第2話 ハワル族

「戻ったぞ」


 朝日が昇る頃には、ナルとルゥを乗せた馬は、ナルの現在の拠点である、西部の川辺の野営地に到着した。遊牧生活には欠かせない、分解して運ぶことの出来る移動式の住居ゲルが複数立ち並び、一つの小さな居住区を形成している。遊牧民の朝は早い。住民たちはすでに動き出し、家畜の世話をしたり、川辺で洗い物をしたりしていた。


「遅かったなナル。夜中に突然飛び出して、どこまで行っていたんだ?」


 ナルの到着を聞き、ゲルの中から、緑色のデールを着た長身の青年が姿を現した。長い黒髪を真ん中で分け、鼻には横一文字の古傷が残っている。


「ただいま、ホルス。西の古戦場まで行ってきた。思いがけず遠出になってしまったな」

「古戦場って、あそこはヤスの巣窟だろう」

「その巣窟のど真ん中で、逃げもせずにヤスを斬り続ける阿呆を見つけてな。死なれても困るから拾ってきた」


 ナルが首の動きで後ろを示すと、ホルスと、馬から下りたルゥの目が合った。


「その容姿、西方からの旅人だな。私はホルス。この野営地を預かる者だ。見たところ怪我も無いようだし、無事で何よりだ」

「俺はルゥ。すまないな。よそ者が突然」

「気にするな。我らも特定の居住地を持たぬ遊牧の民。旅人を拒んだりはしないさ。それはそれとして、どうして古戦場で交戦を?」

「野営する場所を求めてさまよっている間に、あそこに迷い込んだ。骸どもは無数であっても無限ではない。斬り続けていれば、いつかは終わるだろうと思ってな」

「優先順位は逃げるよりも戦うことというわけか。相当な自信家だな」


 ルゥの物言いにホルスは苦笑する。ヤスの特性と場所が古戦場であることを理解した上でのその発言は、骸となり弱体化しているとはいえ、一つの軍隊を一人で相手にして生き残る自信があることを意味している。ナルが連れてきた以上、極悪人ということはないだろうが、ただの旅行者ではなさそうだ。


「自信家などという、上品な言い方をしてやるなホルス。こいつはただの阿呆だ。私の呼び掛けには応じて撤退したし、地元の人間に迷惑をかけない程度の分別は持ち合わせているようだがな」


 続けて馬から降りたナルが、目を細めてルゥの脇腹を小突く。直前までの強者感はなりをひそめ、ルゥは「あうっ」と情けない声を上げた。


「だが確かに、私が助けずとも、ヤスの軍勢を剣一本で全滅させていたかもしれない。草原の風にも好かれているようだしな」

「風に?」


 ホルスは驚愕に目を丸くした。ナルの言う通りならば、ルゥは逸材どころではない。選ばれし者だ。


「ヤスがルゥに向けて投擲した槍が、風に邪魔されるのを見た。直感を信じて、夜中に飛び出した甲斐があったよ」


 ナルはホルスに笑顔で伝えると、ルゥの正面に立ち、顔を突き合わせた。


「ルゥ。お前はどうしてノゴーンに? どこか目的地でもあるのか?」

「目的地はない。剣術修行のために、各地を巡る流浪の身だ」

「それなら、しばらくここに留まる気はないか? もちろん衣食住は保証する。ちょうど今、腕の立つを人間を探していたんだ」

「おい、ナル。今日出会ったばかりの相手だぞ。旅人は拒まぬが、それは客人としての話。仕事に関わらせるとなれば、また話は変わってくる」

「急かさないでホルス。全てはルゥの反応次第だよ」

「ここの責任者は私だ」

「私は族長の孫だよ」


 野営地を預かる者としてホルスの意見は真っ当だが、ナルにはそれに怯まずに我を通した。今日出会ったばかりの相手と思っているのはルゥも同じで、ナルの突然の申し出を素直に受け入れるとは限らない。ホルスは釈然としない様子ながらも、ひとまずは成り行きを見守ることにした。


「俺に何を求める? 生憎と、放牧や狩りのノウハウは持ち合わせていないぞ」

「もちろん剣術の腕だよ。遊牧民には放牧や狩り以外にも、部族ごとに様々な特色があってね。より多種多様な家畜を飼育したり、織物や宝飾品の製造技術に長けていたり、異国の商人と積極的に交易したり。部族間で物々交換をしたり、協力し合うことも珍しくない。そして我らハワル族の最大の特徴は」

「戦闘能力か?」


 ナルは古戦場がヤスの巣窟だと把握した上で、単騎で駆けつけ、見事にルゥを救出(ルゥ的にはまったくピンチではなかったが)してみせた。弓矢による攻撃の威力も凄まじかったし、自他ともに認める実力者であることは疑い用がない。


「その通り。ハワル族は代々武闘派でね。旅人であるルゥには言うまでもないだろうけど、ノゴーンに限らずどの地域でも魔物の驚異はつきものだ。どの部族もある程度の自衛能力は持っているけど、それにも限度がある。他の部族の手に負えないような魔物への対処や、ノゴーンを通過する他国のキャラバンの護衛を引き受けることが、ハワル族の生業の一つだ」

「ハワル族の生業は理解したが、どうしてよそ者の俺の力を?」

「今の我々は人手不足でね。昨今はノゴーンに出現する魔物の数も増加していて、族長であるじいをはじめ、戦士たちの大半が魔物討伐のために、ノゴーン各地に赴いている。そうしている間にも新たな依頼が舞い込み、渋滞している状況だ。中には急を要する内容もある。そんな猫の手も借りたいところに、酔狂な異国の剣士が流れてきたというわけさ」

「ここの魔物は手強いか?」

「刺激的な日々を約束するよ。ハワル族が駆り出される状況というのはそういうことだ」

「その話乗った。しばらく厄介になるぞ、ナル」


 強い魔物と戦えると分かった瞬間、ルゥは即答した。


「話が早くて助かるぞルゥ。それじゃあ早速、詳しい仕事の――」

「待たれよ。私はまだ納得していないぞ」


 とんとん拍子に話を進めようとするナルの勢いを、ホルスが一歩前に出て遮った。


「止めないで、ホルス」

「族長の留守を預かっているのは私だ。決定権は私にある」

「突然現れた、得体の知れない人間を警戒する気持ちは分かる。責任者が難しいというなら、俺は潔く引くが」


 ルゥには旅人として、様々な土地を渡り歩いてきた経験則がある。郷に入っては郷に従う。無理に我を通そうとは思わない。


「人手不足なのは紛れもない事実。即戦力が欲しいのは私も同じだ。人となりについては少しずつ知っていけばいいしな。だが、ハワル族の看板を背負って仕事をするのなら半端な実力では許されない。ナルの人を見る目は信用しているが、何事も自分の目で確かめなくてはな」

「どうすれば認めてもらえる?」

「簡単な話だ。手合わせして、私にも実力を示して見せろ」

「シンプルでいいな。嫌いじゃない」


 弱い奴はいらない。武闘派らしい放心だ。それなら最初からそう言えばいいのにと、ナルは肩を竦めて苦笑していた。

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