鴉と呼ばれた探偵と、星を継ぐ王子の秘事ショートショート
ミデン
鴉と呼ばれた探偵と、星を継ぐ王子の秘事ショートショート
霧は古都の石畳を濡らし、塔の尖塔を隠した。この街には、霧のように深い歴史と、そして語り継がれる奇妙な怪談があった。「機械仕掛けの幽霊」「夜啼きする鋼の人形」――そんな囁きが、最近特に頻繁に聞こえるようになったのは、理由のないことではなかった。
街の片隅、目立たない路地にひっそりと建つ二階建ての建物の一室。そこが探偵グレイの事務所だった。積み上げられた古文書や資料の山、使い込まれた革張りの椅子、そして窓の外の霧。すべてが、探偵という稼業の物静かさ、そしてグレイ自身の無愛想な雰囲気を映し出していた。彼はもう若くはない。四十を過ぎた顔には深い皺が刻まれ、瞳の奥には疲労と、何か隠し持った過去の傷が宿っているように見えた。かつて「鴉」と呼ばれた男――その名を知る者は、街にはもうほとんどいない。天才錬金術師、その力を失った男の現在の姿を知る者も。
そんなグレイの元に、ある夜、密やかに訪れる者があった。フードで顔を隠し、しかしその立ち姿から高貴さが滲み出る人物。第二王子、アゼルだった。
「…また、奇妙なことが起きました」
アゼルは声を潜めた。王宮で起こる事件は、常に表沙汰にできない事情が絡む。最近の事件は、過去の怪談に酷似していた。特定の夜、部屋から人が消え、機械仕掛けの歯車の軋むような音が響き渡る。そして、壁に残された、まるで金属が溶けたような奇妙な痕跡。
「怪談に、王宮が関わると?」グレイは紅茶を淹れながら問いかけた。彼の声は落ち着いており、動じる様子は微塵もない。アゼルは彼のそういうところに惹かれていた。王宮の騒がしさとは無縁の、静かで揺るぎない場所。
「単なる怪談ではない気がするのです。消えた者たちには共通点がある。そして…父上や、他の王子方も、何かを隠している」アゼルは苦渋に満ちた表情を浮かべた。「そして、最近この国に到着した私の婚約者、エルミラ王女も…何かをご存じのようです」
エルミラ王女。氷のように美しい容姿を持つが、感情を表に出さず、王宮の人々にも心を開かない。政略結婚の駒でありながら、彼女の目は常に何かを観察しているように見えた。
グレイは紅茶をアゼルに差し出し、椅子の傍らに座った。二人の間には、依頼人と探偵という関係以上のものが静かに流れていた。アゼルの無垢さと、王族としての重圧に苦しむ姿を見るたび、グレイの胸には痛みと、そして強い庇護欲が湧き上がる。彼にとって、アゼルは光だった。過去の暗闇から引き上げてくれる、唯一の光。そして、それはアゼルにとっても同じだった。グレイの持つ知識、経験、そして何よりもその静かな優しさは、王宮の孤独の中で彼を支える唯一の繋がりだった。二人の身分違いの純愛は、人目を忍び、しかし確かな絆として深まっていた。
「痕跡を見せていただけますか」グレイは立ち上がった。彼の瞳に、探求の光が灯る。怪談…機械仕掛け…失踪。それは、遠い過去に自身が深く関わった、禁忌の領域を思わせた。
グレイは密かに王宮に侵入し、現場を検証した。壁に残された痕跡、異音が響いたとされる場所。それは紛れもない、古の錬金術の技法によって引き起こされた現象の跡だった。そして、そこに感じ取れる独特の魔力(あるいは動力)の残滓は、かつて自身がその誕生に関わった、あるいは研究した対象を想起させた。
「ガーディアン…か」
意思を持つ機械。ホムンクルスとは異なる、純粋な機械仕掛けの生命体。それはかつて、護り、そして栄光をもたらすはずだった。だが、結果は悲劇だった。
調査を進めるうち、グレイは古都の地下深くに隠された秘密の書庫にたどり着いた。そこには、失われたはずの錬金術に関する記録が眠っていた。数百年前に栄えた錬金術師の一族、「鴉」と呼ばれた伝説の錬金術師、そして彼が生み出した「ガーディアン」に関する記述。それらは、美しい絵と恐ろしい結末を伴って描かれていた。賢者の石にも匹敵する力を秘めたガーディアンは、やがて制御不能となり、生みの親である一族を滅ぼした、と。そして、その悲劇の陰には、王家の人間との契約や裏切りがあったことも示唆されていた。
「怪談」は、この悲劇に根差していたのだ。消えた人々は、かつて一族を裏切った王家の血筋を引く者たちか、あるいはそれに連なる者たちではないか。そして、怪異を引き起こす「機械仕掛けの幽霊」こそが、その復讐のために現れた「ガーディアン」なのだろう。
その復讐が、なぜ今になって始まったのか? そして、誰がガーディアンを操っているのか?
