第2話 「テイク・ミー・ホーム」

 あれは、ある晴れた秋の日であった。その頃の私は安全という言葉に酷く飢えていたのだと思う。誰か私を愛してくれる人が居て、その人を私が愛してあげる。そういう健やかな関係に憧れて、色々と奉公先に出ては、そういう物を探っている有り様だった。子供というものは無遠慮なもので、私はそれで随分と苦労をした。私は雇い主があんまりにも良くしてくれるので、一時期は親の様な存在だと思っていたのだ。でも、雇い主にはちゃんと立派な子供が居て、その時に私はやっと気付いた。ボロ切れに身をやつす私は、誰の子でも無いのだと。


──なぜ、私は独りなのだろう?

 

 そんな疑問が幾度となく私の脳を蝕んだが、「独りだから独りなんだよ」と簡単に一蹴された。……私が居た孤児院では、そういった考えは珍しくも無く、村で虐められたと喚く同類の声が、毎日私の神経を苛立たせていた。彼女達は周りが同じ身分であると知っているのに、手を取り合おうとしない。というより、そういう事を教えてくれる人が此処には居ないのだ。私の知る“孤児院”という場所は、方々で余った子供を殆どタダ同然に拾い上げて、高く買い取る所に売り渡す仲介業者の様な側面を持ち合わせていた。目鼻立ちが整っているなら娼館に、そうでないなら女工に、それすら出来ぬなら……。私の施設は開き直った様な場所で、職員の他に男は居らず、女の園であった。だから、“そういう”業界ではそれなりに名の知れた場所であり、そこを出た女は“箔”が付くんだそうだ。……言うなれば、私達は人では無く、純朴そうな顔でただ喰われるのを待つ「羊」だった。


「パティ、私ね。どうやら“食用”の羊になるみたい……もう、大人になっちゃったって事ね」

 同室のミーニャは目線を合わせずに、そう言った。言ってしまった言葉の重さに耐え切れないといった顔だった。

「そう……それじゃあ、夜間の自由時間はやっぱり……?」パティはやっと口を開いた。

「うん。レッスンが始まるみたい。もう、朝の集会ぐらいでしか会えないわね」


 ──レッスン。

 それがある夜は職員の男が全員出払って、朝になったら泣きじゃくる女と共に帰ってくる。女はその夜にあった事を言いはしないが、子供だったパティにだっておおよその見当が付いた。きっと、ミーニャにも付いている筈だった。


「ミーニャ、怖くないの?……だいたい、ミーニャは私と同じ12歳じゃない!大人だって言うのはおかしいわ!」

 パティはミーニャの怒りを代弁してやると息巻いて、そう声を荒げたが、かえってミーニャの中で沈殿していた“何か”が破裂しただけだった。

「パティ、ありがとう……だけど、私は自分がもう子供ではいられない事に見当ついてるの。だから、大好きなパティには……」

 ミーニャは涙を堪える様に、顔をぐしぐしと手の甲で押しながらパティに近寄った。

「私の全てをあげる……」

 その時、ミーニャの手にはナイフが握られていることが初めて分かった。未来を絶望視して、私と心中しようと思っているのか。パティはそう思って生唾を飲み込んだが、杞憂に終わった。ミーニャの振り下ろしたナイフはパティではなく、ミーニャ自身の喉元に刺さったからだ。

「ミーニャッ!?」

「だ、誰かァッー!パティが、パティがぁッ!」

 慌てて男が2、3人駆け寄ると、何があったのかとパティ達に怒鳴り散らす様に聞いた。パティは訳が分からずとめどなく溢れる困惑と涙を止められずにいた。しかし、ミーニャはぜえぜえと喉を抑えながらも意志に満ちた瞳で男に言ってみせた。

「私が娼館に売られる事を言ったの……そして、一緒にどうって……そしたら、怒って私を……」

 ──こんな気性の荒い羊を食べるなんてとんでもないでしょう。そう訴える瞳であった。そして、パティはミーニャの献身の甲斐あって“食用”待ちを外れて、女工のレールに乗る事になった。日に日にやつれ、くすんでいくミーニャに対して、掛ける言葉など結局、見当たらなかった。どんな言葉も彼女を侮蔑してしまう様に思えて……。そんな彼女を塀の外へ連れ出したのは、娼館の遣いでは無かった。


