歩き出した。
方向は、森のほうだった。
それを見ている村人はいなかった。
森に入ると、獣の声だけでなく、鳥の声もなく、森は静まり返っていた。
森の奥で男は足を止めた。
踏み倒された草、浅く沈んだ足跡──
男は片膝をつくと、それを指でなぞる。
浅く沈んだ足跡は、片方に重心が偏っていた。
足に何かしら怪我を負っているのか、装備の偏りなのか。
男は指先を止めると、眉をひそめた。
──癖の強い歩き方。
重心のブレと、妙に荒れた踏み方。
そして、どこか抜けた間。
(……チッ。足跡だけで顔が浮かぶ)
静かな森の空気の中、
頭の奥でかすれた声が蘇る。
──『おい隊長、もうちょい人間っぽく喋れって……怖ぇよ、マジで』
火薬と土埃が混じった空気の中。
あいつだけが、いつも笑っていた。
──『指示くれんのは助かるけどよ、せめてもうちょい人間っぽい声で頼むわ』
(……うるせぇよ)
(脳天気な野郎だ)
(けど──背中だけは絶対ぇ抜かねぇ奴だった)
男はふっと肩で息を吐いた。
(……変わってねぇな、お前)
立ち上がると、目を細めて森の奥を睨んだ。
風が吹き、わずかに焦げた鉄の匂いが混じる。
(……来るのか、こんなとこまで)
男は山をおりて、小屋へ戻った。
斧をおろすと、小屋の奥に立てかけられた大剣を、じっと見つめる。
(……まだ、だ。けど──)
男は目を伏せると、椅子に腰を下ろした。
椅子の軋む音が小屋の中に響く。
だが、その背中はいつもより力が抜けていた。
ふっと息を吐くと、椅子に背を預ける。
(……お前は偵察に向いてねぇ)
(背中でバレバレだ、馬鹿が)
小屋の隙間から風が緩やかに吹き込んだ。
それは、まるで何かの気配を知らせるようだった。
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