グレイは記録を読み進めるうちに、自身の過去と復讐劇が深く結びついていることを悟る。「鴉」と呼ばれた伝説の錬金術師こそが、若き日の自分自身だった。彼はその時代にガーディアンの開発に関わり、そしてある悲劇によって力を失い、表舞台から姿を消したのだ。失ったもの。それは、錬金術の力だけではなかった。愛する者…いや、過去の自分が何を失ったのか、現在のグレイには漠然とした痛みとしてしか残っていなかったが、それが現在アゼルに向けられている強い守護欲と深く繋がっていることは理解できた。
エルミラ王女の不審な行動も、この過去の因縁に関わっているのではないか。彼女は、滅ぼされた錬金術師の一族の末裔なのか、あるいは復讐者と協力しているのか。
その夜、グレイは事務所で資料を整理していた。窓の外の霧が一段と濃くなった時、部屋に気配を感じた。そして、金属の軋むような、しかし滑らかな動きの音が響く。
「…来たか」
そこに立っていたのは、伝説に語られる「機械仕掛けの幽霊」、ガーディアンだった。それは、優美でありながらも異形な、金属と歯車で構成された騎士のような姿をしていた。その瞳(と見紛う輝き)は、グレイをじっと見つめていた。言葉は発さないが、その存在は明確な敵意と、そして悲しみのようなものを放っていた。
ガーディアンは、グレイに過去の悲劇の光景を幻影のように見せた。燃え盛る錬金術師の館、逃げ惑う人々、そして倒れた…誰か。その幻影の最後に、アゼル王子の顔が映し出された。明確な警告。復讐の対象は、アゼル王子なのだと。王家の血筋、過去の裏切り。
「アゼルを…」グレイは呟いた。彼を守るためなら、何だってする。
復讐者の正体は、ガーディアンそのものだった。あるいは、ガーディアンに宿った一族の思念、あるいはエルミラ王女の意志がガーディアンを操っているのか。いずれにせよ、目的はアゼル王子の破滅。王位継承の儀式が近づくにつれて、ガーディアンの活動は活発化し、アゼルは絶体絶命の危機に追い詰められていく。王宮は混乱し、アゼルの周囲には不信感が渦巻いていた。
グレイはアゼルを匿い、共に逃亡した。古都の地下深く、かつて自身が研究に使っていた秘密の隠れ家。そこで、二人は束の間の静寂の中で過ごした。身分も、危険も忘れ、ただ互いの存在だけを感じていた。アゼルの不安げな瞳。グレイは彼を抱き寄せた。
「大丈夫だ、アゼル。私が必ず君を守る」
「グレイ…」アゼルはグレイの胸に顔をうずめた。「怖い…でも、あなたがいれば…」
このままでは、アゼルは殺される。あるいは、王位を追われ、全てを失うだろう。グレイは現在の自分の無力さを痛感した。錬金術の力は失われ、探偵としての知識だけでは、数百年の怨念と機械仕掛けの力を止めることはできない。
唯一の方法…それは、禁忌中の禁忌とされる錬金術。
「タイムリープ」
