まず……、
凝り固まった頭のツボにきく刺激が欲しかったり、
文学で脳天をぶん殴られたい人がいるなら、志草先生をフォローすべきだ。
この方の作品はいつも、凡人の想像を超えてくる。
今回もそうだ。
思えばちゃんとタグを読んでおけばよかったのだ……。
とある昔話からスタートするのだが、
早々に『現代、現代』が始まっても
物語は、昔話風の口調で進んでいく。設定はちゃんと現代である。
猿子という男が金にだらしなく、借金苦であるという話である。
そこで、昔話に出てきた山に登ってご利益をいただこうとしたところで……
……
という物語である。この先は言わないでおく。
知らないで読み進めていけば、きっとあなたもびっくりしてくれると思うから。
ご一読を!!
このシニカルなオチ。これぞSFと、皮肉めいた笑いがこみ上げます。
昔話などによくある話。「神様のような存在から金塊を与えられ、幸せに暮らしましたとさ」という。
そうした逸話と同じように、猿子猛(ましこ・たける)も享楽的な生活の果てに借金まみれになり、その果てで「金色に輝く人間」から金塊を与えられる。
それによって借金を返せてハッピーになれるはずが……。
果たして、「神様のようなもの」はなぜ人間に富を与えてくれるのか。どんな基準で、どんな目的で。
それは人間のためとか、徳を積んだ報いとか、そういうものとは限らない。「神様に見えるもの」が人間の信じる「善の存在」とは限らない。
最終的に「人間の信じる富とは何か」について考えさせられるオチでもあります。お金のために目をギラギラさせる人間は、「とある存在」の目にはどう映るか。
ちょっと、我が身を省みたくなる話でもありました。