星のカクテル
色街アゲハ
星のカクテル
駅を降りて少し歩けば、始めに見た賑わいは、もう直ぐにでも途絶えて、所々に草茫々の空き地が目立つ様になる。時代に取り残されたトタン屋根の小屋が、眠たげな陽射しの中に打ち捨てられた様にその中に建っている。青や緑の塗料の剥げかけた屋根が、止まったまま動かない過去の日々の中に、見る者を誘おうとするかの様。
目前まで伸びる草に半ば隠れた扉の、その内側では、何時しか変わる事を拒むかの様に、かつて営まれていた生活の後を色濃く残した姿を封じ込めたまま、取り壊されるその時を、ただ無為に待ち続けている。
それなものだから、ふと気紛れにその中での世界に一寸したファンタジーを巡らしても、許されるのではないか、と一人勝手に思ってみる。とんがり帽子のお爺さんが望遠鏡片手に夜毎、罅割れた窓ガラスを開け放ち、今は失われて久しい神話の時代の星空の観測に余念がない。そんな想像が不意に浮かんで来る。周りでは、人目を忍び、コッソリとこの地へと降りて来た星々が、お爺さんを中心としてクルクルと廻っている。見る間に彼等は其の数を増して行き、ホウホウホウ! まるでその有様は安い造りのプラネタリウムの様。
暖かい陽の光に包まれて、ホンの目と鼻の先に都会的な佇まいを見せる駅前の喧騒の、ちょっと外れただけでまるで孤島の様にポカンと空いた、見る者を眠りの内に誘う、夢の住まう小さな隠れ家。もしかしたら、自分のこの夢見がちな性質は、案外こんな所に端を発しているのかも知れない。……いや違うかな? これは生まれつきのものだ。だからこそ、こんな他の人達ならそのまま見過ごす様なものにまで一々目を留めるんだろうな。取り留めも無くそんな事を考えていた。
それがある日の事、そんな、多分自分だけに馴染み深い、家とも小屋とも言い難い、何時崩れてもおかしくない建物の、帰りが遅くなり辺りのすっかり暗くなった、人気の引き払って物音一つ聞こえない刻限に、扉が開け放たれて、中から皓々と明かりが洩れて眩しい位の様子に、驚いて思わず立ち止まっていた。
入口には場違いな位の洒落た看板が立て掛けられて、其処には、「Bar Starlight」と、凝った飾り書体で書かれてある。バーだって? こんな場所で? ハテなと、首を捻りながらぼんやり看板を眺めていると、「オヤ、お客様ですか? いらっしゃいませ。」中から声が掛かる。
上手い遣り方だと思った。相手が考えるよりも前に既に客扱い。これで相手もその様に振る舞わなければ、何だか悪い様な気になって来る。半ば渋々ながらも店内に入り、腰を落ち着けなければならなくなるという寸法だ。この時の自分もそうだった。
「改めていらっしゃいませ。ご注文は如何なさいますか? ああ、いいえ、これは言い方を間違えました。どの星になさいますか? こう言わなければならないのでした。」
「星?」思わず鸚鵡返しに聞き返してしまう。店内を見回してみても、その言葉に該当するらしき物は見当たらない。如何にも据え置きと云った簡素なカウンターテーブルに椅子。向いには、バーを名乗るには余りに種類の少ない酒瓶の収められた棚。店と云うよりは屋台と云った方がしっくり来る様な、如何にも急拵えと言った佇まい。
その中で一際目に付くのが、カウンターに置かれた人の身体の半分程もありそうな大きな望遠鏡。空に向けて大きく開かれた側に対し、大してもう片側は、ボールペンの先位に小さく尖っている。その途中に恐らく観測用の、小さな筒が横から伸びている。
そんな物がテーブルに置かれている物だから、自然そちらに目が行ってしまう。星、と言われて、周りを見回した最後に目線の辿り着いた先がそれだった。
「はい、そうなんです。これで星の光を抽出する訳なんです。」
「星の、光を、抽出。」
「はい、それが当店の売りで御座いまして、」
言って、店主はテーブルにグラスを置く。
「これにベースとなるお酒を注ぎます。しかる後に、この抽出器を用いまして星の光をお酒に浸透させる。すると忽ち星の光のブレンドされたカクテルの出来上がり、と云う訳です。無論、口で言うほど簡単じゃあありません。そこはバーテンである私の腕の見せ所、と云う訳でして。」
「うん……、うん?」
正直話の内容が余りに突拍子も無くて、店主の言っている事の半分も頭に入って来なかった。ただでさえ仕事帰りの半分寝掛かったぼんやりした頭に、こんな内容の話。聞く端から言葉が頭を擦り抜けて行く。
「論より証拠。実践に勝る証明は御座いません。……と、その前に、ベースとなるお酒は如何なさいますか? と言っても今の所ラムかジンしかないのですが。どうにもまだ手探りの状態でして、星の光と親和性の高いお酒となると、まだこの二つしか見つかっておりませんで。」
普段から酒を嗜む習慣が無い為に、恥ずかしながら二つの違いなど全く分からない。
「すいませんが、その二つにはどういった違いが? 素人丸出しの質問で申し訳ないのですが。」
恥を忍んで問い掛けると、そこは流石に客商売。気にした様子もなく店主は問いに答えてくれる。