時間を遡る術。それは成功すれば過去を変え、未来を救うことができるかもしれない。だが、失敗すれば存在そのものが消滅するか、歴史を破壊する恐ろ限りなく危険な術だった。かつて「鴉」としてその理論に触れたことはあったが、実用化した者はいないはずだった。しかし、今、グレイにはその理論を完成させ、実行するだけの知識と、そしてアゼルへの強い想いがあった。
「君を救うためなら…」
グレイは隠れ家に残されていた僅かな錬金術の道具と触媒をかき集めた。そして、ガーディアンが残した魔力の痕跡、あるいはガーディアンの一部を手に入れる必要があった。復讐の力そのものを、時間遡行の鍵とするために。命がけの準備が始まった。アゼルはグレイの決意を察し、彼の傍らで静かに見守った。止めることはできない。ただ、この人が無事に戻ってきてくれることを祈るだけだった。
満月の夜、グレイは地下深くでタイムリープの秘術を発動させた。複雑な魔法陣が光を放ち、触媒が燃え尽きる。過去への強い意志、そして何よりもアゼルへの純粋な愛が、グレイを時間という奔流へと押し出した。意識が遠のく。次に目を開けたとき、彼は見慣れない、しかし懐かしい光景の中にいた。
数百年過去の古都。そこには、若き日の自分がいた。「鴉」と呼ばれ、天才錬金術師として名を馳せていた頃の姿。傲慢で、力に満ち溢れ、まだ何も失うことを知らなかった自分。その傍らには、まだ開発段階のガーディアンが静かに佇んでいた。そして、復讐者となるべき一族の人々、悲劇の引き金となる王家の人物たちもいた。
グレイは自身の姿を隠し、過去の出来事、すなわち悲劇が起こる原因となった特定の誤解や裏切りが起こる瞬間に干渉しようと試みた。歴史を大きく変えすぎないよう、最小限の介入で。過去の自分「鴉」には近づかない。自分が「鴉」だった頃、あの悲劇を防ぐために何ができたのか、何を見落としていたのかを冷静に観察し、小さな修正を試みる。悲劇の中心にいた一族の若者に警告を発したり、裏切りを企む王族に些細な妨害工作を行ったりした。
しかし、過去への干渉は困難だった。歴史の修正力は強く、グレイの意図しない形で事態が動く。過去のガーディアンは、見慣れないグレイの存在に反応し、奇妙な音を発した。まるで、未来からの来訪者を察知しているかのようだった。過去の「鴉」は、自身の研究に没頭しており、周囲の小さな変化には気づかない。あの頃の自分は、あまりにも傲慢だったのだと、グレイは痛感した。
十分な干渉を終えたか、あるいはタイムリープの持続時間が限界に達したか。グレイは再び、時間という奔流に引きずり込まれた。強い光と耳鳴り。次に目を開けたとき、彼は見慣れた、しかしどこか違和感のある地下の隠れ家に戻っていた。
成功したのか? 現在は変わったのか?
グレイは隠れ家を出て、街に出た。霧は晴れ、青空が見えていた。街の雰囲気は明るく、人々の顔に恐怖の影は見られない。怪談は消えたらしい。事件は起こらなかったのか?
王宮に向かう。王宮も落ち着きを取り戻したかのようだった。アゼルの身は無事なのか? 彼の身に危険が及ぶような事件は、本当に回避されたのか?