「ほう……孤児で、特に目立った病気は無し……歳の割には少しばかり、“男”を知り過ぎている気もするが、かえって良い変化を与えるかもしれん」

 訪れた黒ずくめの男はそう言って、一方的にミーニャの手を引っ張っていき、孤児院が提示した金の倍を小切手に書いて手渡した。そして、2度と彼女は帰って来なかった。……それから数年後、ミーニャを街で見る機会があった。ミーニャは鞭使いとなっていたのだ。小綺麗な青いドレスを身に纏い、首元の翠のブローチを光らせながら、彼女は艶めかしい表情で馬車に揺られていた。何処を見るでもなく視線は流れていて、私の事などまったく気にも留めない。握っている鞭には血がついて、その量の乏しさが彼女の華麗な仕事ぶりを如実に語っていた。

──魔獣を狩る麗しい乙女達は皆、元は孤児の出である。

 その噂は真であった。……自分の罪で一人の少女を押し潰してしまったわけでは無かった。パティはその事実に咽び泣き、自分もまた鞭使いとなって彼女に礼を言いたいと、そう願う様になった。小さな少女の心に棘が生えたのだ。その為に、運転士となって、その為に……。


***

「よぉ。目が覚めたかい?……あんまり、寝つきが良いもんだから、おじさん心配しちゃったよ」

 蝋燭の火に照らされる、黒ずくめの男は冷ややかな印象を与える横顔で私を覗き込んだ。その目元に私は見覚えがあった。ヨハナと話していた男だ。

「此処は……」

 パティが見渡す辺りは、石畳で出来た殺風景の暗室であった。地下牢であっても、もう少しは人道的な造りであろう。トイレ一つ無く、嫌に天井が高い、広大な部屋であった。

「足元が見えづらくって悪いな……此処の家主が人工物を嫌うんだよ。蝋燭だって、やっと許された品物なんだ」

 男はそう言って蝋燭で辺りを軽く照らす。どうやらこの部屋は三方を窓で塞いでるらしく、その窓もステンドグラスの嵌められた高価そうな代物だ。

──紅色、蒼色、翠色。三原色でも無い。奇妙なステンドグラス。

 出口となる唯一の扉には、重苦しい鎖がこれでもかと打ち付けられていた。……此処はおそらく地下室だろう。であれば、窓は一体……?その疑問を答える様に、窓が三つとも軋む轟音を立てて内側に開け放たれた。窓の内には巨大な影が怪しげな光を放って、此方を伺っていた。

「紹介しよう。パティ・ストーク……この方達は、我々に協力してくれている魔獣だ。皆は畏敬の念を持って、三魔獣と呼んでいる」

「魔獣……?」

「そうさ。まさか、人間だけの力で、魔獣を相手にしてるって思ってたのか?能天気だな」パティの疑問に心底驚いた様な様子で、男が答えた。

 そうして、男はその三魔獣と呼ぶ物について語り出す。

──紅のオスカルディア、蒼のネーベル、翠のメルヴィン。

 彼等が人間に力を貸す理由は男でさえ、あまり詳しいところは分かっていなかったのだが、彼等はどうも他の魔獣を殲滅させようとしている様だ。それは確からしい。鞭使いはそんな彼等に力の一部を分け与えてもらう事であれ程の強さを得ているそうだ。なら……元の彼等の力は……。

「でも、変ですね……そんなに強いんなら自分達で狩りに行けばいいじゃないですか。力を分け与え過ぎるから、こうやって人間に捕らえられるんじゃないんですか」パティの疑問に対して、翠の荒鷲の姿をした魔獣「メルヴィン」が答えた。

「いやですな。自分の寝床は自分で決めるに決まっております。此処を飛ばずに居るのは、それなりに気に入っているからですよ。籠の中の鳥が哀れだと思うのなら、その考えは改めるべきです。鳥は飛びたくて飛んどる訳では御座いません」

「は、はぁ……」

 つまり、ここでのうのうと暮らしていたいのだろうか。パティが測りかねていると男が「そろそろ出させてもらうぞ」と言って重い扉の外へと出てしまった。後へ続こうと歩き出すと、紅い毛むくじゃらの手が脇腹をへし折る様な力で鷲掴みにした。

