神様の弱み
目算をつけた位置に、銀煉たちは移動魔法で跳んだ。
だが、結界のせいか、なかなか四人で魔力探知を行っても見つけられない。だから、最終的に銀煉が獣型を取って三人を乗せて、目視で捜すことになった。
「あの人の一族は元から魔力量は多い方なんです。それでも、あの人は覚醒し終わっていないんです。普通は一生かけても覚醒し終わらないらしいのですが……」
幼い頃からの天賦の才を見ていた銀煉は、森林を見渡す。
「ですけれど、零雨は寿命のない神仙になっていたため時間がありすぎた。だから何度も覚醒することができ、そうするとここら辺の世界が揺らいでしまうと、最高神に殺されかけてここを作ったんです。おそらく、その最高神が来たのかと」
「うげー、なんか壮大な話ー」
零雨はすぐ無理をする。すぐ血塗れになる。少し強いだけの人間のくせに。
ある谷間に結界を見つけて尾根に着陸した。結界は土地を傷つけないためだけのようで、手こずることもなく侵入出来た。
「……で、どうしようね。巻き込まれて死ぬのは流石に、元も子もないと言うか……」
ユーファが困ったように言う。
そっと覗き込んだ木々の間から二人が遠く距離をとって何か話している。しかしこちらが風上なのに加え、二神はそんなに大きな声で話していないようで内容は聞こえない。武器を持たずに交渉をしているように見える。
ヘイムダルが何かを言う。だが零雨は頭を横に振るだけだ。そして突然雷が生まれた。縦横無尽に駆け巡るそれに、零雨は自身の影から引き抜いた剣で対応し、時には技おも吸収している。
——交渉決裂。
「ああ……」
派手に火花を散らし合い、二神は互角に戦っている。
「零雨は体調が悪いんでしょ? なのに、ここまで戦える?」
「まさか、もう覚醒した……?」
「可能性としてはあり得るよね」
森の縁でじっと目を凝らしていると、零雨の目のうち、右が紅い。充血ではない。眼自体が他の者の眼に入れ替わっているのだ。そして、こんな時に零雨が頼るような者は——。
「蛇……⁉︎」
「氷の鏡——
零雨が言うと同時に、その頬に血が滴った。それを拭いもせず、零雨は血が流れ込んだ左目を瞑った。
ヘイムダルとも、零雨とも違う横柄な声が言った。
「後先考えずにただ目の前の敵を潰すために、攻撃力の強さから順に顕現していく、最悪で最強のあり得ない切り札。まさにお前らしいなぁ、零雨。対価は高いってのに」
「うるさい。そんなの分かってる」
「いいやぁ? 分かってなんかないね。お前は血を流すだけだ。消えるだけだ。でも、見ている奴らはどうなんだよ?」
ヘイムダルが、突然後方に吹っ飛んだ。その砂煙の中から零雨が飛び退く。
「大切なものが手から滑り落ちていく、あの抉られるような痛み、知らないお前じゃないはずなのにな」
零雨が飛び出す瞬間は見えなかった。
氷の柱、霰、雹、疾走糸、銃、爆炎……。色々な魔法がその砂煙の一点へ墜落していく。
「う……」
零雨が木に凭れかかった。その身体が触れた場所は皆、赤黒い血痕が付く。
そこへ思いっきりヘイムダルの蹴りが襲う。恐ろしいほどの吐血をした零雨を庇うように、虎狼がヘイムダルを追う。
「ちっ。体力など早々に尽きれば良いものを」
ぼたぼたと血を零しながら、零雨は前を見据える。雷を纏い、飛んできたヘイムダルに魔法が次々と襲いかかる。
「先の怪我が回復してねーくせに、無茶するなぁ。多臓器不全で死ぬぞ?」
零雨が死ぬ事は想像できても、零雨が負ける事は想像できない。
魔法が真正面からぶつかり合う。
谷底が全て凍った。
これほど広範囲の魔法。結界の維持、蛇の呼び出し、無茶苦茶な戦闘法。
夥しい血液。
「……‼︎」
本当は今すぐ飛び出していきたい。でも、それではただの足手纏いだ。
「零雨……!」
黒い狼が前腕を振り翳す。雷がそれを迎え撃つ。
「お前がどんなに祈っても、それを嗤う者は絶えないんだぜ?」
「いい、んだ。だって、それでも……私は、私だ」
その時、蛇の右眼がカッとこっちを向いた。見開かれた瞳と目が合う。
ヘイムダルを蹴って無理矢理引き剥がし、離れると零雨は言った。
「ここの住民は殺さないと、誓ってほしい」
「お前は気遣いをよくするよなぁ。でも、それが相手を傷つけることもあるんだぜ?神が果たして、お前なんぞの願いを聞いてくれるか?」
不思議そうにして見せた相手は別に構わないと思ったのだろう。
「いいだろう。私のこの立場にかけてこの世界にいる人々全員の命を保障しよう。もとより、そのために手勢は連れてこなかった」
