第2話



村の午後は、風が柔らかくなる。


空の海に浮かぶ小さな漂流島たちも、昼下がりのまどろみに沈み、まるで世界そのものが、ひとときの休息を取っているようだった。


トレインは広場の片隅にある、古い風見塔に腰かけ、ぼんやりと空を見上げていた。

塔のてっぺんに立つ大きな風車が、キィ、キィ、と細い音を立てながら回っている。


傍らでは、年若い子どもたちが木剣を振り回して遊んでいた。

「見て、オレ、スカイランナーみたいだろ!」

少年の一人が高らかに叫ぶ。

それを見たトレインは、ふっと笑った。


かつて自分も、ああして走り回り、空に憧れていた。

空を割る船の影を見上げては、自分もいつか、あの空を駆けるのだと信じて疑わなかった。


だが、夢を追うというのは、ただ憧れるだけではできないことを、今は知っている。

毎朝の訓練。風を読む勉強。ダリオンに叱られながら、地図を何度も描き直し、浮遊島の潮流を覚えた日々。


トレインは、ぎゅっと拳を握った。

スカイランナーになる。

空を渡る者になる。

そのために、自分はここにいるのだと、自分に言い聞かせるように。


風見塔の下で、ダリオンがひとり、古びた浮遊艇の手入れをしていた。

かつて、空を切り裂くように駆けたというその艇も、今では村の荷物運びに使われるだけになっている。

ダリオンはふと顔を上げ、遠くを見つめながら、ぽつりとつぶやいた。


「風はな、若い者を試すんだ。

 お前たちが、どれだけ空を欲しているかをな」


その背中を見て、トレインは思う。

ダリオンもまた、かつては空に恋をした少年だったのだろうと。


夕暮れが近づくと、村の人々はそれぞれの家に戻り、家々の軒先からは、香ばしいパンの匂いや、煮込み鍋の甘い香りが漂ってきた。

小さな教会の鐘が、風に乗って遠くまで響く。


トレインは母の呼ぶ声を聞き、急いで帰路につく。

家に帰れば、母の手作りのスープと、父の静かな笑い声が待っている。

小さな食卓の温もりが、どれほどかけがえのないものか、彼は知っている。

けれど、同時に、わかってもいる。


いつか、この手で、空へと漕ぎ出す日のために。

この村を、家族を、過去を、

優しく、心にしまい込んで旅立つ日が、もうすぐそこまで来ていることを。


トレインは、星が瞬く夕空を仰いだ。

風が、彼の髪を撫でる。

どこか、知らない誰かが呼んでいるような、遠い風の囁き。


——空は、きっと、自分を待っている。


そう信じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る