「がはぁッ!?」

「ほう!!鷲の前で鷲掴みたぁ、粋でございますなぁ……オスカルディア殿」

「メルヴィン……もう試験を始めていいんだよなぁッ?」

 きりきりとした痛みが全身を襲う。オスカルディアは押え付けている掌に力を込めて、さらに力を込める。ただでさえ衰弱していたパティには到底跳ね除けれる力ではなく、苦しさのあまり失神寸前であった。その様に嗜虐心が湧き上がったのか、メルヴィンがばさりと翼を広げて嘲り笑う。

「うふふ……こういうね、楽しみがねぇ、あるからまぁ、人間とは長続きするのですよ、はい」

 オスカルディアはパティの身体を前や後ろに強く振ってひとしきり遊ぶと、左脚を高く持ち上げ、木槌の様に石畳へと振り落としてパティの右腕を叩き付けた。

──ミシィッ!!ボキィィイイッ!!!

激しい腕の折れる音と骨が砕かれる音。悲痛に満ちた絶叫が地下にこだまして、メルヴィンを興じさせる。その横で耳をつんざくような悲鳴とぶっ飛んだ右手が蝋燭の明かりを受けてぬらぬらと光っていた。オスカルディアはその場で少し飛び跳ねると、今度はその両前足を振り下ろしに掛かった。パティの骨は面白い様に折れていき、メルヴィンはそれを尻目に欠伸を始めた。もうマトモに動く骨など無い。痛みは徐々に薄れていき、生命というものが自分から遠く離れていくのが分かった。訳も分からないまま、死んでいく。当たり前の様に。言葉も絞り出せない口から、喀血を呼び込む為にオスカルディアは上顎に力を込めて、パティの脇腹を捻じ曲げる。骨が殆ど砕けてしまったから、ぷすぷすと内臓が破ける音がするだけだった。

「ウッ……ウゥッ……」

 オスカルディアがパティを吐き出すと、それまで静観していたネーベルがパティの顎を優しく持ち上げて、目を合わせた。

「今、どんな気分?」

「た……助けてぇ……死にたくない……」パティはなんとか言葉を絞り出す。血が大いに混じった不鮮明な響きだった。

 なんとか聞き届けたネーベルはその女神の様な顔で微笑むと、オスカルディアとメルヴィンに中止の指示をした。

「この子は私の担当の様よ。ねぇ、愛しいパティ?」

 ネーベルはそう言うと、自分の身体を千切ってはパティの方へ塗り込んでいき、そこに自身の血液を流し込んでは、癒着させるという作業を繰り返していった。地獄の門が開く様な不気味な音が響くたびに、新しい皮が出来上がっていく。そして、1分と掛からない内にパティは元の肉体を取り戻して、気が付くとネーベルの腕の中に居た。肌は以前より熱を失い、丁度この前握ったヨハナの指先の様に、現実感の無い感触だ。

「私……どうなっちゃったの?」

「生まれ変わったのよ。私の鞭使いさん」

 鞭使い。その言葉にパティは胸を締め付けられた。……ヨハナも、ミーニャでさえこんな道を抜けてきたのか。立ち尽くしていると、重い扉の開く音がした。黒ずくめの男がニヤニヤとした様子で部屋に入ってきた。男は壁に散った血を見ながら「派手にやったもんですね」と他人事を気取って言ってのける。

「これがお前の鞭だ。中にネーベルの肉片を縫い込んである。おらぁ、お前さんがネーベルを選びそうだと思ってね……いや、読みが当たって良かったよ」

「読み?」パティが問いかけると男は嬉しそうに続けた。

「そう、三魔獣殿はだね、契約相手を気質で選ぶのさ。魔獣に対して「殺してやる」なんて願えば、オスカルディア。「殺さないで」なんて媚びたらネーベル。そうでなけりゃ、メルヴィン。そうやって彼等は獲物を分けてんのさ」

「媚びてるワケじゃありません」なんだか男の言葉が不快に思えて、少々意地になってそう答えた。

「いやいや、否定するこたぁ無いさ……人間、死ぬって時にまで自尊心を高めようとするのがどうかしてる。何より先に、生き残りたいって願うのだって立派だと思うがね。死んだら終わりさ」

