ハイエナさんが通る!
世鷹 逸造
act1:獣狩りの夜①
今宵、獣狩りの夜が行われる。
今夜の舞台は、倉庫街。
倉庫という建物は大抵、侵入者を拒むように高い位置に窓がある。そういった建物が建ち並んでいた。少し遠くで海のせせらぎが聞こえる。
ベイエリアに近いのだろう。倉庫は運搬に便利なところに作るものだ。
その一端に、使われなくなった保税倉庫がある。
保税倉庫というのは、貿易の際に輸入した商品を一旦税金をかけずに保留させて置いておくための倉庫だ。
つまりは、貿易のための倉庫で。本来なら、貿易と税、つまり国が関与するため他の倉庫よりも、作りがしっかりしている。
本来なら。
老朽化が進み、建て直しが迫られているその保税倉庫は、なぜか放置されていた。所有者が管理を怠る。よくある話だ。
そして、放置された建物というのはある種の人間にとって都合が良かった。そこで好き放題しても咎められない。
そういった使われなくなった倉庫に屯する連中というのは、大抵碌なものじゃない。
どういう奴らかと言えば、あり大抵に言ってしまえば、密輸人。それもこの街においてはマフィアのドラッグの密売人たちだった。
倉庫の中で、ガヤガヤと外に漏れ出すほど何やら中で騒いでいる。
放置されていることをいいことに、酒宴でもしているのだろうか。
そして、そんな反社会的な人間たちが屯している倉庫の前で、二人の男が佇んでいる。
一人は白いロングコートの真ん中分けの金髪の男だ、まだ若い。柔和そうな顔つきをして、胸元に十字架のペンダントをしている。それは、この街では聖職者の符号だった。けれど、その背には聖職者には似つかわしくない大きな十文字の槍を背負っている。
もう一人はハイエナの男だった。獣人だ。隣の白コートの男とは対照的に黒い外套を身に纏っている。そして、そのハイエナは何が楽しいのか張り付いたような笑みを浮かべ、目なんて糸のように細い。
「準備はいいですか?」
「もちろん♪」
ハイエナはまるで語尾に音符マークがついているかの如く、上機嫌に受け答えした。
そして、役者が段幕を押し開けるような芝居がかった動きで、マフィアたちが屯するもう使われていない倉庫へと歩を進めた。その手にはナイフ。
金属製の巻き上げ式扉──現代でいうところのシャッターの原型となったものを前にして、ハイエナは無造作に腕を振るった。
一閃。
それだけで、金属の扉が八つ裂きに破壊された。金属の板をまるで紙を千切るように切り裂いて、ハイエナは悠然と歩いていく。
倉庫の中は、コンテナの上にカンテラが置かれて、中にはあちこちに酒瓶が転がっている。
だが、本来保税倉庫にあるような貿易品に類するようなものは一つも見当たらなかった。
倉庫にあるような備品棚もない。コンテナがある以外だだっ広いだけの空間だ。
突然の侵入者に倉庫にいた者達は騒然としていた。
「何者だ、テメェ!!」
男の一人が怒鳴り声を上げる。当然だろう、せっかく密輸品の番をしながら酒宴に盛っていたというのに、それを水差されたのだ。
けれど、マフィアの男達のまた別の一人がハイエナの姿を見て、震える声でポツリと呟いた。
「す、【スカベンジャー】……」
「おや、お見知りおきしてもらえているようだ。光栄だね」
どうやらハイエナの男のことを知っている者がいたようで。
威勢よくハイエナに怒鳴り声を上げた男が、そのまま問い詰める。
「おい、【スカベンジャー】ってなんだ!」
「知らねえのかよ! ハイエナでいつも笑ってるイかれた快楽殺人鬼だよ! この国の霧の都で何人どころじゃない、何十、下手したら一人で何百も殺してる!」
「何でそんな奴が、こんな所に──」
その疑問には、ハイエナ自身が答えた。
「快楽殺人鬼がやることなんて、一つだと思わないかい?」
