第3話
俺たち(というより龍華)を追ってきた影鰐衆の連中は、次々と龍華の前に立ちはだかる。
だが彼女は、その圧倒的な武術の腕前で、彼らを一蹴していく。
「ふん、こんなザコどもが無限に現れても無駄なことよ」
そう言って不敵に笑う龍華。
その雄姿に、俺は思わず見とれてしまう。
(かっこいいなぁ……)
そんな俺の視線に気づいたのか、龍華が「な、何見てんだよ!」と顔を赤らめる。
「いや、その……ほら、すごいなって。龍華は本当に強いよな」
慌てて言葉を紡ぐ俺。すると龍華は、さらに顔を赤くしながら言い返した。
「あ、当たり前だろ! アタシは最強なんだからな! ……でも、まあ、褒められて悪い気はしないぜ」
「そうだな。頼もしい……いや、なんでもない!」
危うく本音を漏らしそうになって、俺は慌てて口を噤む。
いつの間にか、龍華への気持ちが変わりつつあることに気がつき始めていたのだ。
(まさかこの娘のことを……こんなにも好きになるなんて)
だが、そんな想いを告げるには、あまりにタイミングが悪すぎる。
今は目の前の敵を倒すことだけに専念しなければ。
気を取り直し、俺は再び逃走に専念する。
***
「まったく、こいつらしつこいな!」
路地裏を駆け抜けながら、龍華が舌打ちをした。
さすがに、何十人もの敵と戦っているうちに、彼女にも疲労の色が見え始めている。
(このままじゃ、いつかは捕まってしまう……!)
打開策を探るも、名案は浮かばない。
このピンチを切り抜けるには、一体どうすれば……。
そんな俺の脳裏に、ふと時任さんの言葉が蘇った。
『君たちが追い詰められたら、この場所に逃げ込むといい。必ず助けが見つかるはずだ』
そう言って、彼が差し出した地図。
そこに記されていたのは、『古書閣(こしょかく)』と呼ばれる店の場所だった。
(そうだ、あそこなら……!)
咄嗟に龍華の手を引くと、俺は路地を左に曲がった。
先に、古書閣は存在する。
「ちょ、ちょっと祐樹! どこ行くんだよ!」
「信じてついてきてくれ! きっと助けになる場所がある!」
そう言って、俺は全速力で走り出した。
龍華を連れて、追手から逃げるように。
程なくして、目的の店が見えてきた。
その時、後ろから不気味な声が響く。
「逃がさないぜ……八歩衆、総攻撃だ!」
振り返れば、赤目率いる影鰐衆の集団が、俺たちを取り囲むように迫ってきていた。
(くそ、もうすぐなのに……!)
背後から迫る脅威に、俺は冷や汗を流す。
このままでは捕まってしまう。だが……。
その時だった。
「そこまでだ」
突如、頭上から鋭い声が響いた。
見上げれば、そこには見知らぬ青年の姿があった。
身につけているのは、まるで学ランのような黒い制服。
「お前たち、よくもあの娘を追い詰めたな」
そう呟くと、青年は影鰐衆に向かって"鉛筆"を構えた。
(……え? 鉛筆?)
その異様な光景に、俺は一瞬呆気にとられる。
しかし次の瞬間、信じられない出来事が起きた。
青年が鉛筆を振るうと、まるで刃物のように空気を切り裂く音がした。
そして、影鰐衆の集団が、なぎ倒されていったのだ。
「ぐわあああっ!」
「な、なんだこいつは……鉛筆一本であの影鰐衆を……!」
恐怖に震える影鰐衆の連中。
対する青年は、悠然と鉛筆を回しながら言った。
「特別な力など必要ない。ただ、心技体を極めたまでだ。これが蛇歯門(ダアツモン)流鉛筆術奥義……『筆黒頭突(ピッコクトウツ)』」
そう言って、青年は不敵に微笑んだ。
その雄姿に、俺も龍華も、言葉を失ってしまう。
「あ、アンタは……」
かすかに震える声で、龍華が青年に問いかける。
青年はクスリと笑うと、静かに答えた。
「赤月陽介(あかつきようすけ)。俺の名前はな」
「赤月……まさか、例の"折り紙の赤月"!?」
その名を聞いて、龍華が瞠目する。
その反応を見るに、どうやらこの赤月という男は、並大抵の人物ではないようだ。
「そう呼ばれてるみたいだな。だが俺は、ただの高校生だ」
「そんなわけあるか! 今の技、普通の高校生にできるわけ……」
「言っただろう。心技体を極めたまでだ。武術だけが力じゃない。折り紙も、料理も、勉強も……どんなことでも極めれば、それは"武器"になる」
淡々とそう語る赤月。その佇まいからは、計り知れない力が感じられた。
(一体、この男は何者なんだ……?)
