三話: 治安維持の話
零雨は酒場で、森で魔物の昼御飯になりかけていた男と酒を飲んでいた。
「いやー助かったよ旦那。俺は古代文化研究所で働いているんだ。
「ああ、どうぞ」
零雨は、魔物を倒して回っていたので、怪しまれないように男装している。彼女はもう瓶を五本も空けている。男も負けじと三本を開けている。
酔いの勢いか、若いその男は自慢話を始めた。
「その国の名前の東雲は学校で
「へえ。それは聞いたことなかったな」
男の言うように、東雲は初めてできた国だ。なにしろ、七百年以上前、零雨が創ったのだから。
銀煉が迎えにきて男と別れる。酒屋のおじさんに代金を渡そうとすると男が慌てて代金を代わりに払ってくれた。何てったって命より酒の方が安いからである。ありがたく受け取って、零雨は銀煉と二人で暫く歩いてから尋ねた。
「始まりの国が分かると何かいいことがあるんだったか?さっきの人は東雲が始まりの国だと思って来たらしいんだ」
服装に合わせて口調を変えてみる。微笑んだ銀煉は少し首を傾げた。
「確か、始まりの国には山のような宝と神々に交信するための道具があるとか」
「そんなものないけど?」
「そこは神話ですから」
考える人は暇だなぁ、と呟いて細い路地へと入る。
「やっぱり調べたあの宗教会は取り締まった方がいいかも」
以前から気にして調査していた宗教関連の会だ。
「そうですか。どうします?」
「んー、肥大化していく会員数も気になるし、あと、人を攫ってるみたいなんだ。一回襲われてスライ率いる兵士を巡回風にして突入させる案が出てるけど。なにしろ、証拠がない。潜入案もあるけど」
「……やってみます?」
「いいの? 前者で」
「勿体ぶるのはやめてください」
「そう。スライと一緒に調べたから警備を増やしてあるし、準備はできてるけど。じゃあ、スライの所に飛ぶね」
その言葉と共に魔法で軍の駐屯所の大将室へお邪魔する。
いつも通りむっつりとした表情で椅子にスライが腰掛けている。様になっているその姿に、零雨は悪巧みをする子供が共犯者に話しかける時のように笑った。
「スライ。あの会、例の罠にかける事になった。準備できてる?」
報告書を読んでいた彼はすぐさま立ち上がって頷いた。
「とうに出来てる」
宗教の名は彼岸花教会。死んだ偉人たちを崇め、その偉人の〈ロク〉に一ヶ月に一回は賽銭をしなければならない。良からぬ噂はその本部のある町の住民の間で密かに流れていた。
近頃では四人以下で行動する人はいない。そこを零雨はゆっくり歩いていた。影に銀煉が溶け込んで潜む。零雨をみて住民たちは戸や窓を閉めていく。巻き込まれないように。
本部の門まであと六百メートルというところで後ろから襲われた。肩を掴まれ、刀を首に押し付けて揶揄うように脅す三人組。……下調べ通り。二人は内心微笑んだ。
「せいぜい大人しくしとけよ? 頭が落ちゃうからな」
「どうして? 貴方の言葉に強制力を感じないんだけど」
言いながら零雨は拘束からするりと抜け出す。
「な、俺は放してないぞ⁉︎」
「俗に言う縄抜けってやつ?」
「どこに縄の要素があるんですか」
「抜ける要素はある」
「……どうでもいいので、早く終えません?」
銀煉が呆れたように言ったのを皮切りに零雨は三人を殴り倒した。
本部の門からも男たちが出てくる。それがぎょっとしたように動きを止めた。鈍器を抱えた零雨は、ゆっくりそちらへ近づいていく。
露骨に男たちは狼狽えた。
それにしても静かだ。零雨は民家に目を走らせる。窺っている気配はするのに、誰もこちらを止めやしない。
「零雨、殺しちゃ駄目ですよ!」
銀煉が咎めるように小さく言った。
「うん。まあ、上手くやるよ」
「その自信はいったいどこからくるんですか?」
「んー?」
「はぁ……全く。怪我しないでくださいよ」
零雨は銀煉に笑いかけた。
「それは
銀煉が疑わしそうに言葉を追加した。
「それと、スライに怒られないようにしてくださいよ?」
「うーん、それはちょっと厳しい」
「自覚あるんですね……」
本部の門を零雨が潜ったぐらいでスライたちが馬に乗って駆けてくる。その馬蹄の音に気づいて、急いで建物の中へ入ろうとしたものの、零雨が男たちから棍棒を掻っ攫い、少女の体とは思えない速さで取り押さえていく。銀煉も影の中から狼の姿で半身現れ、即座に前脚で五人を薙ぎ倒した。
「銀煉、加勢十人」
門から刀を持った十人が追いかけてくる。素人もいれば、玄人もいる。
「分かってますよ」
喋れる程度に手加減して殴り、伸していく。二十七人の男達が呻き声をあげて、棍棒を持った少女とその影に半身を突っ込んだままの狼に見下ろされているのは作り物ではないかと思うほどに馬鹿げていた。スライは溜息を吐く。
「阿呆らしくなってきた。あんたら、単身本部に乗り込んでも無事制圧するだろ」
二人も取り押さえた男たちを馬車に乗せる作業を手伝った。そしてスライと共に魔法で造った馬で駐屯所へ急いで戻る。途中スライがボソッと言った。
「あんたらがこういうのに協力すると仕事がなくなる」
「良かったじゃない?」
