第3話 宿敵ミュコーナとレーゼ
右肩を叩かれて、私は一度それを無視した。私の事を知っている人は今まで居なかったし、客引きの相手もする気が無かったから。
初めは驚いて身体が固まっていたけれど、続けて無視して目の前の果物を見ている様で見ていないままでいると、もう一度肩を叩かれる。
しつこいな。
「無視しないでレーゼニーニャ・リーンベルク。私の事を忘れてしまったの?」
名前を呼ばれたことに驚く。
フルネームを呼ばれて反応しない訳にはいかず、けれども聞き覚えのある声なんて一つも覚えていない私にしてみれば、困った事態だ。無難に対応してレーゼニーニャ・リーンベルク本人に迷惑はかけないようにしたい。
覗き込んでいた私は、ゆっくりと姿勢を直立に戻して、またゆっくりと振り向く。少しずつ明らかになるその姿を見て、何か思い出せないかと考えるけれども、やっぱり何にも思い出せない。
長髪のウェーブ。くるくるとねじれた髪束の先は雫の様に丸くなっている。凛として隠し味に幼さを残した様な少女。
結んだ右の髪の毛を根元から毛先に向かって撫でながら、どうしようかと考えていると、彼女は何処か機嫌よさそうに言う。
「髪、伸びたわね」
「うん……どのくらい伸びたかな?」
違和感を覚えたのか、彼女はぱちぱちと二度瞬きを二回した。うん、ぱちぱち、どのくらい伸びたかな、ぱちぱち、と。
「螺旋貝が大蛇になったくらい」
「螺旋貝か……」
ツインテールをくるくると巻いた私の髪をそう表現したのだろう。貝と呼ばれるのは気分が良いけれど、大蛇と言われると恐ろしい感じがして少し気になる。けれども、勝手に髪を切ったら怒られないかという思いが、私の手を止めていた。
私だったら、勝手に私の身体に入ってきた何かが髪を切り始めたら――怒るだろうか。
「どうしたの?」
「うーん……どうしたんだろうね」
お腹が減っていて、頭の半分はお腹が減ったとしか考えられていない。目の前の少女の相手など、どうでもいい感じになってくる。
とりあえずご飯ご飯。
「……」
「あー……ご飯だから特に用が無いなら、じゃ」
そう言って目線を戻し背中を見せると、彼女は横に割って入ってきて見ていた果物を一つ掴んだ。
「ああ、触ったら買わないと」
「買うのよ」
果物を掴んでいる手の親指と人差し指に、鉄貨が二枚つままれている。店主の方に差し出し、受け取ったのを見て私の顔面にその果物をぐいっと突き出してきた。
それを齧って受け取って、手で掴むと――
「何してるのよ」
噛んで飲み込んで――
「……っ……くれるんでしょ?」
「変になったのね」
「人は変わるもんだよ。三日もあればね」
「……とにかく――場所を移しましょ」
人通りが特に多くなる昼間だから、お互いの間に人は割り込んで来るし、それで押されて二人で話すにしてはおかしな距離になってきた。
火を使いたいから、私は右手を空に向かって伸ばして、街の外の丘の上を指差した。
「あっち。で」
奢られたのだから少し話はしないといけないだろう、という考えから仕方なくコミュニケーションを取る。嫌だけど。
人混みを掻き分けて、途中からその人の後ろを歩く感じになって、でも間に人が入ってきて、少女が後ろを向いて私を待ち、追いついて少しすると、漸く並んで歩けるほどになる。
「何か買わなくて良いの?」
「人間の市場じゃ高いのよ」
人の形に見えるけれど亜人かなと考え、私も亜人だけれどなと自分を人間扱いしていた事に気付いて考えを改める。
目の前の少女は角や翼は無い。だから、鬼やハーピーの様な種族ではないのだろう。耳も普通で、何も言われなければ人だ。服装も特に飾っている様子はなく、態度や心構えの様なものだけが違う気がするが、気にしなければ気にならない。
「人間の市場で買い物している私は馬鹿かな? はは」
「まるで別人ね。……レーゼ」
どきりと心拍数が上がり、背中が熱くなるのを感じるけれど、いつまでも隠し通せるとは思っていなかったから、此処まで驚く私に驚いた。
どき、どき、と音が鳴っている。
「はは」
「……」
これは、私が言い始めないと微妙な空気になりそうだ。
「えーっと……記憶喪失ってやつかな」
「へー」
お互いに次の一手を考える時間が必要だったのか、そこからは数分無言で、街の外に出て適当な所で焚火を始める。木の枝を折って集め、適当に山になるように枝を置き、火の魔術で何とかして火をつける。
生木だから全然燃え広がらない上に、煙が凄くて燻製をしている様だった。狼煙と勘違いされなければ良いけれど、と少し不安になる。
「何それ」
「きりたんぽ風スコーン」
スコーンと呼ぶには色々と材料が足りていないが、形としてはきりたんぽだろう。
果物を絞って果汁を口の中にキープ。残った果肉と小麦粉を混ぜて練り合わせて生地を作り、粉が多そうなら生地に口をつけて汁を補充。汚いと言われながらそれを枝に巻き付けて焼けば完成という訳だ。ポイントは粉多めだ。その方が量が増えるし、手に付いた生地のカスをしっかり本体の方に巻き込める。ただ、粉が多過ぎると枝に生地を巻き付ける時に生地の端同士がくっつかず、断面がO字にならずC字になって、焼いているときに火の中に落ちる事があるから注意だ。