その誓いに安堵したような笑みを見せて零雨は新しく結界を張った。自分の背から相手の背までを直径とした半円だ。外にあった結界が消える。
「もう、最後だ」
どぷ、と暗い紫のドロドロした液体がヘイムダルへ向かって満ちていく。液に浸かりながらも、ゆったりと距離を縮めていく零雨とは対照的にヘイムダルは蛇に睨まれた蛙のように慌てて逃れようとする。
「⁉︎何を!」
ヘイムダルが言う間も無く結界内はその液体で満ちた。不思議と向こうが透けている。
「零雨!」
銀煉は谷の縁を飛び出した。駆け出して、立ち止まった。手を、出せない。殺気と、それとは別に強大な何か。
本能が逃げることを選択する。ただ、身を隠したい。じゃないと。
「暴食相殺。……心中でも
零雨が告げた魔法と決意に蛇がため息をついた。
「お前さ、自分を生贄にしたこんな技出したりしたら、こんな世界ひとたまりもないぜ」
零雨は笑う。
「そう、かもしれない。でも、これが出来うる限りの最善だった。どうせ生き残るか生き残らないか。……みんなの命は守られてる。なら、ね」
「ま、そーだけど。……代替案がある」
零雨は慌てて喉を抑えた。同化しているので、蛇は彼女の声を使っている。
「ダメだよ、君には関係ないじゃないか!」
「あるよ、大有りだよ。俺は俺みてーな奴を見たくないんだ。だから、お前が不幸になったりする前に死んでやる。それにお前、背負い過ぎ。馬鹿か。俺が黙って見過ごすとでも?」
「でもこの身体は、」
「それ以上言うな、馬鹿。耳を澄ませ。お前を失って悲しむ奴が何人いると思ってんだよ。今だって心配して来てくれた。そいつらを置いてくのか? 薄情だな」
どろっと零雨の体から分離した蛇は人の形をとった。
「
「零雨、お前の力は誰のためにある? そこを、履き違えるな」
その十歳ほどの少女はくるりと回って、零雨に向き合うような形になる。零雨の手を躱し、彼女は静かに笑っていた。
「虎狼。俺を喰う代わりに、あの糞ったれの雷神に傷をつけてよ。喰ってよ。な? お前ならできるだろ?」
零雨が止める暇もなく陰から伸びた黒い虎狼が、隠し事はしないとばかりに両手を広げた蛇を、一飲みで食べてしまった。
「待って‼︎」
口周りを一度舐め、対価を得た虎狼は紫の液体と同化し、大きな一つの口となった。ヘイムダルに向けて数々の小さな口が最初の大きな口とは別に生まれては消えている。それはまるで、漣のように。
「……ぁ……」
それはじっと猟犬のように、主の指示を待っている。腹を括って技を放たなければならない。
零雨は、目をきつく閉じてからもう一度開いて、少し震える声で言った。
「虎狼、……食べて、いいよ。我らが敵を滅ぼせ、
命を賭けた強い結界だから、当然結界を無理矢理裂いたことになる。あり得ない。眼を見開いた人々の前で、腕と足と胴体を少し喰った饕餮に化けた虎狼はそれを睨む。
「対価を貰いすぎになる……喰わせろ……」
「ちょっと遅かったかな。大丈夫? ヘイムダル」
もう回復して手と足が生えてきている彼は、引っ張り出してくれた主を見上げて、何とかはいと答えた。
「お前ごと喰い殺してやる……」
饕餮の唸りに本当に困ったように少年は胡桃色の髪を揺らした。
「うーん、そうだな……ヘイムダル、なんとかしてこの世界の魔物集められない?」
ヘイムダルは目を閉じて束の間集中した。
「……でき、ました」
「どうぞ、食べて」
結界の中に集められた魔物を饕餮が一心不乱に追いはじめた。次々に腹の中へ魔物は消えていく。
それを横目に見ながら、少年は、
「こんにちは。零雨さん、だよね。ごめんなさい。僕の監督不行届でこれが暴走しました」
「……」
「零雨さん、この世界ができたのなら、私達は貴女の存在を受け入れる事ができる。この世界は貴女のために在ろうとするから、君が作ったこの世界でなら覚醒してもらって構わない。現に、さっきは大丈夫だったんでしょう?」
零雨は座り込んでいる。
「零雨……!」
銀煉は彼女の肩を抱いて、少年から庇う。
無抵抗な細い肩が憐れだった。
「貴方は誰なんですか!」
「……僕は、創造神、シヴァ」
少年は、少し俯く。
「零雨さんには、僕が対応するはずだったんだ。でも、君は強くて……。予定が繰り上がった。そのせいで追いつかなかったんだ。……けど、自力で世界を作ってしまうなんて……」
銀煉は零雨を振り返る。
