act1:獣狩りの夜②
数分が経っただろうか。
使われなくなった、元保税倉庫の中は死体でいっぱいだった。
貿易品の代わりに死体を収める倉庫はまるで一つの共同墓地のようだ。倉庫として死んだら、次は棺桶。おあつらえ向きなのかもしれない。
ハイエナは死体の山の上を闊歩する。まるで踊るように。
そして、目的のものに向かってしゃがみ込んだ。
「生きているんだろう? 気づいているよ?」
しゃがみ込んで、一人の男の頬をナイフの側面でペチペチと叩いた。
その男は、地面に倒れ伏して、微動だにしない。
だが、ナイフが突き刺さっているようすはない。
「起き上がらないと、そうだな。この手の甲にナイフを突き立てようかな?」
ハイエナは男の手を取って、持っているナイフの先でツーと表面をなぞった後に、ナイフを勢いよく振り上げた。
そこで男はガバリと顔を上げた。
ハイエナの言う通り、死んだ振りだったのらしい。
男は歯の根が合わないのかカチカチと音を鳴らしている。
怯えているのだろう。
「あら、起きちゃった。残念」
ハイエナは怯える男の姿がおかしいのか、クスクスと笑う。
そして、男の前に人差し指を一本立てて見せた。
「賢いね、戻ってくるナイフってことは地面に伏せてさえいれば、ナイフが地面にぶつかることはないから、生き残れる。よく看破できました!」
そして、そのまま人差し指で顔の輪郭をなぞるようツーっと男の顎のラインを撫で上げる。そして、そのままいきなりむんずと男の後ろ襟を掴んだ。
「ぎゃあ!」
「襟首掴んだだけじゃないか」
これにはたまらず男は喚いてジタバタと暴れるが、ハイエナは意に介さない。
そのまま、もがく男の後ろ襟を掴んだままズリズリと引きずって歩いて、終いにはハイエナは白コートの男の方へとその男を放った。
男は尻から地面に落ちて、また「ぎゃ!」と小さく悲鳴をあげた。
「弱点を見つけられたのに、嬉しそうですね」
白コートの男はやれやれといった感じで、漏らすもハイエナは相変わらずニコニコしたままだった。
「全く弱点にならない弱点だもの!」
「はぁ……」
多分、仮に本当の弱点とやらを見つけられても多分このハイエナはニコニコしているのだろうと白コートの男はため息を吐いた。
このハイエナの弱点を見つけたところで、その弱点を実際につける人間などどれだけいるのか。
当のハイエナは、男を放り投げたかと思えば、今度は怯える男の髪を引っ掴んで顔を上げさせて、鼻と鼻がくっつきそうなごく至近距離でニコニコと笑っている。けれど、その瞳は一切笑っていない。目が据わっていた。白コートの男は知っている。このハイエナ、普段はずっとニコニコとして目を細めているのに、人殺しをするときだけ常に目をかっぴらく。
ハイエナは強制的に男に目を合わさせていた。
男はブルブルと震えるばかりで、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
ハイエナはそんな男に問いかける。
「君はあれだろ? 伏せれば大丈夫って気づいたのに周りに教えてあげなかったんだね! 伏せながら銃を撃つこともできたのに、それをしないで、死んだふりしてやり過ごしたかったんだよね! うん? 別に責めてないさ。君が銃を撃とうとしたら今の今まで見逃してあげなかったから、君の判断は正しかったよ?」
男は途中から「違う!」とでも言いたげに必死にイヤイヤと頭を振ったが、その仕草はハイエナを愉しませるだけだった。
「分かっているよ」とでも言いたげに、ハイエナは笑みを深めるばかりだ。
見兼ねて、白コートの男は口を出す。
「死んだ振り、ずっと気づいてたんですか?」
「うん? 当然じゃない? だって戻って来るナイフの数と死体の数が合わないもん! 一本一殺だからね!」
どうやら、そういうことらしい。
明るい調子で言いながら、ハイエナは男の髪を掴んでいた手を離した。
解放された男は地べたに崩れ落ちながら、洗い呼吸を繰り返していた。極度の緊張から過呼吸になりかけているようだ。
「さて、幸運にも気づきを得て生き残った君には──」
「不幸にもの間違いだと思いますが」
白コートの男はこの先の展開を知っているので、堪らずツッコンだ。生真面目な性格なのだ。
「おや、アルフレッド。それは見解の相違というやつだね」
まるで世間話をしているかのような二人に、男もたまらず叫び声を上げた。
「お、お前ら、なんの話をしてるんだよぉ!」
これから自分がどうなってしまうのか、気が気でなかったのだろう。
ご愁傷さま。
白コートの男──アルフレッドと呼ばれた男は、内心、男に向けて祈りを捧げた。この先の末路を想って。
そんなアルフレッドの胸中などいざ知らず、ハイエナは絶望を告げる。
「うん? これから君にどうやって死んでもらおうかの話だよ?」
「死……っ!?」
男は言葉を喉に詰まらせた。
それを回避したいがために仲間を見捨てたのに、結局、この男も死ぬのだ。
アルフレッドは口を挟んだ。
「ゲオルグ……、あまり見苦しくないようにしてくださいね」
それはあくまで殺し方の話。男にとって救いのある話ではなかった。
けれど、ゲオルグと呼ばれたハイエナは口を尖らせた。