疑問を感じつつも、赤月のおかげで窮地を脱したのは確かだ。
俺は深々と頭を下げると、礼を言った。
「助けてくれて、ありがとうございます! 俺は相川祐樹。こっちは龍華……」
「李龍華だろう? 噂に聞いてる」
「へっ? アタシの噂が?」
驚く龍華に、赤月は静かに頷いた。
「ああ。武林に伝わる"最後の龍"、そして次代の龍牙幇当主候補……って話だ」
「……人の噂も七十五日ってかぁ」
苦笑する龍華。その様子を見ていると、赤月が急に真剣な面持ちになった。
「そろそろ時間だ。行こう、二人とも」
「え? どこに?」
戸惑う俺に、赤月は古書閣を指差した。
「時任さんが、お前たちを待っている。ここには俺が案内する」
「ええっ!?」
驚きの声を上げる俺。
まさか赤月が、時任さんと知り合いだったとは。
「アンタ、あの変態ジジイと……」
呆れたように呟く龍華。赤月は苦笑しつつ、肩をすくめた。
「ま、色々あるんだよ。とにかく、今は彼に頼るしかない。古書閣には、お前らを助ける手がかりがあるはずだ」
「そっか……わかったよ。案内、よろしく」
そう言って、俺は赤月について古書閣へと足を踏み入れた。
龍華も、わずかに顔をしかめながらも、俺に続く。
「祐樹~、アタシはあんまりこういうのは……」
小声で文句を言う龍華。俺は苦笑しながら、彼女の頭を軽く撫でた。
「大丈夫だって。何があっても、俺が守るから」
「……バカ。今助けられたのはアンタのほうだろ」
ツンとそっぽを向く龍華。だが、その頬は少し上気していた。
こうして俺たちは、運命の歯車が大きく動き出した瞬間に、古書閣の扉を開いたのだった。
***
「お、遅かったね。待ちくたびれたよ」
古書閣に入った俺たちを出迎えたのは、あの日と変わらぬ満面の笑顔を浮かべた時任さんだった。
「時任のジジイ、無事だったのか」
「まあね。玄武とは昔馴染みだからさ。それに、あの程度じゃ私は倒れないよ」
「チッ、相変わらずイキがってんな」
不機嫌そうに言う龍華。対する時任さんは、ニヤリと笑ってこう切り出した。
「で、龍華ちゃん、祐樹くん。君たちはこれからどうするつもりかな?」
「そりゃあもちろん、アタシを狙ってる連中を片っ端からぶっ潰して……」
息巻く龍華に、時任さんが口を挟む。
「それだと、君も疲弊してしまう。もっと賢明な方法を考えなくちゃね」
「む……言われてみりゃそうだが、他にいい案があるのか?」
「ああ、あるとも。それは……君の父親に会うことだ」
その一言で、龍華の顔から血の気が引いた。
「……冗談だろ? アンタ、知ってるくせに……アイツは、アタシにとって『父』なんかじゃない!」
「龍華、落ち着いて。時任さんの言う通り、アンタのお父さんに会うのは……」
「黙れ、祐樹。アンタにあの男のことなんて、何もわかっちゃいない」
俺の言葉を遮って、龍華は歯噛みした。
その目には、恨みと悲しみが渦巻いている。
それを見た時任さんは、静かに言葉を紡いだ。
「龍華ちゃん、君はずっと逃げ続けるつもりかい?」
「……だったら、どうすりゃいいってんだ」
「立ち向かうんだ。自分の運命に。君を縛る『過去』にね」
毅然とした口調で、時任さんは言う。
その言葉に、龍華の瞳がわずかに揺れた。
「たとえ相手が、この世界の理そのものだとしても……君には戦う価値がある。なぜなら君は、『龍』を宿す最後の存在なのだから」
「龍、を……宿す……?」
聞き慣れない言葉に、俺は眉をひそめる。
しかし時任さんは、俺の疑問など意に介さず、話を続けた。
「伝説の生物、龍。その血を継ぐ者は、常人離れした力を得る。君の一族、龍牙幇はその龍の血を色濃く残す、武林の名門。そして君は、長らく途絶えていた『龍の巫女』……龍の魂を直接受け継ぐ存在なのだよ」
「……まさか、アタシが……」
その事実に、龍華は言葉を失う。
俺も、彼女を見つめながら呟いた。
「龍華が、龍の生まれ変わり……? 龍の巫女だって?」
「ええ。だからこそ君は、その使命から逃げ続けるわけにはいかないんだ」
そう言って、時任さんはニッと笑う。
「龍の巫女とは、龍の力を用いて世界の理から外れた存在……妖魔を祓う、言うなれば陰陽師のような役割を担う存在なのさ」
「は? 陰陽師……? アタシがそんなの……」
「味方も敵も多い、大変な宿命だろうね。だけど君なら、きっと果たせる。祐樹くんと一緒にならね」
そう言って、俺の肩に手を置く時任さん。
「俺も……? 俺には何ができるって言うんだ」
「さあね。少なくとも、龍華ちゃんの力になることはできるはずだ。なぜなら君は、『龍の巫女の夫』……つまり『龍の婿』の生まれ変わりなのだよ」
「龍の婿……? 俺が……?」
信じられない言葉に、俺は絶句する。