朱眼は、零雨にとって、命よりも大切な人だ。その喪失を慮れないシヴァに、銀煉は怒りを募らせていた。
「神は力を有していなければならない。何かを守るために。君は魔力も戦法も、剣術も長けてる。合格だよ」
「……神様になりたかったわけじゃない」
「零雨……」
僕には、名前を呼ぶことしかできない。
「創造神は、最高神と何が違うんですか。蛇を……生き返らせは出来ないんですか⁉︎」
柔らかい茶色をした瞳が、真っ直ぐに銀煉を捉える。
「……世界は木のように繋がっている。そしてそれがたくさんある。僕はその木たちを管理する、いわば森の監視官なんだ。零雨さんはもう知っていた、いや、分かっていた、かな。
あの女の子に関しては、僕は何も出来ない。死んだものを連れ戻すことはできない。僕だけでなくいろんな世界も、魔物に喰い荒らされてしまうから。……でも、虎狼は零雨さんの能力の一部だから……相応の対価を払えば、再構築出来るはず」
零雨の呆けた声が微かに聞こえる。
「そう……」
虎狼が悠然と零雨の元へ還った。それを待って、零雨は再度口を開く。
「こんな結果でも、あの子が納得してくれるなら何でもいい。でも——遅い」
零雨の声に怒気が混ざる。
「あの子は確かに大義名分のもと、ようやく死ねたのかも知れない。だけど、貴方のせいで何人もが大変な目に遭って、死んだ子がいるのは永遠に忘れないで。——私はそれを忘れさせない。私は貴方を赦さない」
「ごめんなさい……」
謝ったって命は戻らない。
「同じくらい、私は私を赦さない。紫電も、赦さない」
もう一度深く頭を下げた彼は、深い悲しみの色を濃厚に再度謝っているように見えた。
「本当にすみませんでした」
「……」
「あ、待って。君、怪我……」
「饕餮の余分な力を回復に使ったから。もう帰って」
それだけ言って零雨は踵を返して谷の淵の銀煉たちの方へ歩き出した。その左の瞳は赤くない。
零雨は振り返らない。
少年は静かに零雨に頭を下げ、消えた。
零雨は、振り返らない。
彼女は、誰一人として怪我をしていないことを知ると長い安堵のため息をついてその場にしゃがみ込んだ。
「よかったぁ……飛び出してきたからもう本当、どうしようかと……」
銀煉もほっとして怒る気も失せてしまった。ただ、蛇を失ったことが気になったので恐る恐る尋ねてみた。
「あの、蛇は……?」
零雨は力なく笑う。
「ようやく死ねたみたいだね。……去り際に『世話になったな。仕返しもできそうだし、じゃあな』って」
本当は、『もうお前も狼も傷つけなくて済むな。俺のした事で悩むなよ、大馬鹿者』と幸せそうにようやく——本当に永い時間が経ったが——消えていった。消えてしまった。
……死なずに過去の罪に苛まれるより、死んでしまったほうが楽なのかもしれない。でも、零雨にはそれが身勝手ながらとても悲しい。
でも、それは銀煉には言わなくていいのだ。——それより、蛇を食べた事で蛇が使う魔法や最期に蛇が取った本来の姿、魔力の処理を急ぎたい。
「そろそろ帰らない? シアン、待ってるんじゃないの?」
そんな思いを全部隠して、零雨は笑った。
「零雨、堪えないで」
しかし、銀煉は誤魔化しを許さなかった。
「フロー達は、先に帰っていてもらえますか」
「う、うん」
三人が消えるのを待ち、銀煉は零雨を座らせた。温水で濡らした布で、血塗れの頬を拭いてやる。
「もっと怒って良かったのに」
「……朱眼が望むなら……私は……」
「あの少年神と争ったら負けると思ったから、怒らなかったんでしょうが。……せめて、泣いてあげたらどうです?」
「銀煉は、私のこと嫌いでしょ?」
「そうですね」
銀煉は零雨を抱き寄せる。
「僕は貴女のことが嫌いです。だから、中途半端に哀れんだりしない。……存分に素直になればいい」
「……蛇を失った割には、あまり怒りませんでしたね」
「そうだね。心の奥底に、いる感じがするからかな?」
紺青に、零雨は微笑んでみせる。
「それどころじゃなかったし。さて、『どうしてこんな愚かなことをしたのか』への回答だけど」
紺青は唾を飲んだ。
「私は、死にたくなかった。死なせたくなかった。それだけだよ」
「……今は、幸せですか?」
零雨は不意を突かれたように目を丸くした。
「まあ、ほどほどにね」
笑った神様は、僕に背を向けた。
「達者でやりなよ。霖清様も、またいつか」
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