第5話 風の加護

「到着する前に、もう一度仕事内容を確認しておくぞ」


 仮眠を取ったナルとルゥは午後一番で野営地を発ち、南西のナマル族の野営地へと向かっていた。今回は馬を駆るナルの後ろにルゥが乗っているが、ルゥにも馬術の心得があるので、状況が落ち着いたらルゥにも馬を提供する予定だ。


「今回はナマル族からの依頼で、家畜を襲う魔物を退治する。これまでは自衛出来ていたけど、今回出現したグルウェルは強力な個体のようで、手に余っているみたいだ。そこで私たちの出番というわけさ」

「グルウェルね。一体どんな魔物なんだ?」

「一言で表すなら、でかい蜥蜴とかげかな。獰猛どうもうなうえに火を吐いたりもするが」

「もはやドラゴンだな。まあ、何とかなるだろう」


 初見の相手だが、これまでの経験の積み重ねで、何が起きてもその場そ対処できるだろうという自信がルゥには備わっていた。気負いなど一切存在しない。


「ルゥ。ホルスの木剣を両断したのは風の刃だろう? ヤスの軍勢と戦っている時もそうだったが、お前は風の力を借りられるんだな」

「借りるか、確かにその感覚が一番近いな。自然豊かだからか、初めての土地なのに、すぐに体に馴染んでくる感覚があったよ。故郷以外だと、感覚を掴むまでに時間がかかるものだが」


 日常会話の延長線上のように、ルゥは躊躇いなく自身の不思議な力について認めた。話す相手は選ぶが、少なくともナルに対しては話しても問題はない。それはナルの身内である、ハワル族に対しても同じだ。


「ルゥはいつからその力を得た?」

「子供の頃。いつの間にか。明確な転機があったわけじゃない。そういうナルは?」


 大量のヤスを退けた、強烈な風を纏った弓術。ナルが自分と同じような力を持っていることは、ルゥもすでに察していた。

「私も幼き頃、気づいた時には風と対話できるようになっていた。ノゴーンではごく稀に、そういった子供が生を受けることがあるらしい。ノゴーンではそれを、風の加護と呼ぶ」

「風の加護か。美しい響きだ。俺もこれからはそう呼ばせてもらおう」


 ルゥはこれまで風の力に名称を設けていなかったが、風の加護という表現はしっくりきた。風が自分を守ってくれている。その安心感は幼少期からのお守りだった。


「風の加護はノゴーン特有の現象だと思っていたが、ルゥも同じ力を持つのならノゴーンに限らずこの大陸、いや、この世界には、加護を宿した人間が他にもいるのかもしれないな」

「俺は今のところ、ナルにしか合ったことはないが」

「私もルゥが初めてだ。謎の多い現象だが、風の加護を持つ者が二人もいれば、新たに分かることもあるかもしれないな」

「神秘は探求するよりも、神秘のままにしておいた方がいいかもしれないぞ」

「ルウは存外、感傷的だな。心配せずとも、真の神秘ならば探求しようとも神秘のままさ」

「そういうナルも大概だな」


 背中で笑うナルの肩越しに、多数のゲルが設置された野営地が見えてきた。間もなくナマル族と合流だ。


「よく来てくれたナル。事は急を要するのでな。とても心強いよ」

「オドゥモドゥ爺もお元気そうで何よりだ。私が来たからにはもう安心だぞ」


 ナルの訪問を、族長のオドゥモドゥは笑顔で歓迎してくれた。オドゥモドゥは白髪の老齢の男性で、ナルの祖父とは若かりし頃から共に草原を駆け抜けた旧知の仲だ。当然ナルのことも、赤子のころから知っている。オドゥモドゥは古傷が祟って一線を退いており、未だに前線に立ち続けているナルの祖父に比べると流石に老いて見えるが、日常生活の範囲ではまだまだ元気で、歴戦の勇士としての迫力も健在だ。その老練さをもって、時に厳しく時に優しく、ナマル族を導いている。


「見ない顔だが、そちらの御仁は? 西方のお方のようだが?」

「こいつはルゥ。旅の剣士だ。今はハワル族も人手不足でな。仕事を手伝ってもらっているんだ」

「ルゥだ。剣術の腕には自信がある。十二分の働きを約束しよう」


 ナルとナマル族は顔見知りなので、自然とこの場の注目はルゥに集まっていた。西方の人間自体は、交易などでノゴーンを訪れる機会も多いので見慣れているが、西方の剣士が武闘派で知られるハワル族と共に仕事をするというのは初めてのことだ。注目を集めるのは必然だった。


おごりではなく、経験で語っているな。戦場をよく知っているようだ」


 オドゥモドゥが、長年草原の歴史を目撃してきたその双眸でしっかりとルゥを見つめる。一線を退てなお、歴戦の勇士であるオドゥモドゥの凄みは健在だが、ルゥは一切怯むことなく、視線を逸らすことはしなかった。その時点で素養は十分であった。ノゴーンの民とはまた異なる戦場を、この剣士は知っている。ナルの審美眼も大したものだと、オドゥモドゥは口元に笑みを浮かべる。


「オドゥモドゥ爺。問題のグルウェルはもちろん私たちが討伐するけど、そもそもの話、野営地を移したりはしないのか? ゲルを持ち運び、居住場所を自由に変えられるが私たちの強みだろう」


 ナルの指摘はもっともだ。手間はかかるが野営地を丸ごと移動させることは、遊牧民にとっては生活の一部。強くて倒せない魔物だとしても、生息域から離れる事は可能だ。家畜を襲われるよりはよっぽどよい。


「当然、野営地は何度も変えた。しかし撒いたにも関わらず、新たな野営地でしばらく生活していると、どういうわけか奴は再び姿を現すのだ。まるで我々に執着し、追跡しているかのように」

「グルウェルは本来、己のテリトリー下で活動する魔物のはずだ。何が起きているのだろう?」

「長く生きているが、儂もあのようなグルウェルを見るのは初めてだ。逸れ個体か何らかの突然変異か。並外れた巨躯もあり、不気味な存在だよ」


 族長のオドゥモドゥを始め、一様に頷くナマル族の人々の姿が、事の深刻さを物語っていた。自分たちでは対処仕切れず、どこへ逃げようとも追ってくる危険な追跡者。だが今ここには、暗雲を蹴散らす太陽が参戦している。


「しつこい追跡者には、今日退散してもらおう。私たちに全て任せておけ」

「ありがとう、ナル」


 ナルが笑顔で語りかけると、場の雰囲気が少し上向いた。ナルの笑顔には人を勇気づける天性の明るさがある。


「グルウェルは今、北東の河原にいる。気をつけてな」


 オドゥモドゥから居場所を聞くと、ナルとルゥは早速、グルウェルの討伐へと向かった。

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