死海に降る雪

アイス・アルジ

When snow falls on the Dead Sea?

 ❄❄❄


 乾いた死の惑星に、氷の流れ星が降り注いだ。流れ星は燃え尽き、細かい塵となって漂った。大気には命の神の核が宿った。

 

 やがて雨が降った。雨は降り注いでは蒸発を繰り返し、核を中心に六角形の雪の結晶となり、惑星を覆った。いつしか、この乾いた惑星は雪と氷の惑星に変わっていた。 

 雪と氷の惑星の深い窪地の底では、太陽熱が蓄積し雪と氷を溶かした。水は命の源となり、流れては地中に溜まった。

 この窪地はオアシスとなり、湖が生まれた。


 アフリカを旅だった好奇心旺盛な人類は、この地にたどり着いた。湖の周りに城壁を築き、死神を遠ざけるための塔を建て、神に祈った。この窪地に人類最古の文明が生まれた。

 やがて湖は乾き始め、水は塩辛さを増し窪地には塩の結晶が残った。塔は崩れ去り死神が解き放たれた。人々は死神と共に、この地を離れた。

 人々は東と西に分かれ、争い血を流した。生と死を繰り返し地に満ちて行った。


 時がたち、人々は死神と契約を交わし、科学技術を手に入れた。効率と経済システムにより死を遠ざけ、人口は急速に増えた。しかし、人々の争いは絶えなかった。産業革命以降、争いによる死者は急速に増えていった。

 流された血と涙は、塩の結晶をむすんだ。

 

 六本爪の死神は人々の心に潜み、取り立ての時を待っていた。そして無慈悲に、地に満ちた人々の命を刈り取った。 


 第一次世界大戦で、約3600万人の命を奪った。

 第二次世界大戦のドイツで、約600万人のユダヤ人の命を奪った。

 太平洋戦争で約300万人の日本人の命を奪った。

 広島、原爆による直接犠牲者は18万人。

 長崎、原爆による直接犠牲者は6万人。

 第二次世界大戦全体で、約6900万人の命を奪った。

 朝鮮戦争とベトナム戦争で、それぞれ約300万人の命を奪った。

 

 そして現在、ウクライナでは、すでに約12万人以上の命が奪われ、今も、ガザで約6万人以上の命が奪われ続けている。


 広島の原爆被害面積:600㎢

 長崎の原爆被害面積:300㎢

 ガザの面積:300㎢

 死海の面積:600㎢

 

 死者の景は、うっすらと塩の結晶として残った。

 結晶は降り、魂は、死海の底に特別な塩の結晶として眠っている。


 What fills on your heart when snow falls on the Dead Sea?

      מה ממלא את הנבל שלך כששלג יורד על ים המלח?

        ما الذي يملأ هارتك عندما يتساقط الثلج على البحر الميت؟

 

 

 ❄❄❄


 北極に溜まった寒気は、シベリアを通り日本海方向へ流れ出し、雪雲をおこした。東京にも雪が降った。

 かつての木造住宅が連なるように、寄り沿い地面に貼りついていた街の光景は、背の高い建物や、高層ビルの一角にとって替わられた。雪は遥かな時の中で東京を見てきたが、街に触れる機会は年々少なくなった。

 雪は空を覆い、舞い降りた。降り積もった雪は、人々の足を止め、時間を止めた。従順に働き続ける人々は、諦めに似た気持ちで、舞い落ちる雪を見つめた。

 招かれざるつかの間の休息は、つかの間の眠り。つかの間の癒し。そして白く静かな現実に変わった。


 寒気は北米大陸中部から五大湖を通り、大西洋に流れた。ニューヨークは大雪に見舞われた。煉瓦造りの家々、高層住宅、超高層ビルの壁に守られた都市も、かつての堅牢さを失い始めている。雪は天にのびる大都市を見てきた。摩天楼を回り越し、ブロードウェイを踊るように駆け抜けた。

 都市も郊外も雪に閉ざされ、ハイウェイは氷に覆われた。大停電が発生し、白く暗い夜が訪れた。


 寒気はロシアから黒海を通り、トルコ方面へ南下した。モスクワとウクライナは雪と風にまみれ、瓦礫の街と公園の遊具を鳴らし、凍てついた麦の大地の上、はるかに見渡した。

 雪雲は海峡を越え、鉄の橋をくぐった。ゴラン高原を超えてイスラエル近くまで流れ込んだ。

 

 人類文明発祥の乾燥地帯、今はほぼ砂漠に覆われているが、かつては緑のしげるオアシスも多かった。雪は、乾きゆく谷を見越してきた。時の堆積、争いと、人々の往来、東西の交差点。


 死海に雪が降った? 本当だろうか。標高マイナス300m、この低地まで雪が解けずに降ったことは、誰も見たことはなかった。

 確かに、死海には一片の雪が舞い降りた。周囲の砂漠地帯にとっては、恵の雪となり、命の水となる。

 

 雪雲は、乾燥した空気を押しやり、さらに南下した。

 エルサレムにも雪が積もった。

 そして、ガザにも雪が降った。


 雪は国境に関係なく、人種にも関係なく降り積もり、すべてを白一色に塗り変えるだろう。戦闘の音は消え、静寂が訪れた。

 人々は祈った。家の中で、教会で、学校で、瓦礫の中で、テントの中で。つかの間の静けさだとわかっていたが、それでも人々の心を癒した。

 死神も、この時ばかりは息をひそめた。


 雪は白く美しく、厳しい生命の保護者。そして、冷たく優しく死を看取るだろう。

 私も祈ろう。


 ❄❄❄

 

 人々はこれから、どこへ向かおうとしているのだろうか。

 命は六辺の心となり広がり、世界を覆うだろうか。

 

 やがて、はるか時がたてば、死海は干上がるだろう。

 人々の痕跡は、塩の結晶と共に崩れ去る。

 人々は涙を流し。

 人々の死は雪に埋もれる。

 死神も埋もれ、消え去るだろうか。誰にも分らない。 

 

 水はどこかの星で、命の源となり降り注ぐだろうか。

 死海に降った雪のように、舞い落ちるだろうか。

 

 そうでありますように。



 (この物語に書かれている出来事や数字は、必ずしも一般的に知られている事実と一致するものではなく、創作が含まれています。)

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