ハイエナは、ニコリと微笑んだ。そして、先ほどまで糸のように細かった目をかっ開き、獲物達から視線を外さないまま後ろの白コートの男に問いかける。
「もうやっていいかな?」
「どうぞ」
許可が降りた。ハイエナの後ろの白コートの男は、ハイエナのお目付役だった。
けれど、マフィアの男達も黙ってやられるわけにはいかない。各々が得物を取り出した。ほとんどが拳銃だ。
それを見て、ハイエナはキョトンとした顔をしてから、クスリと笑う。
「銃でナイフに勝てるわけないじゃないか」
そして、ナイフを投げつけた。
回転するナイフが、怒鳴りつけた男の顔に向かって飛んでいく。
「は? 逆だろ? ナイフで銃に勝てるわけがねぇんだよ」
ナイフを投げつけられた男は首を傾けるだけでサッとそのナイフを避けて、せせら笑う。それに釣られて周りのマフィアの男達もドッと嘲笑の声を上げた。
普通に考えればそうだ。
普通なら。
だが、目の前のハイエナは多くの人間を殺した快楽殺人鬼なのだ。
「だって君たちの銃は等直線上の的を一方通行でしかねらえないだろう?」
ハイエナは一度そこで言葉を切って、切に重ねた。
「私のナイフはね、戻ってくるよ?」
ハイエナはニコリと笑う。その視線の先、男達の後ろで投げられたナイフがクンとその軌道を変えた。
「うがっ」
そして、ナイフを一番最初にせせら笑った男の後頭部にナイフが突き刺さる。
男は白目を剥いて、地面にバタンと前から倒れ伏した。
絶命していた。まずは一人。
「前だけ警戒すんじゃあ、ダメだよ。後頭部がガラ空きじゃあね」
そして、ハイエナはニコリと笑う。どこから取り出したのか、その手には沢山のナイフが扇状に広げられて掴まれていた。
「さ、私のナイフを避け続けてごらん? 素敵なダンスを期待してるよ」
そして、ハイエナはナイフをばら撒いた。
阿鼻叫喚だ。ハイエナの元へと戻っていく宙を舞うナイフ群を避けるので皆精一杯だ。
だが、そんな中でも果敢にハイエナに攻撃を仕掛ける者たちもいた。拳銃を構え、乱射する。
だが──、
「わかっちゃうんだよね。君達の目を見れば、どこを狙っているのか」
銃声の度に、ハイエナが無造作に腕を振るい返事をするかのようにキン! と甲高い金属音がして、ハイエナの体を貫くはずだった銃弾が空で何かに弾かれるようにして、ハイエナ目前で床にポトリポトリと落ちていく。
ハイエナは、銃撃をナイフでいなしていた。その間ももう片方の腕でナイフを回収し再度投げる。
そして、乱射が終わり、皆一斉に弾切れになる頃、ハイエナは口を開いた。
「気は済んだかい? なら、そろそろ打ち返しちゃおうかな」
「は?」
いち早くリロードを終え、再度拳銃を構え、引き金を引いた一人の男が、そういうや否や。その額に穴が空いた。
これで二人目。
何が起きたか分からないマフィアの男達にハイエナは告げる。
「俺、銃弾を弾くだけじゃなくて、跳弾させて狙ったところにそのまま打ち返せるんだよね」
なんてことはないように、ただ事実をそのまま口にする。
正真正銘の化け物がそこにいた。
「うぉおおおおおおおおお!!」
銃が効かないと見るや否や、一人の男が果敢に肉弾戦を試みる。
けれど、無謀な試みであった。
確かに体格は男の方がハイエナよりも大きい。ハイエナは痩躯で体格が人より優れているわけではなかった。
けれど、銃弾をナイフで弾いて狙ったところに打ち返せるような化け物が肉弾戦で弱いはずもないのだ。
突っ込んできた男の拳をいなしながらそのまま腕を引っ張り、肘の腱へ目掛けてナイフを振り下ろし、腕を断ち切る。そして痛みに悶え前に倒れようとした男のその背中に、二度サクサクとナイフを突き立て蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた男の体が地面に着地する頃には、男は死んでいた。
これで、三人目。