時間ができると零雨の指摘にスライは暇なのは好きじゃないと呟き返してきた。
スライは軍の管理職兼将軍を務めている。今日は、情報調査官長であるユーファと協力して例の団体を裁いた結果をまとめていた。
「被害者は掴めただけで四十人って載せといたら?」
ユーファののんびりしていながら
「分かってる」
いつも報告書は、到底仲良くと言えない会話をしつつ、神狼補佐官である銀煉の検査を経て神狼である零雨に提出する。
一時間の
「ようやく終わったね」
「ああ。全くだ」
「シアン、銀煉ってどこ?」
へこたれないな、こいつも、と横目に睨めば澄ました顔が少し笑っていた。
「何をへらへら笑っている!」
「べっつにぃー」
しかし呼ばれて出て来た城の守護神は困ったように秀麗な顔を傾けて曖昧な答えをよこした。
「真神様は神狼様とお出かけになられています。恐らく国内にいらっしゃいますが、暫く通信するなとのお申し付けで位置が分かりかねます。強制連絡を利用しますか?」
彼女は狼を畏れた呼び方である真神を銀煉に使い、一般的に
「今宵は我らが王国にようこそ。世界君主殿」
「まさか来ていただけるとは思いませんでした」
「……丁寧にありがとう。そして今晩は何の用かな?」
ディアボロスの挑発にも悪魔顔負けの壮絶な笑みを浮かべて、零雨は答えた。銀煉も表向きは慎ましくその場に控えている。
「我が御主人様。どうかお食事を召し上がってくださいませ」
ディアボロスは執事の服を少し豪華にしたような恰好をしている。
「……では少し」
ディアボロス率いる魔物たちも食卓について食べ始める。うさぎ二匹の丸焼きや羊の角、通常のものより大きく切られたタンスープ。人の残骸と思しきものも混じっている。
「我らは人も食べますが、兎や牛、羊、豚などの物の方が人気ですね」
丁寧で非の打ち所がないマナーの良さを発揮しつつも、零雨はあっという間に食べ終わった。何しろ貪欲な虎狼に全て流していたからだ。自分で食さなければならになら、零雨は多分既に吐き戻していた。
ディアボロスはその様子を見て目を細めた。
「おや、足りませんでしたか?」
「いいえ。そろそろ本題に入ろうか、ディアボロス。『とても』急用なんだろうから」
わざわざ呼びつけたことを皮肉る言葉だったが、ディアボロスは口元だけを笑わせて答えた。
「ええ。そうなのですよ。さすが我らが主」
ディアボロスは零雨に廊下に出るよう促した。
「大分洋風化が進んでいるんだね」
異世界間の物流は、魔法が使える世界同士ならば行われている。零雨達も大分、カタカナ言語を覚えた。
悪魔が差し出した手を無視し、零雨は銀煉に視線でエスコートを求める。銀煉は一瞬嫌そうな顔をしたが、ディアボロスの手を見て、無言で零雨の手を取った。
零雨たちは暗い廊下を進んでいく。かろうじて、引かれたカーペットが赤なのは分かる。幾度か曲がって暖炉のある机の置かれた部屋に連れてこられた。全員が椅子についたことを確認してディアボロスは口を開いた。
「主殿。単刀直入に言いますが、ここの森を神域に指定していただけないでしょうか。絶対的な生息地としてここはちょうど良いのです」
「……そう。幸いここは私の領地でもあるから保護はできる。ただ、その代わりに貴方達は何をくれる?」
「魔物からの侵害の減少、あとは軍の真似事などが出来ますね。どこかに潜入することなども。我々の仲間の大半は化けることができますから。それに、
ディアボロスはにやりと笑った。その笑顔さえ油断ならない。
脅迫の内容は零雨も良く解っていたからこそ、どうしても否めなかった。
「……分かった。東雲国内で人の殺生は月五人までにして。それと、不自然に見えないよう、配慮する事。こちらでも配慮する」
「おお、お優しい。ではお約束通りに。有難う御座います、慈悲深き我らの主よ」
煙が舞い上がって、零雨たちは地上へ吐き出された。
零雨は一回頭を振り、銀煉を促して街へ歩いていく。銀煉は珍しく苛立っている様子で、警戒しながら零雨の後を追って夜の街へ出ていった。
「やれ、今回の仕事は疲れそうだなぁ」
手を上に伸ばして零雨が言う。
「そこですか? 私は断然、あれの自己中心的で挑発的な言い方の方が気に障ります」
天敵に出遭った生き物のように銀煉が返す。唸り声が混じりそうな声には賛成だが、零雨は敢えて反対の立場をとった。
「まあね。ただ本来あの人たちの方が私たちより上だから」
苦笑して指摘する零雨に銀煉は訊いた。
「本来、上って。どういうことです?」
「あー……立場上答えられないな。ただ、シヴァに訊いてごらんとだけ答えられるかな?」
何か怪しい事ではないかと不満より不安を強く浮かべて、金の瞳が琥珀の瞳を覗き込んだ。それに気づいて零雨が銀煉の肩を軽く叩く。
「大丈夫だよ。普通は気にしなくていいから」
「そう言う事に関しては全く信用できません」
「ええー?」
妙な自信を持たれたと零雨はくすくす笑った。
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