風駆ける狼、弓張る太陽

湖城マコト

1章 風駆ける狼

第1話 美しき弓使い

 大陸の中央部に位置する緑の大地ノゴーン。月明かりだけが光源となった夜の草原で、旅の剣士ルゥは無数の人影に囲まれ、背中に帯剣した曲刀シミターに手をかけた。防具の重さを嫌うルゥの服装は、シャツにスカーフを巻き、ポケットの多いパンツをブーツにインしただけの軽装だが、それ故に長身のスラリとしたスタイルが際立っている。月明かりに照らされた銀髪と端麗な容姿は演劇の一場面かと錯覚させるが、ルゥを取り囲む演者はあまりにも異形だ。


 ルゥに襲い掛かるのは、肉の鎧を失った無数の人骨の群れだった。生前の面影はボロキレとなって辛うじて纏わりついてる衣服と、かつて使っていたと思われる、錆びた剣や穂先の欠けた槍といった武器類だけだ。二十体を越える人骨が生者に群がる様はあまりにも不気味だ。動く人骨はノゴーンではヤスと呼ばれ、草原で死した者の骸に悪霊が憑りつき、動き出したものだ。ましてこの一帯はかつての古戦場で、骸に事欠かぬヤスの巣窟。地元の人間ならばまず近づかない危険地帯だった。


「オスソルダの大群。どこへ行こうとも死は身近ということか」


 骨の魔物はルゥの故郷にも出没することがあり、オスソルダと呼ばれている。同じ原理で出現しているのだとすれば、一帯は古戦場か何かで、多数の死者が出た場所なのだろうと、ルゥは経験則で察していた。


「お前たちが俺の死神か? だったらこの場で命を刈ってみせろ」


 ルゥは無数のヤスを前にしても怯まず、背負っていたシミターを抜いた。瞬時に刀身で薙ぎ、錆びた斧を振り上げたヤスの腕を、頸椎ごと一刀両断にした。悪霊は頭蓋骨に憑りつき、脳の代わりを務める。首が飛んだ瞬間に骨の体との接続が切れ、残った人骨は力なくその場に散らばった。


 続けざまに別のヤスが槍の刺突でルゥの頭部を狙ったが、ルゥは首の動きだけでそれを回避し、シミターの刀身でヤスの眉間を刺突。衝撃で頭蓋骨が砕け散り、残る部位は骸へと戻った。


 数の不利などものともせずに、ルゥは次々から次々へとヤスを切り伏せ、周囲には朽ちた人骨が散らばっていく。


 生きるために必死になっているわけでも、手応えを感じて興が乗るわけでもない。ルゥは淡々と、作業のようにヤスの大群を蹂躙していく。次第にその数は減っていき、両手で数える程になったが、それは一時の静寂に過ぎなかった。


「新手か」


 古戦場の大地というのは、想像以上に多くの骸で溢れているらしい。数が減ったかと思いきや、次から次へと地中から新たな骸が芽を出し、軍勢に加わっていく。どんなにヤスを倒したとて、人骨を操る悪霊ごと滅しているわけではない。器が無くなればまた新たな器に憑りつき、操るだけのこと。古戦場で散っていた者の数だけ悪霊は復活を遂げる。それを全て滅ぼすことはもはや、戦の歴史を相手にするのと同義だ。闇の眷属である悪霊たちは日の光に弱く、朝日と共に退散するが、夜は更けたばかりで地平線は瞬きを見せる気配はない。


「上等だ。今後のために一掃してやるよ」


 ルゥは怯まずにシミターで斬りかかり、ヤスを次から次へと葬り去っていく。一方でヤスからの攻撃は一太刀たりとも浴びてはいなかった。


 ルゥは数の暴力だけで圧倒できるような相手ではない。戦闘で学んだ悪霊たちは戦術を変えた。複数体のヤスに同時に接近戦を挑ませ、その隙に四方から同時に槍の投擲や弓矢の射撃を放つ。どんなに手練れであっても相手は一人、遠距離からの同時攻撃には対処のしようもない。


 強烈な回転切りで、周囲のヤスを撃破した直後のルゥに上方からたくさんの槍と矢が迫る。しかしルゥはまるで空模様の変化を確認するように顔を上げただけで、一切の回避行動やシミターによる攻撃動作を取らなかった。


「これが草原の風か」


 突如として平原を駆け抜けた風によって槍や矢の軌道が阻害され、ルゥには直撃せず、全てがその周辺の地面へと突き刺さった。まるで風がルゥを守ったかのように。


「俺を殺したいならもっと近づいて来いよ」


 鼓膜などとっくの昔に腐り落ちているであろうヤスに向けてルゥは叫ぶ。朝まで斬り合う覚悟で、再び軍勢に切りかかろうとすると。


「律儀に骸どもの相手をするなんて、お前は阿呆なのか?」


 鋭い風切り音と共に飛来した矢がルゥを追い抜き、軍勢の先頭にいたヤスの頭蓋骨を直撃。その瞬間、矢の周辺に強烈な風の流れを生まれ、周囲にいた大量のヤスが、風圧で次々に転倒していった。


 ルゥが矢の飛来した方向へと振り向くと、漆黒の馬に騎乗する美しい少女が、短弓(たんきゅう)と呼ばれる丈の短い弓を握っていた。黒髪が風にそよぎ、切れ長の目には鋭い眼光が宿っている。身にまとう衣服は丈が長く、立ち襟で左に打ち合わせがあり、それを腰の帯で止めている。遊牧民に多く見られる、デールと呼ばれる伝統的衣装だ。少女のデールは臙脂色で、そこに黄色い帯を合わせていた。


「君は、遊牧の民だな」

「そういうお前は西方からの旅人だな。この場所ではヤスが際限なく湧く。相手にするだけ時間の無駄だぞ」

「やはりここは古戦場か。名は違うが、俺の故郷にも似た魔物が存在する。特性は分かっているつもりだ」

「分かっているなら、余計に阿呆だ。それだけの実力があれば、逃げるのも容易かろうに」

「旅人の判断も生き死にも、君には関係ないだろう」

「関係ある。お前のような手練れがここで死ねば、無駄に強い厄介なヤスが増える。草原の民にしてみればいい迷惑だ」

「……その発想は無かった。俺とて死後にまで人様に迷惑をかけるのは不本意だ」


 背後から迫っていた一体のヤスを蹴り飛ばし、後続にぶつけて転倒させると、ルゥはシミターを鞘に収めた。


「分かればいい。野営地まで連れてってやるから、後ろに乗れ」


 ルゥは頷き、軽快な身のこなしで少女の愛馬に飛び乗った。


「追うだけ無駄だぞ。悪霊たち」


 少女は再び弓を射、ヤスの軍勢は再び風で吹き飛ばされた。少女はその隙に馬を走らせ、古戦場を一気に駆け抜けた。


「お前、名前は?」

「ルゥだ。家名は忘れた」

「忘れたか。ルゥは面白い奴だな。だがノゴーンでは困ることはない。私たちが持つのは、基本的に名だけだからな」

「そういう君の名前は?」

「私の名前はナル。太陽と同じ名だ」


 ナルが笑顔でルゥに振り返ると、長く感じられた夜が終わり、水平線に光が見え始めた。

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