ハイエナは、返り血も浴びぬままに、複数の暴漢の命を刈り取った。
どよめきが広がる。特に抵抗することもできないまま、仲間がもう三人もやられたのだ。それもしょうがないだろうか。
だが、そうしていては。
音もなく、投げられていたナイフが、後ろから男たちを襲った。
四、五、六。死体が無駄に増えた。
それからも幾重ものナイフが空間を縦横無尽に飛び交い、その凶刃に命は散っていく。
銃もダメ、肉弾戦もダメ。男たちには、もうどうすることもできなかった。
その様を後ろで静観していた白コートの男は、ハイエナに声をかけた。
「……どうやってるんです」
単純に気になったのだ。
戻ってくる刃の、その原理が。
ハイエナは戦闘中だと言うのに、呑気に話題を振られるも顔色ひとつ変えずに受け答えする。
まるで二人にとっては、日常の中にいるように。
もしくは、戦闘こそが二人の日常なのかも知れなかった。
「うん? ブーメランならある程度慣れれば誰だって手元に戻ってくるように投げられるだろう? なら、俺なら手元にナイフが返ってくるように投げるなんて造作もないよ?」
確かに、ハイエナが投げているナイフは三日月型でまるでブーメランのようにも見えなくもない。実際ハイエナが投げると回転しながら旋回して戻ってくる、またはその途中で標的に突き刺さる。
とは言え、だ。
「ほぼ刃の戻ってくる回転するナイフを幾つも幾つも投げて、その全てを怪我せず掴めるのは貴方ぐらいなものだと思いますが」
「投げるのが俺で、俺ができるなら問題ないと思わないかい?」
事もなげに自信満々に言われてしまうと、妙な納得感がある。
白コートの男が頷きかけた、その時だった。
「……確かに──っ」
背後から音もなく飛んできたナイフを白コートの男は、すんでの所で咄嗟に背に背負った槍を抜き放ち、叩き落とした。
もう少しのところで、ハイエナを監視する白コートの男に致命傷を負わせるはずだったナイフが、地面に叩きつけられて、ゲィンと金属音を鳴らす。
「お、ちゃんと弾けたね」
ハイエナは感心感心とでもいうように、手を叩いてみせる。仲間を殺しかけたと言うのに、まるで他人事だ。
白コートの男もこれには流石に眉を顰めた。
「……俺のこと狙ったんですか?」
「さぁ、どうだろう? でも、これぐらい弾けないと俺の監督は務まらないんじゃない?」
ハイエナは悪びれない。
白コートの男は怒ってもいいはずだった。
なにせ、殺されかけたのだから。けれど、白コートの男は怒ることはせず、逆に納得するように頷いた。
元より、自分はこのハイエナを監督するためにここにいるのだ。であるならば、刃向かわれたところでそれは監督の範囲内。それで死ぬならそれまでだし、そうなったならこのハイエナを御し得なかった自分が未熟であるからに他ならない。
「そう、ですね。俺のことは気にせず、殲滅を」
「ふふっ、りょーかい」
ハイエナは、白コートの男が存外好きなようだった。
自分の仕事の邪魔をしない。ハイエナの話に真面目に耳を傾けてくれるのは、この生真面目な白コートの男ぐらいなもので。他の監督官はすぐに食い破ってしまったが、この男ならば、ハイエナは仕事の隣に居させてやってもいいと思っているのらしく、白コートの男は今もなお殺されずに済んでいる。
殲滅は上機嫌につつがなく行われた。
戻ってくるナイフに気を取られていた男達は、ハイエナが追加で投げ始めた、ただ真っ直ぐに飛ぶ目に追えない速度で投げられるナイフに命を刈り取られていく。わざとゆっくりに投げられた戻ってくるナイフ群は、目を引くためだけのただのデコイだ。
「ふっふふふ〜ん♪」「ぎゃっ」「嫌だ、死にたくな──」
鼻歌に悲鳴が混じる。悲鳴をバックコーラスにした一人舞台は少しの間続いた。
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