「はい、非常にざっくりとした答えになってしまいますが、ジンは柑橘の風味のすっきりとした味わい。片やラムの方は円やかな甘みを軸にした癖の無いお酒と云った所でしょうか。私としましては、どちらもお勧めでして、ここはお客様の好みで選んで頂くのが宜しいかと。何も難しく考える必要はありません。勘でこれだ、と選んで頂ければ。」
……どうしよう、何だかワクワクして来た。先も言ったが、自分は酒飲みの習慣が無い故に、今迄は馴染みが無かったが、映画やら小説やらでこう云ったお洒落なバーの会話に密かに憧れていた所があるので、今正に自分がその渦中にあると知って、高揚した気分になっても、それは無理からぬ話だと、そう思って欲しい。
「ジ……、ん~~~~~~~~~~~~~~~、ラムで!」
柑橘系の爽やかな口当たりと云うのにも心惹かれたが、やはり初心者と云う事で、癖の無い所から始めようと決めた。たったこれだけの事なのに、何だか頬が綻んでしまうのを感じていた。
「かしこまりました、ではラムで。さあ、ここからが本番ですよ。次にお客様にはお好きな星を選んで頂きます。ああ、これでは明るすぎて見えずらいので、失礼して明りを落とさせて頂きます。」
そう言って、手元のランプの形をした照明の摘まみを捻って明りを落とす店主。良いな、あれ欲しい。辺りが闇に包まれる。駅のどぎつい光の洪水も喧噪も此処まで届かない。列車の行き交う音や発着を知らせるアナウンスの声も遠く微かに。目が闇に慣れるにつれ、空には驚く程の数の星が現われて来て、それが端から端まで続いている事に空恐ろしさすら感じてしまう。けれども何時までも驚いていられない。そうだ、選ばなくちゃいけないんだった。
「それじゃあ、あの青い星が良いな。分かるかな、あの赤い星と対になってるやつ。」
「少々お待ちを……、」
言って店主は望遠鏡を覗き込み、
「はい、承りました。では抽出に掛かります。」
カチリと音を立てて望遠鏡が固定されると、その先端部分にラムの入ったグラスを近付けて行き……、と、思わず声を上げていた。キューッと何かが搾り出される様な音と共に、グラスの中のラム酒が綺麗な青に染まって行く。中心にボワッと雲の様な青が広がったと見ると、それは後から後から溢れる様に広がって行き、何時しか身を乗り出す様に眺める中で、さながら南国の海か空か、抜ける様なスカイブルーが其処に現われるのだった。
「さあ、ご賞味下さい。」
そうして目の前にグラスが差し出される。尤も先程から縁日の出し物に夢中の少年よろしく、身を乗り出し覗き込む格好の、殆ど触れ合わんばかりに顔を近付けていた処だったので、今更と云えば今更だった。
再び明かりが点されて、眩い光を透かして浮かび上がるスカイブルーのカクテルは、息を吞む位に透き通って……。グラスを持ち上げて、しげしげと眺めつつ、さて味は、と恐る恐る口を衝けてみる。
……と、次の瞬間、見知らぬ所へと放り出されていた。頭の芯まで抜ける様な衝撃が身体を突き抜けた後に、気付いた時には此処にいた。
周りは溢れんばかりの星々。上も無ければ下も無い。空に引っ掛かって宙ぶらりんの、フワフワと浮かぶ風船みたいな心地を味わっていた。
「やあ、今晩は。良い夜ですね。」
不意に横合いから声を掛けられる。夜会にでも出るのかと云う服を着こなした紳士然とした人が其処に居た。何処かで会ったかな? 妙に馴染み深い感じがするのに、何処で会ったのか一向に思い出せない。そうこうしている内に身体の落ちて行く様な感覚。
「おや、もうお帰りですか、お元気で。またお会い出来たら良いですね。その時は、又こうしてお話ししましょう。」
「はい、その時は又。」
夢の
それ以来、すっかりこの店の常連だ。あれから様々なカクテルを試した。心の奥まで沁み込む様な、苦い様な甘い様な赤く染まったカクテル。アルコールが回って来る内にすっかり気分も晴れやかになって来る黄金色のカクテル。ほんのりメロンの風味の、いや、これは色による先入観か、ともかく甘みの強くじっくり飲むには最適な緑のカクテルなどなど。
店主は、最近取り組んでいる新しいカクテルの開発に夢中で、頻りに自分に其れを勧めて来る。曰く、多層カクテルと云った物で、一つのグラス内に幾多の星の光を層状に重ね合わせ、一杯で多様な味わいのカクテルをお出しできる、と意気盛んな様子。
「残念ながら、未だ三層までしか成功しておりませんで。しかし、何れ七段のカクテルを目指しております。その時はレインボーカクテルと名付けようかと。」
その時にはぜひ試飲をお願いしたい、との事だが、正直どうした物かと思っている。何故って? 単色のカクテルだけでも、忽ち空の中に放り込まれるほどの効果であるのに、加えて多層のカクテルだって?
一口含んだだけで、「ピィッ」と一声鳴いた切り、文字通り夜空のお星さまの一つになってしまいそうで。
今に至るまで二の足を踏んでいるという訳で。ね、この気持ちわかって頂けるでしょう?
終
星のカクテル 色街アゲハ @iromatiageha
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