「んー? 悪人は俺の好きにしていいんだろう? 教会も一人は徹底的に見せしめに痛めつけろって」
「それはそうですが」
「ふざけるなよ、なに、そんな世間話するみたいに、お、俺を殺す話して……っ! そうだ、あんた神父だろ!? 助けてくれよ!」
またも世間話のように軽いノリで話をし出す二人に憤りながら、男はまだ話が通じそうなアルフレッドに縋るように助けを求める。
「だって、審問官どの」
ハイエナは面白がって、アルフレッドが神父ではないことを強調しながら話を促した。
審問官──アルフレッドは、一度、ため息を漏らしながらそれに応えた。
「……まず、私は神父ではなく、異端審問官です。そして、教会は貴方たち組織的犯罪者を人として認識することをやめ、獣として処理することに決めました。私どもがゲオルグ──【スカベンジャー】に頼んで貴方たちを殺させてるということです。私は異端審問官として監督しているだけ。ですから、私に命乞いをしても無駄ですよ」
「だって、さ」
けれど、男には腑に落ちないところがある。
「ま、待てよ。俺たちは人じゃねえってのか!?」
それはあんまりな物言いだった。
人を人ではなく獣として処理する、なんて。神を信奉する教会が言い出している。そんなことあっていいのか。
「どうなの? アルフレッド」
「……貴方たちは市民を無惨にも惨殺することを幾度となく繰り返してきましたね。ですから、私個人としても貴方たちを同じ人間だとは思えません」
アルフレッドはキッパリと言った。
そう、何も、教会も理由もなく、人を獣として処理すると決めたわけではないのだ。
この街の無辜の人々が、それを求めた。
この街は海に近く貿易が盛んな街なのだが……、それもあってマフィアやギャングが、密輸というビジネスをしにやってくるのだ。
そして、度々市民がその毒牙にかかり、命が奪われることが続いた。
人を大した理由もなく殺して回る悪人など人ではない、と。そして、教会はそれに応えたに過ぎない。
神の裁きを、法の下に執行せよ。
そう、これはこの国において正式な手続きが踏まれた上でのことだった。コンセンサスは取れている。
「…………」
見るからに善良そうなアルフレッドにまで、救いを拒まれて、男はもう言葉もないようだった。絶望した顔ですっかり青ざめている。
「というわけだから、じゃあ、ドッキドキのお楽しみタイムに移ろうか!」
「お楽しみタイム……?」
「はぁ」
男は何が起きるのか分からないといった顔を浮かべ、アルフレッドはため息を漏らした。
お楽しみなのは、ゲオルグだけだ。
「そうだなぁ、じゃあ、あそこにおあつらえ向きにガラスの破片がたくさん散らばってるね。あそこで裸足でタップダンスしてよ」
言いながら、ゲオルグは倉庫のある一帯を指し示す。
酒宴の途中で放置された酒瓶が流れ弾に当たったのか、粉々になってガラス片が散らばり、コンテナの上に置かれたカンテラの光を受けて、キラキラ光り輝いている。
鋭利な断面を、その身に誇りながら。
「んなことしたら……」
男は絶句した。そんなの想像するまでもない。
「足がズタズタになるだろうね。でも、俺が満足したら逃がしてあげてもいいよ」
「っ、ふざけんな! ぜってぇやらねえからな!」
何が悲しくて、自ら体を痛めつけることやると言うのか。
男は恐怖に怯えながらも、怒り、拒絶した。
けれど、アルフレッドは首を横に振った。
「いえ、やった方がいいかと」
「は?」
男は、やった方がいい? なに言ってんだコイツという顔をした。
その訳はすぐに分かった。
「やってくれないの? やってくれないなら、そうだなあ。君の関節を全部反対に曲がるようにしようかな。関節ってね、反対に曲げるとパキョッって小気味のいい音がするんだ。それで人間の関節っていくつあるか知ってる? 大体ね────」
ゲオルグが、より嬉しそうにぺちゃくちゃと早口で異様なことを喋り出す。早口で捲し立てるものだから、頭に入らなかったが、とても嫌なことを嬉々として語っていることだけは分かった。
アルフレッドは肩をすくめて見せた。
「だそうなので、万が一にも足の裏を犠牲にするだけで生き残れる可能性がある方に賭けてみた方がいいと思います」
「…………」
そして、アルフレッドは絶句してしまった男に再度勧める。あくまで、善意で。
「──でね。あれ? 聞いてる?」
自分を除け者にして、アルフレッドと男が話してるものだから、ゲオルグは片眉を上げながら首を傾げた。
狂ったハイエナを怒らせては、どうなるものかわかったものではない。
男は焦った。
「わかった! わかったよ! やればいいんだろ!」
「え、やってくれるのかい? 嬉しいなあ」
ゲオルグは本当に嬉しそうにニコニコしながら、そうと決まればと早速男を立ち上がらせて、無理矢理にでも歩かせた。
一歩、一歩、男は自身の処刑場へと近づいていくごとに、その身を縮みあがらせる他にない。
「さ、頑張ってね。素敵な踊りを期待しているよ」
ナイフをばら撒く前に言っていたのと同じセリフを吐きながら。ゲオルグは震える男の背を優しく押して、前に送り出した。
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