まさか俺如きが、龍華のような存在と並ぶだなんて。
「ち、ちょっと待て! なんでアタシの夫がこんなヘタレなんだよ!」
プンスカ怒る龍華。その様子に、時任さんが苦笑する。
「さあ、運命の悪戯かもしれないね。とにかくこれからは二人三脚だ。力を合わせて、君たちを狙う敵に立ち向かっていくんだ」
「う~ん……アタシ的にはあんまり乗り気じゃないけどな」
「龍華、俺だってこんな大役御免だよ。でもな……アンタのためなら、俺はどんな険しい道だって行く覚悟があるんだ」
そう言って、俺は龍華の手を取る。
「……バカ。調子いいこと言って。『龍の巫女の夫』ってのが、そんなに楽な役目だと思うなよ」
「ああ、十分覚悟してる。だからこそ言えるんだ。……俺と一緒に、運命に立ち向かおう、龍華」
真っ直ぐに龍華を見つめて、俺は告げる。
すると彼女は、一瞬驚いた顔をしたが……やがて、小さく頷いた。
「……わかった。アンタがそこまで言うなら、アタシも覚悟を決めるしかないか」
「おお、いい返事だ。これで君たちも、立派な夫婦の仲だね」
ニヤニヤ笑う時任さん。
その言葉に、俺と龍華は思わず顔を赤らめる。
「な、何言ってんだ! そんな関係じゃないだろ!」
「そ、そうだぞ時任のジジイ! からかってんじゃねえ!」
そう言って、照れ隠しに時任さんに食ってかかる龍華。
俺もつられて、「そりゃそうだ!」と相槌を打つ。
……だが、胸の奥では。
龍華と夫婦――その響きに、心がドキリと高鳴っているのだった。
この時の俺は、まだ知る由もなかった。
これから俺たちが、どれほど濃密で、そして数奇な運命をたどることになるのかを――。
***
時任さんの話によれば、龍華の父親――龍牙幇の現当主『龍仙』は、今は深い山の奥、龍泉寺(りゅうせんじ)に隠遁しているらしい。
一度は後継者争いに敗れ、当主の座を追われた龍仙。だが今も尚、武林の頂点に君臨し続ける、『不世出の怪物』と呼ばれる男。
その龍仙に会うには、まず龍泉寺へ向かうしかない。
問題は、そこが俗世から遮断された土地だということだ。
簡単には近づけない。
辿り着くまでに様々な試練が待ち構えているだろう。
「だが、君たちなら必ず乗り越えられる。俺はそう信じているよ」
そう言って、時任さんは俺と龍華を激励してくれた。
龍華は渋い顔をしているが、心の内では父親に会うことを恐れているのだろう。
いや、むしろ『期待』しているのかもしれない。
今の自分を認めてもらいたい。
自分の意志を示したい。
そんな想いが、彼女の胸の内にあるのではないだろうか。
だとすれば――。
「よし、行こう龍華。アンタの、いやオレたちの未来のために」
俺はそう言って、龍華の手を握る。
すると彼女は、驚いたように俺を見つめたが……やがて、小さく微笑んだ。
「……ああ、そうだな。アンタと一緒なら、アタシは強くなれる気がする」
「……祐樹。ありがとな」
ポツリと、龍華がそう呟いた。
俺はニカッと笑って、彼女の頭を撫でる。
「礼なんていいんだ。その言葉だけで、俺は十分幸せだよ」
頬を赤らめる龍華を見つめながら、俺は思う。
この娘のためなら、どんな苦難だって乗り越えられる。
共に歩んでいこう、どこまでも。
龍の巫女と、その夫として――。
***
そうして俺たちは、長く険しい旅路へと旅立った。
道中では予想通り、龍華を狙う輩が次々と現れる。
武を極めた凄腕の達人から、仙術を操る妖怪まで、多種多様な敵と戦うことになった。
辛く厳しい戦いの日々。
幾度となく窮地に立たされ、傷つき、挫けそうになる。
だが、そんな時は必ず龍華が俺を支えてくれた。
力強く、そして時に優しく。
「オレはアンタを信じてる。だから、アタシも頑張れるんだよ。一緒に越えて行こう、どんな壁も」
そう言って、龍華は俺に微笑みかける。
まるで、この世のどんな闇をも照らし尽くすかのような、眩い笑顔で。
ああ、なんて美しい娘なんだ。
心の底からそう思う。
この笑顔を、この娘を守りたい。
そのためなら、俺はどんな苦難でも乗り越えると誓った。
そして、長い旅の終わりに俺たちが辿り着いたのは――。
龍泉寺。龍華の父、龍仙(りゅうせん)の隠遁所だった。
嵐を呼ぶような、鬱蒼とした山の奥。
禍々しい異形の者たちが徘徊する、魔境。
だが、そこを切り拓くのは俺たち――『龍の巫女』と『龍の婿』の役目だ。
「龍華、行くぞ」
「ああ……父上との対決の時が、ついに来たか」
険しい顔をする龍華。その瞳は、希望に満ちていた。
俺はそっと彼女の手を握り締める。
そして、共に寺の奥へと歩みを進めた。
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