使う果物と粉の水分を肌で感じながらその時々に合わせて作る。大匙一杯とかじゃ上手くいかない。感覚で作る。プロっぽくて、ちょっと料理人になった気分。
焼けるのを待っている間に、恐らく、どちらから話を始めようかと探り合いがあったと思う。お互いにお互いを見つめる瞬間があった。
「……」
「……」
「記憶喪失?」
「まあね。世の中の全てが新鮮で楽しいよ」
「そう」
大して気にかけていない様子だったから、良い機会だと訊きたいことを訊いてみる事にした。それは、私がここに来てから、レーゼニーニャ・リーンベルクになってから抱えていた疑問だ。
ずっと気になっていたけれど、誰も私の事を知らないから出来なかった質問。
「過去の私が何をしたか教えてくれない?」
その後の沈黙は、妙に長く感じた。先ほどよりも柔らかなどきどきが聞こえてくる。けれども、私のどきどきに反して、多分彼女は何処から話そうかと悩んでいただけに過ぎなかったのだと思う。
「あなたと私は敵同士だったのよ」
「あらあら」
戦闘だ。何てことになったら私は何も出来ずだろう。だって記憶喪失だから。
そうならなければ良いなと、何処か他人事のように考えている。自分で左右できないことだから、神に祈って後はお任せっていう諦めなのかもしれない。
そうなってくると、自然と態度が場に似合わず大きくなる。
「だった、ってことは今は違うのかな?」
「訂正するわ。あなたと私は敵同士よ」
殴り合いかな。と、やはり他人事のようにこのシーンを見つめていた。
「今、敵同士だったになった」
「……じゃあ友達って訳だ。今からね」
「友達? レーゼニーニャ・リーンベルクにそう言われる何て思ってもみなかった」
ちょっと攻め込み過ぎたかもしれない。顔が熱いし、背中に汗も感じる。
「へえ、私って根に持つタイプだったんだ?」
彼女はぴたりと止まって何か考えている様だった。数秒の間の後、先ず唇だけ動かして答える。
「そうよ」
そして、私を横目で見る。人を見定める様な、偉そうな目で、高貴って感じがする。
焼けたきりたんぽ風スコーンを口に運ぶ。生地の端が少しだけ焦げている。歯が熱い。歯型を残して少し冷ます。他のきりたんぽ風スコーンも焼けているだろうから、両手で合わせて四本持って食いしん坊みたいな格好になる。
なかなか会話が進まないのを見て、私の番かなと思いながら台詞を一つ進める。
「仲直りのきっかけは何かな?」
「記憶喪失」
「じゃあ、記憶喪失になって良かったことがまた一つ増えた訳だ。人生捉え方一つでハッピーって言うし」
「知らないわ。そんな言葉」
「どこかの偉人がそう言った風にした方がありがたみが出るでしょ?」
「あなたの格言?」
「うん」
「……演技なのか本気なのか」
彼女は右手に拳を作って、それを頬に当てて考えるような恰好をした。
「レーゼニーニャ・リーンベルク。あなたは伝説の螺旋貝のエルフ。」
「強かったんだ?」
「は?」
思ってもみない反応に、あれ、と戸惑う。伝説と言われたら強いってことじゃないのかと、何度か考えてみて、いややっぱり強いと気付いて、聞き間違いかなと思う。
「伝説でしょ?」
「……よく分からないわ」
「いや、伝説って強いから伝説ってことじゃない?」
何言っているんだという感じで細い目で私を見つめてくる。伝説は……やっぱり強い筈だ。と同じ結論が頭の中から出てくる。
「まあ、考えようによっては強かったわね」
「ふーん」
「ふーんって何よ」
「ふーんは、ふーんってこと」
「ふーん」
すくっと少女は立ち上がる。スカートに付いた砂や枯草を手で払う。もう行ってしまうのだろう。話始めるまでは嫌だったけれど、今はもう少し話をしたい感じだ。
「忙しい感じ?」
「ええ。本当に記憶喪失なら分からないでしょうね。私、種族長だから」
「種族長とは?」
「はあ、演技だったら本当に面倒な女って感じ。人間と敵対する国家、亜人種族連合国の種族長。人間の国で言う王様。あなたが命じたのよ」
「命じた?」
「あなたが私に王様をやれって命じたの」
「あらあら。ごめんね」
「は? 二回もは? っていうことになると思ってもみなかったわ」
そう言って振り向いた彼女は笑っていた。多分、初めて見る自然な笑顔だ。
「だって、面倒でしょ? 自由に散歩も出来ない」
「馬鹿ね。王様だから何でもできるのよ」
歩き出す。
私の過去の事とか、名前とか、何処に住んでいるのかとか、訊きたいことはまだあった。でも、どれを訊くかなんてのは碌に考えられず、出てきたのは、一番訊きたかったことなのか、それとも頭の引き出しの一番上にあったことなのか、よく分からないことだった。
「……友達って言ったの怒ってない?」
「良いんじゃない。この世から敵が一人消えた方が楽でしょ」
「……」
どんどんと彼女は歩いていく。また会えれば良いなと思いながらも、次の偶然の出会いに期待して、名前も何処に住んでいるのかも訊かないことにした。
「まあ、そういう考え方もあるか」
お腹の事を思い出してきりたんぽ風スコーンに齧りつく。丁度良く冷めていて、一本食べ終わる頃には、もう何処に行ったか姿は見えなくなっていた。
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