王宮の庭園。そこに、アゼルの姿があった。彼は庭を散策していた。グレイは安堵し、彼の名を呼ぼうとした。しかし、アゼルはグレイに気づくと、不思議そうな顔をした。
「…あなたは?」
アゼルの瞳には、グレイを知っている光がなかった。
タイムリープは成功し、過去の悲劇は回避されたらしい。ガーディアンによる復讐劇は起こらなかった。アゼル王子は無事だった。しかし、過去の改変によって、グレイとアゼルの出会いは無かったことになっていた。アゼルは探偵グレイを知らない。彼にとってグレイは、ただの街の中年男性に過ぎなかった。
グレイは胸を締め付けられるような痛みを感じた。アゼルを救うことはできた。彼の命も、地位も守られた。しかし、彼との間に築いた深い絆、身分を超えた純愛は、時間の奔流の中に消え失せてしまったのだ。これが、タイムリープの代償だったのだろうか。
エルミラ王女の姿も見えた。彼女はアゼルの傍らに立ち、微笑んでいた。彼女の顔には、かつての冷たさはなく、穏やかな表情だった。過去の因縁は解きほぐされ、彼女もまた、復讐者となる道から解放されたのかもしれない。ガーディアンの存在も、かつての悲劇が起こらなかったことで、異なる形になったのだろうか。
グレイは静かにその場を立ち去った。アゼルは彼の後ろ姿を見つめ、首を傾げていたが、すぐにエルミラ王女と談笑を始めた。
数日後、グレイは再び探偵事務所で仕事をしていた。依頼は舞い込むが、以前のような心燃えるものは無い。アゼルとの出会いが、彼の人生に色を与えていたのだと、今更ながらに痛感する。
その日、事務所のドアが開いた。そこに立っていたのは、アゼル王子だった。
「あの…先日、庭園でお見かけした方に、聞いてみたいことがありまして」アゼルは少し緊張した面持ちで言った。「あなたは、この街の歴史にお詳しいと伺いました。特に、古の錬金術について…」
グレイは息を呑んだ。アゼルは彼のことを知らない。しかし、なぜ、彼のもとへ?
「…誰に聞いたのですか?」
「いえ…何となく、この方に聞けばわかるような気がしたのです」アゼルはグレイの瞳をまっすぐに見つめた。「何故か、初めてお会いした気がしないのです」
グレイの凍てついていた心に、温かいものが流れ込むのを感じた。タイムリープは過去を変え、記憶を消し去った。しかし、魂の繋がりまでを断ち切ることはできなかったのかもしれない。
「…ええ、少しばかり」グレイは表情を崩さず答えた。「何を調べたいのですか、王子」
アゼルは安堵したように微笑んだ。その笑顔は、グレイが知っているものと同じだった。グレイは、アゼルのために全てを失った。しかし、アゼルはグレイを見つけ出した。記憶がなくとも、心は惹かれ合う。
過去の悲劇は回避された。復讐劇も、怪談もなくなった。ガーディアンは、あるいは平和な形で存在するのかもしれない。エルミラ王女は、政略結婚ではない、新たな未来を歩むだろう。そして、グレイとアゼルは、ゼロから、しかし魂の奥底で既に結ばれているかのように、再び関係を築き始めるのだろう。
探偵グレイは、再びアゼル王子の秘密の協力者となる。今度は、過去の因縁ではなく、新たな未来を共に築くために。時間への挑戦は、彼から最も大切な記憶を奪った。しかし、守りたかった愛は、形を変えてそこに存在していた。古都の霧は晴れ、新たな物語が静かに、しかし確かに始まろうとしていた。中年探偵と、星を継ぐ若き王子。彼らの秘事は、まだ終わらない。
(完)
おわりに
この物語を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます
物語の舞台裏で暗躍した復讐者、そしてガーディアンの真の想い。そして、過去の改変がもたらした様々な変化。それらは、このショートショートの中では詳しく描ききれませんでしたが、読者の皆さんの想像の中で、自由に広がっていくことを願っています。
あらためて、最後までお付き合いいただき、心から感謝申し上げます。
鴉と呼ばれた探偵と、星を継ぐ王子の秘事ショートショート ミデン @miden
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