鬼の目

わちお

第1話 赤い目

太古の昔からその地には、鬼が巣くっているとされていた。


禍々しく、人の恐れる姿で人里に降りてきて厄災を招く魔物として、この小さな地のどこかに巣くっているのだと、そう言い伝えられてきた。


しかし結局はここに住むどの人も鬼なんてものを見かけたことなどなく、心のどこかで、と言わず迷信に決まっていると誰もが共通して思っているのだった。


第二次世界大戦が終結し、世界中にまだ大きな戦争の爪痕が痛々しく残っているこんな時だからこそ、すさみきった人々の心はそういった類の迷信を余計にはねのけた。


招集令状によって村の男手が大きく減ってしまった今、子供であるがゆえに招集を免れた陽佐志ひさしも、村の重要な男手として毎日懸命に働いていた。


大きな戦争に気を病んで床に伏している母の代わりに山へ山菜を取りに行く必要があったのだ。


「陽佐志!山は気ぃつけぇや、鬼さでるかもしらんがぁ」


村を出る時、いつも老人から受ける注意も、もはや形骸化したものとなっている。陽佐志にとっても登り慣れた山に今更恐怖することなどあるはずもなかった。


「陽佐志だぁ!赤眼あかめの陽佐志ぃ!」


近所に住む弥太郎やたろうが陽佐志を指差しながら舌足らずの口でそう叫びながら走って行った。


陽佐志は生まれつき白目の部分が他の人よりも赤かった。村の人も最初は気味悪がった。


村の学校でも10歳ほどまでは、やれ鬼の子が出ただの、災いをもたらすだのと面白くもない言葉をよく吐きかけられたものだった。


そんなことがあったからか、陽佐志は他の人よりも幾分か鬼というものに対して抱く価値観が異なっていた。


自分が鬼の子と呼ばれて悔しかったのかもしれない。鬼がそんなに悪いものかと自分に言い聞かせて育ってきたのだ。


「おぉ、陽佐志、山へ行くんか」

村の猟師であるげんが陽佐志に話しかけた。


「うん、おかぁに無理させるわけにはいかねぇ」


「えれぇなぁ。母さん、早く良くなるといいな」


源は村の貴重な男手だった。猟銃を抱え、毎日山へ行っては鹿や猪をとって、村へ帰ってくる。村にとって欠かせない人であり、村の頼もしい猟師だった。


「お前は、この村が好きかい」


源は煙臭いタバコの匂いを滲ませながらそう言った。


「うん、俺ぁこの村が好きだ。だから、俺ぁ頑張るんだ」


陽佐志は赤い目を輝かせながらそう言った。

そこには、村の明るい未来が見えるようだった。


源はかすかに息を漏らして笑いながら陽佐志の頭を撫でた。


「強いんだなぁ、お前は」


源はそう言って村へ戻っていく。去り際に背を向けたまま、気をつけろよとただ一言残して。


陽佐志は気を取り直して山へと登って行った。

途中、村を一望できる山の中腹に出たところで、陽佐志はそっと腰を下ろした。


そこには、陽佐志の好きな村の景色があった。


静かで、争いとは無縁の世界。

戦時中も、村の人々は家族のように、互いを支え合いながら懸命に生きていた。


陽佐志はそんな村が大好きだった。


そんなことを想いながら、村を見ていると、なぜか陽佐志の内側がずきんと痛んだ。


左胸に手を当てるが、もう痛みは引いてしまい、その詳細を五感は次第に忘れてゆく。


陽佐志の意識は、山の山菜に戻った。


しかし、その日の山はなんだかいつもとどこか違うような気がした。



生き物の声がしないのである。




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