そこまで言って男は、肩を落とし溜息を吐くとポケットから葉巻を一本取り出して先端を切り落として火を付けた。灰で曇っていく指越しにパティを見つめ「そんで、伸ばしひき肉ちゃんよ」と言って切り出した。

「あんたにゃあ、ヨハナの代わりをやってもらうからな。別に俺に媚びろとまでは言わんが、生意気はよしてくれよ。敵わん」

「伸ばしひき肉……」

 伸ばす……薄く?それって、ハンバーガーに挟む……パティ?敢えて、何も言わずに鞭を手に取ると、鞭が嫌に自分の手に馴染むのがよく分かった。軽いが、命を預けるには充分な威力を生んでくれそうな質感。私はこれに、人生を振るってしまうのか。

「ヨハナは……」パティの問いに男は少し曇った表情で答えた。余計な気を起こすな、そう言っている様であった。

「あぁ、もう帰ってきてる。しかし、あの様子じゃあまた後見を変えるだろうな。まったく、コチラの都合を知りもしないでな……」

じゃあ、ちゃんと要求を呑んでやれば。そう言い掛けると、男は「余計な事まで気にするな。君は黙っていたまえ」と釘を刺す様に言ってきた。

「良いか。お前は取り敢えずドレスと鞭を受け取ったら、鞭使いとしての仕事をやるんだ。詳しい事は後で言う」

 パティはただ首を縦に振って、部屋から出る事だけを考えた。外はもう昼頃で、一夜を寝過ごしたらしい。もしくは、夜通し嬲られていたか。詳しい事は分からない。ただ、知る必要もないのだろう。私はきっと、もう戻る事は出来ない。


──ドレスは何処に?


 美しくならなければ。そんな脅迫観念が全身を支配していく。身体の奥底から、それは起こっていた。美しいものに成りたいと願わなければならない。恐らくそれが全身に巣食った魔獣を満たす唯一の術なのだろう。私が微笑むと、潜む魔獣が美しい笑顔だと囁いてくる。見えはしないが、その面はきっと醜悪な物だろう。私を邪悪に見やる魔獣に、私はなんと答えればいいのか。

「着替えはこちらよ」

 歩き出した途端、真横から声を掛けられた。そこには端正な顔立ちの貴婦人がいた。悩ましげな表情で、色素の薄い白味がかった銀髪。そして、何より黒いドレスを身に纏っている。ヨハナ・モシロック。破廉恥にも彼女は声を掛けてきた。

「……どうも。ど腐れ女がなんのご用です?」苛立ちを隠さずにパティがそう言うと、ヨハナは目を見開いて微笑んだ。

「フッ……思ったより元気そうじゃない。パティ・ストーク……話があるわ。着いてきて……ほら、コーヒーを淹れてあげると言ったでしょ」

コーヒー。確かに、そんな事も言っていたな。パティは拍子抜けしたのを隠そうと、努めて冷静に返答した。

「良いですけど。その前に教えてください……何も知らない人間を騙して、地獄へ引き込んだ気分はどうですか?」

「……気分ね。それは、丁度今から飲むコーヒーと同じ味だわ。ビターで。だけど、暖かさもある……そんな気分」

 パティは背後に付け狙う影が無いのを確認すると、ヨハナの後を着いて行くことにした。信用など出来ないし、許せる筈もない。だが、何処か彼女の行動には意図がある様に感じていた。いや、彼女を信じてみたかった。それは鞭使いの幻想に縋りつこうとする少女の気持ちがそうさせているのか、それとも、投げやりな女の魂が、敢えて死地に嫁ごうとしているのか。……それはパティには分からない。自分の事であっても。


 迷う口を迎え入れてくれたコーヒーには、なんの感触も無かった。苦味も。暖かさも。喉に少し引っ掛かる液体。そんな感想しか抱けない。魔獣の身体はなんと淡白なのだろう。そして、ヨハナはまた嘘を付いた様だ。それとも、この無感情があの時の彼女の気分だったのか。目の前でコーヒーを伏し目で啜る彼女の姿はそのどちらでもあるかの様に見えた。此処では、何を信じれば良いのだろう……パティはただ、倣う様に眼を閉じる。


──そうする事でやっと、炭鉱街でボヤけていた太陽の瞳にも、海の蒼さが見えてくる。……そんな気がした。

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