第4話 風だけが知っている

 ゲルに通されたルゥは、来客用の椅子へと着席した。円形のゲルの中には中心を取り囲むように、ベッドやチェストといった家具や、馬具や家畜用の道具、台所用品などが置かれている。


「喉が渇いただろう。食事の用意が出来るまで、スーティツァィで一服するといい」


 そう言ってホルスは、カップに入った乳白色の飲み物をルゥへと手渡した。


「スーティツァィ?」


 聞き慣れないその名前を、ルゥは復唱する。物怖じしない性格だが、初めての飲み物を口にするのは少し勇気がいる。


「材料は牛乳と茶、それと塩だ。ノゴーンではよく飲まれている」

「なるほど。塩入りのミルクティーってところか」


 そう言いかえると、途端に親しみを感じるようになった。ルゥが一口飲んでみると、独特な食感と風味があるが味は悪くない。むしろ美味しい。自然と、続けてスーティツァィを口にしていた。


「いけるな」

「気に入ったら何よりだ。栄養も満点だし、仕事前には欠かせない。食卓に置いておくから、好きに飲んでくれ」


 ホルスが笑顔で、スーティツァィの入った瓶を円卓に置くと、ゲルに大きなボウルと小さな包みを抱えたナルが姿を現した。


「ウルムだ。ルゥ、せっかくなら一緒に食べよう」


 ナルが持ってきたボウルいっぱいに入っているウルム呼ばれる食べ物は、濃厚なクリームのような外見をしていて、色味はチーズやバターに似ている。


「ウルムは美味いぞ。遠慮せずに、さじでたくさん食え」


 ルゥの反応を見たくて仕方がないのだろう。ナルは目を輝かせながら木製の匙をルゥへと手渡した。期待通りのリアクションを取れるかは分からないが、とても美味しそうなのは間違いない。ナルの言葉に従い、匙でたくさんすくって頬張った。


「何だこれは……美味い! 美味すぎる!」


 出会って以来、感情の起伏の乏しかったルゥが思わずその場で立ち上がり、感嘆を口にしている。バターとも生クリームとも違う、それでいて濃厚でコクのある、一度食べたら病みつきになること間違いなし。ノゴーンの乳製品の最高峰とも称されるその味は絶品の一言に尽きる。それはそうだと言わんばかりに、ナルは渾身のドヤ顔を披露している。さっきのスーティツァィといい、ルゥの人間らしい一面が次々と垣間見えて、ホルスも自然と表情を綻ばせていた。戦闘能力は申し分ないが、人間関係の部分が上手く進むかどうかはまた別の話だと気を張っていたが、この分なら打ち解け合うまで、そう時間はかからないかもしれない。


「仕事先には携帯食としてエーズギーも持っていこう。濃厚な味で、これまた癖になるぞ」

「エーズギーとは?」


 ナルが言葉にした、これまた聞き慣れない料理名をルゥは復唱する。ノゴーンの料理の味の素晴らしさはすでに実感している。先程とは異なり、好奇心の方が圧倒的に勝っていた。


「エーズギーはエーズギーだしな。何と説明したらいいか」


 ナルが説明に苦慮していると、隣でスーティツァィを飲んでいたホルスが代わりに補足を始めた。


「ルゥは西方から来たんのだったな。エーズギーはキャラメル状になったチーズを想像すると分かりやすいだろう。朝食や間食としてよく食べられている。すでに感じているだろうが、ノゴーンでの食事の中心は乳製品だ。そこに抵抗が無ければ、食については過ごしやすいだろう」

「元々乳製品はよく食べていた。俺にとっては楽園だな」

「楽園か。もてなす側として嬉しい響きだな」


 相好を崩すと、ホルスはルゥにカップにスーティツァィを注いでくれた。


「ありがとう。それにしても、ホルスは西方の文化にも詳しいんだな。行ったことがあるのか?」


 スーティツァィの時も、ルゥにも分かりやすいように、直ぐに塩入りのミルクティーと表現していたし、ナルが説明にしたエーズギーについても、西方出身のルゥにも分かりやすい表現にかみ砕いてみせた。西方の知識に明るくなければ、すぐには言語化できないはずだ。


「行ったことはないが、西方からノゴーンにやってきたキャラバンを、長期間護衛した経験があってな。その際に色々と西方の文化を教わり、私はノゴーンの文化を教えた。異文化交流というやつだな」

「なるほど。どうりで詳しいわけだ」


 納得して頷くと、ルゥはスーティツァィをゴクゴクと飲み干した。


「ベッドは好きに使っていいから、食べたらゆっくり休め、ノゴーンの魔物は手ごわいからな」


 期待を込めてルゥの肩に触れると、ホルスは立ち上がり、ゲルの外へと出ていった。野営地を預かる責任者は多忙だ。


 ※※※


「ホルス大兄。少しいいか?」


 ゲルから出てきたホルスを、ハワル族の青年ナウチが呼びよせた。人手不足の中、ナル、ホルスと共に野営地を預かる実力者の1人だ。ホルスやルゥに比べると小柄だが、鍛え抜かれた肉体と鋭い眼光は、豊富な経験とそれに裏打ちされた確かな自信を感じさせる。


「……部外者を俺らの仕事に加えて、本当に良かったのか?」


 ナルやルゥがいるゲルから距離を取ってから話を切り出したのは、ナウチなりの配慮であった。


「人手不足なのは周知の事実だ。実力は申し分ないし、悪戯に輪を乱すような人格でもなさそうだ。拒む理由もないだろう」

「人手不足には違いないが、じきにキャラバン隊の護衛任務を終えた遠征隊も帰ってくる。わざわざ外部の人間を迎え入れる程の状況でもないだろう」

「私も最初はそう考えていたよ。だが、あの剣技を前にした今となっては、逃すのは惜しい人材だと確信している」

「確かに、大兄の木剣を両断したのには驚かされたが、弓が主体のノゴーンでは、剣は霞む」

「あれはただの剣技ではない。木剣に風の刃を纏わせ、本来存在しないはずの切断力をもたらしていた。真剣ならば、より恐ろしい威力になっていただろうな」

「風をって、まさかナルと同じ?」

「真夜中に飛び起きたのも、何か感じるものがあったからだろう。ナルからすれば部族とは別に、新たな同胞を見つけた心地だろうな」

「ノゴーン以外にも、風の加護を持つ者がいるとは」

「まだまだ謎の多い現象だしな。理解を深めるという意味でも、剣士ルゥの存在は新たな風となるだろう。族長も反対はしないだろう」

「大兄の考えは理解した。もう反対はしない。だが、個人的にあの剣士を信用するかはまた別の話だ。せいぜい注意深く観察させてもらうさ」

「大いに結構だ。程よい緊張感は大切だからな」


 族長の娘であるナルや、野営地を預かるホルスが認めたとはいえ、部外者の参戦には、ナウチのように懐疑的な意見が出るのは仕方がないことだ。むしろナウチが積極的にルゥを注視することで、他からは大きな反発は生まれにくくなる。決して表情には出さないが、ホルスは責任者としてしたたかであった。


「はてさて、これからどのような風が吹くかな」


 ホルスが天を仰ぐと、西から吹く風が川の水面をなぞった。


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