お母さんの花刺繍 最新

長月いずれ

第1話

未明。建て付けが悪い裏扉の鍵を、右手の懐中電灯で照らしながら、左手の錆びた刺繍針で器用に開けた。古いせいで歪みがある裏扉は、開けるときにギイっと嫌な音がして、抜け出そうとしていることが誰かにバレるんじゃないかと少し焦った。

何事もなかったかのように扉を閉め、外から鍵を閉めなおす。無事に外に出ると、すぐにあぜ道がある。あぜ道は河川敷に続いていて、私は、ローファーを履いた足で、まだ暗いでこぼこのその道を、懐中電灯を頼りに歩きながらタンポポを探した。

タンポポ探しというと、ほのぼのとした響きがするけれど、そうじゃない。私は必死だった。茶トラの野良猫が横切っても、風と一緒に九官鳥が羽ばたいても、よそ見せずにひたすら血眼になって進む。少しの油断も許されない。

でこぼこの道に足がとられるのも構わずに必死に探していると、川の近くの草むらでやっと、タンポポが見つかった。私はそこにしゃがみこみ、今日こそは私と同じように、タンポポを探しているはずのお母さんが、私を見つけて迎えにきてくれる、という気持ちで目を閉じた。

満開のタンポポ畑を思い浮かべると、吹いてもないやさしい風を感じる。まるで、お母さんに包み込まれているような気分だ。私はお母さんを抱きしめ返して、愛していることをタンポポにのせて伝えた。

そんな幸福な妄想の後に襲ってくる空虚な気持ちに今度は涙を流す。だけどまた、やさしい風を感じる。

そんなことを繰り返しながら、小さな声でタンポポに話しかけていると、おじさんが来た。

「××さん、またこんなところに座っていたんですか」

ひょろりと背の高い、病院の職員のおじさんだ。

「お母さんを待っていたんです」

また病院から脱走したことを後ろめたい私は、職員に小さな声で告げた。

「お母さんは、ここへは来ませんよ。私たちも、警察も探していますから、今は病院へ戻りましょう」

 おじさんは怒った様子もなく、いつものことだという感じで淡々と告げると、私に傘を差しだした。いつのまにか、雨が降っていた。

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お母さんの花刺繍 最新 長月いずれ @natsuki0902

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